日本人とアメリカ人は似てる?似てない?

アメリカの20世紀

「革新主義 」とは 、科学的合理的な方法によれば社会の問題を解決し正義が実現できるという 、科学万能ともいえる考え方である。そこには 、不安のなかにも人間の理性の能力を信じる楽観的態度が見られ 、その意味で 、革新主義は啓蒙主義の落とし子ともいえた 。 革新主義は世紀末のアメリカ社会の混乱状態に 、 「アメリカの正義 」にもとづく秩序をもたらそうとし 、社会の組織化を図った 。その際 、科学的専門的知識を活用することが 、 「正義 」への道 、すなわち建国以来の 「自由 」と 「民主主義 」の理念の擁護に通じると考えられた 。そして 、革新主義によれば 、工業化 ・都市化がもたらした弊害 ─ ─貧困 、薬害 、自然破壊 ─ ─に対する改革や女性参政権のような平等権を求める改革も 、科学的専門的計算にもとづいて行うのが正しいとされた 。

アメリカの20世紀〈上〉1890年〜1945年 有賀夏紀 中公新書 ASIN:B00G44VI7A

目を覆うばかりのスラムの悲惨さとまばゆいばかりの大富豪の生活との差は 、当時は当然のこととして考えられることが多かった 。貧乏は能力がなく 、また努力をしなかった当然の報いであり 、金持ちは努力して自分の持てる能力を発揮したからそうなったのだと 、今日でもよくいう 。

一九世紀後半のアメリカ社会では 、貧富の差を 「科学的 」に正当化する議論が広がり 、一般に受け容れられていたのである 。そうした 「科学的 」な議論はソーシャル ・ダーウィニズムと呼ばれるものだった 。ひと言でいえば 、チャールズ ・ダーウィンが自然界の法則として打ち立てた進化論を人間の社会に適用したものである ・・・また 、今アメリカ発で世界中に広がっている市場競争原理優先の風潮は 、一九世紀のソーシャル ・ダーウィニズムの復活 、そしてそのグロ ーバル化ということもできるだろう 。

アメリカでソーシャル ・ダーウィニズムを広めたのはイェール大学の社会学者ウィリアム ・グレアム ・サムナーだった 。サムナーの説はスペンサーよりさらに強力に 、アメリカの実業家たちの行動を擁護するものだった 。富の独占は決して悪いことではなく 、産業界の指導者は才能と勇気と不屈の精神を備えており 、金持ちになるのは彼らの社会に対する義務であると論じた 。

同じ頃 、ホレーショー ・アルジャーが書いた靴磨きの少年が努力と忍耐によって出世する 『ぼろをまとったディック 』 (一八六七 )の物語も個人主義的価値観を強調しており 、二〇〇〇万部も売れ人気を博していた 。サムナーの大衆版がアルジャーだったといえる 。

アメリカの20世紀〈上〉1890年〜1945年 有賀夏紀 中公新書 ASIN:B00G44VI7A




アメリカ人の思想 「科学的合理性による成果が正義である。」


アメリカ人の思考の概略は、「科学的合理性による成果が正義である。」という感じではないだろうか。

プロテスタントとしての天職概念。商売は卑しいことではない。金持ちは努力によって天職を全うし、世の中に貢献することで、神に認められた結果である。

・科学への楽観的な信頼、そこから展開された啓蒙主義(理性主義)。神との契約としての理性主義。理性還元としての個人主義

プラグマティズム。広大な土地の中で生き抜くために、思弁より実働を重視する。結果が正しいという考え方。科学的合理性は、現実の社会へアクセスし、結果を出すことで意味を持つ。

そして経済活動(天職)、理性、正義、神が、科学的合理性によって楽観的に繋がる。楽観的な科学的合理性の人間社会への展開。 心理学、社会学認知科学経営学、経済学、社会的進化論、自由主義ネオリベマネタリズムフォーディズム、IT産業、金融工学・・・。

啓蒙主義とは、神の言葉としてのニュートンが発見した科学の熱狂を、理性を単位として人間の社会の制度、法、道徳へと展開する試みである。まさにアメリカはその時代につくられて、空っぽの土地に科学と啓蒙主義の熱狂による理想郷が目指された。このような熱狂は二度の世界大戦によって破壊される。熱狂のもと作られた科学兵器によって大量殺戮が行われたとき、人々は科学が悪魔の言葉であることに気づく。しかしアメリカは二度の大戦で破壊されることなく、むしろ世界の覇者となる。そして科学と啓蒙主義の熱狂はアメリカの中に生き続ける。

たとえばアメリカは心理学のメッカだが、それは人間が数値化できるという楽観的科学主義からくる。天才は単純にIQという数値により評価される。さらにロボトミーなんて人間改造も生まれた。あるいはロリコン、浮気性などの性癖は科学的カウンセリングによる治療が求められる。

あるいはアメリカは様々な経営手法を生み出し続けているが、これもしかり。IT産業も、サービス業の楽観的な合理化から来ている。サービスという人間関係を合理的に科学に機械作業に置き換える。生の人間関係を重視する日本人にはできなかったのは当然である。あるいは最近では金融工学。金融に楽観的に科学を導入して、サブプライムローンを生み出し、リーマンショックにつながった。




アメリカ人と日本人は似ている?


日本人とアメリカ人は似ているところがある

プロテスタントとしての天職概念 → 日本人の仏行職分主義。
プラグマティズム → 日本人の現実主義。

アメリカはプロテスタントの国であり、天職概念により、金儲けではなく、使命として職を全うするという意味で、日本人の職分主義と近い面をもつ。努力、自己責任を重視する点が、日本人の勤勉主義に似ている。

しかし努力すれば報われるというところまではきても、アメリカの広大な土地、移民の国故に、日本人のように世間という閉鎖性を持てず、世間のためにみなが職分を全うするというような相手を具体性化できず、神から与えられた天職という個人主義の自由競争へと向かう。

アメリカ人が楽観的な合理性によって儲けることそのものを正当化するのに対して、日本人は儲けることは目的ではなく結果でしかなく、目的は世間のために貢献すること、役割を果たすことという職分主義である。すなわち日本人は個人主義より、無我論。 我を抑えて世間の中での役割を重視する。そして科学的合理性の正義より世間の善を重視する。




戦後、アメリカナイズする日本人


もともと似ている面もあり、戦後、日本人はアメリカ人の科学的合理性の思想を大々的に取り入れた。大まかに言えば、科学的合理性による、自由主義経済、産業主義をどんどん取り入れたが、民主主義、すなわち個人の平等については、日本人独自の世間の公平性を重視する。日本人の成功はまさにこのバランスにあるだろう。要するに、世間に働く慈悲エコノミーが、アメリカナイズに対して絶妙なバランスを維持している。

日本も民主主義が建前なので、 世間の公平性の重視は、いつも曖昧でヤリ玉にあげられる。特に左翼から。しかし実際は、曖昧な世間の公平性が日本を支えている。アメリカの裁判社会の異常さや、ときに起こる極端な政策など。偏りを日本では世間の公平性が調整している。

世界的に自由主義経済は、近代初期の格差の反省から社会福祉強化による弱者救済制度を取り入れていく。特に欧州では進んだ。しかしアメリカは、楽観的に合理主義からマネタリズムという自由主義の徹底に走り、超格差を許容する。 それに対して、日本は一見アメリカ的な自由主義経済を重視するようで、実は職分主義の世間という制度化されない暗黙の公平性から格差を抑制している面がある。




なぜアメリカ人は日本人と戦争を始めたのか


しかしこのような世間の公平性があからさまに肯定されない理由の一つは、世界大戦では世間の公平性が暴走したからだ。極限の中で、少数派を押しつぶして、世間が国家主義の一方向に走り出した。

当時、そもそもアメリカの経済的影響力、軍事力は圧倒的で、それを知っている日本はアメリカとの戦争を懸命に回避しようとした。アメリカは条約によって日本の動きを抑止すれば、日本と戦争をやる必要はなかった。それでもアメリカ人が日本人と戦争を始めたのはなぜか。アメリカ人の楽観的な科学的合理性の暴力か。

そして日本は戦略的な勝算が見えないまま開戦するという最初から追い込また状態にあった。物量を超えて世間を国家と一体にする国民総力戦へ。この時の究極のナショナリズムで、江戸時代に形成された世間の公平性が真に国民国民レベルへ浸透されて強化された。そして戦後のグローバル化な経済戦で日本が躍進できた大企業と系列会社の護送船団方式や、終身雇用など家族経営主義などの経済大国日本に引き継がれていく。

戦争中の経済過程は、戦後経済の直接の出発点になった。そこで、戦争は戦後の日本に何を残したのかを整理してみると、次のようなことがいえそうです。
たとえば生産能力の点では、戦争中に軍需生産の必要や、陸軍の要求した生産力拡充計画等々によって、重工業、化学工業はその設備を増設した。そのかなりの部分は戦後に残存した。・・・重化学工業の設備が残存し、その技術者や労働者が残っていたことが、戦後の経済復興が重化学工業を中心にして進められる条件になったことは重要な事実だと思います。
もう一つは制度の問題です。たとえば機械、飛行機、自動車、みんなそうですが、戦時中に下請制度が発達した。もちろん大企業が中心ですが、そこでは組み立てをするわけで、これに対してその素材、部品をつくるのは下請の工場である。
戦後になっても、たとえば自動車産業などが代表的ですが、一般に下請制がとられるようになった。・・・その制度的な基礎はやはり戦時中に築かれた。戦前は下請に仕事を出すことは、製品の品質を保証しないことを意味するとして嫌われていたのですが、戦争中にそんなことは言っていられなくなって、下請制が定着したのです。
昔でも、旧財閥系の、たとえば三井系の会社は三井銀行が、三菱系なら三菱銀行が面倒を見てきたのですが、現在では、たとえば富士とか第一勧銀だとかいうかつては産業との結びつきが薄かった銀行にも、それぞれの会社のグループができているのは、この時期からの関係です。一つの金融機関を中心に多くの企業が結びつく、金融系列といわれる企業グループができたのも、この時期からであった。
また、お役所の力が強くなって、さまざまな問題について、直接間接に産業界に指導をする、いわゆる行政指導が戦後の日本で行われたのは、国際的にも有名になっていますが、その原型は戦時期にできたといっていいと思います。
また、日本銀行が一般の銀行に対して強い力をもって金融面での統制をするようになったのも戦時中からであった。戦後銀行の資金力が弱まったことから、日本銀行の金融統制が引きつづき強く行われてきたわけです。P157-159


昭和経済史 中村隆英 岩波現代文庫 ISBN:4006001762