B面 昭和史 1926-1945 半藤一利 ASIN:B01BOF9

pikarrr2017-01-30

第二話 赤い夕陽の曠野・満州 昭和五〜七年

日本はこのころから一歩一歩 、恐る恐る足を踏み入れていった。けれども歴史のなかに生きていた当時の人びとは 、こうした年表的解説どおりに明々白々として事態を認識していたわけではない 。政治的 ・軍事的な進行だけが 、生きている人びとの日々の 「現実 」ではなかったのである 。たとえば 、上海事変での爆弾三勇士の 「作られた美談 」が一種のブ ームとなって 、国民の心を揺さぶっている 。ジャ ーナリズムは争ってとりあげ 、歌に映画に仕立てられ 、そこから愛国心の讃美 、軍礼讃 、軍国主義肯定の輿論が沸き起こっていく 。

戦後になって発表された小説などには 、この時期の国民の生活は 「発言を封じられて 、ふるえる胸を押えたまま 」とか 、「つらい緊張は 、日本国民全体の中にあった 」とか 、ひどく窮屈で 、脅えきって 、ただ黙って推移を見守るしかなかったようにかかれたりしているのがある 。さて 、どんなものか 。むしろ 、右翼の論客とされていた文芸評論家杉山平助がかいている報告のほうが正しいとしたい 、との思いがある 。
「本来賑かなもの好きな民衆はこれまでメ ーデ ーの行進にさえただ何となく喝采をおくっていたが 、この時クルリと背中をめぐらして 、満洲問題の成行に熱狂した 。驚破こそ帝国主義侵略戦争というような紋切型の批難や 、インテリゲンチャの冷静傍観などは 、その民衆の熱狂の声に消されてその圧力を失って行った 」 ( 『文芸五十年史 』 )
そしてたしかな事実として 、事変後には一時面白いように売れたマルクス資本論 』はまったく売れなくなり 、プロレタリア文学も本屋の棚からいっせいに姿を消した 。かわりに 「 『戦いはこれからだ 』類の軍事文学書がグッと頭を高めた 」 (大阪朝日新聞七年一月十九日付 )というのである 。国民の気持ちはかなり戦闘的になっていた 。

とにかく当時の日本人は長年つづく不景気と先行きの不安に飽き飽きしていた 。どういう形であれ現状打破を待望しつづけているのである 。「政党政治は腐敗しきっている 」 「官僚は無為無策である 」 「財閥は暴利をただむさぼるだけ 」という巷に瀰漫している理屈が 、それ自体はあまりに短絡的で 、不正確な認識であったであろう 、にもかかわらず 、感情的 ・情緒的に民衆にはすんなりそれらがうけいれられていた 。そしてそうした ?改革 ?待望の眼からみると 、軍部は頼もしく 、そしてその強い力で連戦連勝して建設した新国家 ・満洲国こそが 、現状打破の突破口になるかもしれないと人びとの眼には映ったのである 。赤い夕陽の曠野にこそ国家発展の夢がある 。




第八話 鬼畜米英と神がかり 昭和十九〜二十年

当時の社会情勢を少しでも知る人には 、容易に 、われら日本人の狂態を思い返せるが 、知らぬ人にはいくら叮嚀に説明してみたところで想像のつかない話であろう 。国亡ぶるさなかの人間の浅はかさは 、ほんとうに情けないもの 。国難を思うあまりすべてが ?神がかり ? 。しかもその信念たるものを 、軍にとり入る手段としたり 、自己の生活の安穏裕福を得るためのものとする 。狡猾 、強欲 、傲慢 、横暴と 、いくつもこんな言葉をならべたくなるほどに 、当局に媚びるとにかくひどい人間がまわりに多かった 。親切心などこれっぽっちももっていなくなった 。いまだって 、あの時代の大人たちのことを考えると 、われら日本人ってそれほど上等な民族じゃないぜ 、世論の叡智なんていう甘い言葉は信じられないよ 、とそう思いたくなってくる 。

こうかきながら 、悪ガキのころからさんざんに仕込まれた 「武士道 」をついつい想起してしまう 。死ぬ事と見付けたり 、死は鴻毛よりも軽し 、不惜身命 、などなどとともに 、死して悠久の大義に生きる 、という武士道の究極の極意なるものを 。武士道における生命とは 、単なる個人の生命ではなく 、悠久の国家の生命をつなぐ長い鎖のなかの一環として 、おのれの生命を位置づけなければならぬのである 、とコンコンと教え諭されたものであった 。中学生には理解不可能といってよかった 。わからんなら 、もういっぺんいう 。いいか 、日本人の死というのは 、光輝ある民族精神の継承という尊いものがふくまれておる 。先祖からうけついだ高貴の遺産の上に 、なにがしかの意義あるものを加え 、それを子孫に譲り渡す 、その崇高な任務を果たすための死と思えば 、何事かある 、死は恐るに足らずだ 。死して悠久の大義に生きるとは 、ざっとそういうことだ 。 … …いま思いだしながらかいているのであるが 、恐らく多くの特攻隊の若ものたちも同じようなことを上のものからいわれていたのではないか 。