慈悲 中村元 講談社学術文庫 ISBN:4062920220

pikarrr2017-01-07

第三章 慈悲の観念の歴史的発展


慈悲は人が他の人に対して行うもの

そもそも慈悲とは、始めは人が他の人に対して行うはたらきであり、物質的方面でも精神的方面でもひとを救って、それを機縁として最高究極の境地に至らしめる純粋の心情であった。かかる心情にもとづく行為もまた慈悲と呼ばれていたようである。ところでかかる実践は人間一個の力ではなかなか実現され得ないから、凡夫はどうしても覚者である仏の力にたよろうとする。そこで慈悲は人の側におかれ、仏が人々を救うために慈悲を垂れるのであるとされた。かくして慈悲は人と人との関係から人に対する仏のはたらきに移され、人間はただこの慈悲に対して受動的であると解せられるようになる。そうして人と人との間にあらわれる慈悲は、最初の宗教的意義がかくされ、単なる同情或いは憐れみというような世俗的なものと解せられ、したがってそれは人びとに対する仏の慈悲の模写或いは世俗的形態と解されるようになる。慈悲のかかる二種類の形態は、そののち伝統的保守的仏教のうちに保存されているとともに、大乗仏教においても別々のすがたであらわれているように思われる。
しかしそのような分離にも拘わらず、慈悲心は人間でも起すものである。P59-60

慈悲があるからさとりが得られる

ところで智慧と慈悲との関係はどうであるのか。普通大乗仏教で考えられていることは、まずさとり(根本知)を得て、それから慈悲のはたらき(後得知)がはたらくというのであるが、ナーガールジュナは正反対の主張を大乗経典の中から引用していることがある。先ず、慈悲心があるからこそ、さとりが得られるのだという。
「菩薩は、衆生の中に処して三十二種の悲(あわれみ)を(観音菩薩のごとく)行い、漸々増広して転じて大悲を成ず。大悲はこれ一切の諸仏・菩薩の功徳の根本なり。これは般若波羅密の母なり。諸仏の祖母なり。菩薩は大悲心を以ての故に、般若波羅密を得。般若波羅密を得るが故に、仏となることを得。」(大智度論)P75




第四章 慈悲の理論的基礎づけ


慈悲には三種類ある

大乗仏教の思想体系の理論的建設者であるナーガールジュナは、慈悲に三種類あることを認め、無縁の慈悲の究極者的性格を明らかにしていう。
「慈悲心に三種あり。(すなわち)衆生縁(衆生を縁とするもの)と法縁(法を縁とするもの)と無縁となり。凡夫人は、衆生縁なり。声聞・辟支仏及び菩薩は、初めは衆生縁にして、後には法縁なり。諸仏は、善く畢竟(ひっきょう)空を修行するが故に、名づけて無縁となす。」(大智度論
・・・恐らく現実の社会において、多くの個人と個人とが対立している場面を意識しつつ慈悲を及ぼすことが「衆生を縁とする慈悲」であり、個人存在或いはそれを関連がある諸種の物を個別的な要素に分析して、それらは独立な実体でないと思って、執着を去って他人に何らかの物を与えて奉仕すること、すなわち小乗仏教における慈悲行、が「法を縁とする慈悲」であり、諸法実相である空(=如来)を観じて行う慈悲が「無縁の慈悲」なのであろう。P112-116

慈悲は空において成立する

慈悲とは自己を捨てて全面的に他の個的存在のために奉仕することである。それは現実の人間にとっては容易に或いは永久に実現されがたいことであるが、しかも人間の行為に対する至上の命法として実行が要請される。他の個的存在のための全面的帰投ということは、自己と他者との対立が撫無される方向においてのみ可能である。
そうしてそのことは自己と他者との対立が、実は究極においては否定に裏づけられているということを前提としてのみ成立し得る。対立は空なのであり、空においてのみ対立が成立する。
この理法は、われわれの現実の生活に即して考えるならば、容易に理解することができる。例えば、われわれが在る一人の他人を極度に増悪しているとしよう、その限りにおいてわれわれの増悪している他人は、われと対立しているわけである。しかしその他人の増悪されるべき存在が空観によって否定され、眼に見えぬ本来の人格がこのわれを向き合うことになるならば、それに対立もなく、増悪の感も消失するであろう。ここに愛憎を越えた慈悲が実現されるのである。P123

慈悲には三輪清浄が必要

慈悲は他者に対してのみあらわれるものであるから、その具体的な顕現のすがたは他人に対して何ものかを与えるということになる。「檀(dana 与うること)は慈相たり、よく一切を救ふ。」しかし他人のために何ものかを与え奉仕するということも、空の精神にもとづいて行われなければならない。

したがって、ときには慈悲と施与とが殆んど同義に解せられていることがある。後代の仏教においては、他人に対する奉仕に関して「三輪清浄」ということを強調する。奉仕する主体(能施)と奉仕を受ける客体(所施)と奉仕の手段となるもの(施物)と、この三者はともに空であらねばならぬ。とどこおりがあってはならぬ。(心地観経)もしも「おれがあの人にこのことをしてやったんだ」という思いがあるならば、それは慈悲心よりでたものではない。真実の慈悲はかかる思いを捨てなければならぬ。かくしてこそ奉仕の精神が純粋清浄となるのである。P128-129




第五章 慈悲の倫理的性格


慈悲は上位のものから下位のものとは限らない

慈悲とは、仏が衆生に対し、主君が臣下に対し、親が子に対するように、力において或いは階位的秩序において上位のものが下位のものに対してはたらきかける関係ではないか、と考えられるかもしれない。また日本では一般にそのように考えられている。しかし事実として必らずしもそうではない。むしろそれと反対の場合がある。例えば修行者が慈心をもって仏に対することもある。

・・・ただしこの場合においても、下位のものが下位のものとしての資格において慈悲を示すのではなく、絶対者にあずかっているものという資格において慈悲のはたらきを示すのである。
したがってこのような場合には、世俗的な身分・年齢・性別等に由来する優越的体は撥無される。道元はいう、「仏法を修行し、仏法を道取せむは、たとひ七歳の女流なりとも、すなはち四衆の導師なり、衆生の慈父なり。」(正法眼蔵




第六章 慈悲の行動的性格


浄土真宗において人間行為のうちに慈悲を求める

ここにおいてわれわれは、親鸞教が実は現実の人間生活における慈悲行を基礎づけものであるということを知り得るのである。
如来大悲の恩徳は 身を粉にしても報ずべし 師主知識の恩徳も ほねをくだきても謝すべし」(正像未和讃)
ここでは身を捨てる覚悟を以てする奉仕の行が要請されている。現在の浄土真宗教徒のうちには、「信仰さえ確かなら、それでよい。信仰と行為とは別ものである。」といって、特に積極的な行為によって人々のために有意義なことをしようとせず、また為さないことを誇っているかのごとき人々があるが、それはこの点で親鸞の教説からは明らかに背反しているものである。
・・・したがって浄土真宗においては、教義学の上では専ら如来の慈悲を強調するにもかかわらず、それは人間と無関係であることは許されず、人間の行為のうちに具現されることが要請されるのである。これは恐らく宗教においては、個人が世俗的人間からそむいて絶対者と直面しようとするにもかかわらず、絶対者との交渉が人倫関係を通じて実現されるという基本的構造に由来しているのである。このような道理をつきつめて考えてみると、いま慈悲の問題に関してみるに、浄土真宗禅宗等の聖道門と対立すると考えられているのは、宗派成立の歴史的社会的事情とか経典解釈にとらわれた教義学などの上だけのことであって、宗教倫理的な人間の実践的構造の把捉のしかたに関しては、さほど異るところが無いように考えられる。

近江商人は慈悲行をめざす

日本においては、例えば徳川時代の中期以降における近江商人の活発な商品活動には、浄土真宗の信仰がその基底に存するという事実が、最近の実証研究によって明らかにされている。ところで近江商人のうち成功した人々の遺訓についてみるに、かれらは利益を求める念を離れて、朝早くから夜遅くまで刻苦精励して商業に専念したのであるが、内心には慈悲の精神を保っていた。実際問題としては利益を追求しなかったわけではないはずであるが、かれらの主観的意識の表面においては慈悲行をめざしていたのである。その一人である中村治兵衛の家訓によると、「信心慈悲を忘れず心を常に快くすべし」という。これは当時浄土真宗における世の中の商人に対し仏の慈悲を喜ぶことを教えていたことに対応するのである。P244

徳川幕府の政治の基本的精神は慈悲

徳川幕府は三百年にわたる太平の天下を維持したが、その政治の基本的精神は表面にかざす標語としては慈悲にほかならなかった。大久保彦左衛門の「三河物語」によると、慈悲は徳川家の伝統的精神であった。家康よりも八代の祖先・徳阿弥は、時宗の僧として西三河に流れ来り、松平の郷中の太郎左衛門の婿となった。かれは慈悲の態度によって特にすぐれていた。かれは百姓、乞食、非人に至るまで普ねく憐れみを加えた。また自ら山道の修理に努めて人馬の交通を平穏にならしめた。「御内の衆」は「君の御情」に感じ、「扨(さて)も扨(さて)も御慈悲と申(もうす)、又は御情、此御恩の、何として報じ上ぐべきや。唯二つと無き命を奉り(たてまつり)、妻子眷族(けんぞく)を顧みず、昼夜のかせぎにて御恩を報ぜん」といい合った。これがやがて伝統的な精神となった。・・・

つづいて徳川家康も、慈悲の徳が美徳の根底となるものであることを強調している。「東照宮御遺訓」(上)には次のように教えている。
「・・・まず慈悲が万事の根本であると知れ。慈悲より出た正直がまことの正直ぞ、また慈悲なき正直は薄情といって不正直ぞ。また慈悲より出た智慧がまことの智慧ぞ、慈悲なき智慧は邪な智慧である。中国ではこの大宝を智仁勇の三徳という。」P258-259