なぜアメリカ人にとって日本人は大切な友人なのか 楽観主義のアメリカ人と楽観な日本人


1 アメリカ人の信念 「科学的合理性による成果が正義である。」
2 精神は科学的合理性で設計されている
3 隠蔽された精神の科学
4 精神の科学はアメリカ人に継承された
5 なぜアメリカ人とって日本人は大切な友人なのか
6 日本人のコンビニエンスな社会




1 アメリカ人の思想 「科学的合理性による成果が正義である。」

「革新主義 」とは 、科学的合理的な方法によれば社会の問題を解決し正義が実現できるという 、科学万能ともいえる考え方である。そこには 、不安のなかにも人間の理性の能力を信じる楽観的態度が見られ 、その意味で 、革新主義は啓蒙主義の落とし子ともいえた 。革新主義は世紀末のアメリカ社会の混乱状態に 、 「アメリカの正義 」にもとづく秩序をもたらそうとし 、社会の組織化を図った 。その際 、科学的専門的知識を活用することが 、 「正義 」への道 、すなわち建国以来の 「自由 」と 「民主主義 」の理念の擁護に通じると考えられた 。そして 、革新主義によれば 、工業化 ・都市化がもたらした弊害 ─ ─貧困 、薬害 、自然破壊 ─ ─に対する改革や女性参政権のような平等権を求める改革も 、科学的専門的計算にもとづいて行うのが正しいとされた 。

アメリカの20世紀〈上〉1890年〜1945年 有賀夏紀 中公新書 ASIN:B00G44VI7A

目を覆うばかりのスラムの悲惨さとまばゆいばかりの大富豪の生活との差は 、当時は当然のこととして考えられることが多かった 。貧乏は能力がなく 、また努力をしなかった当然の報いであり 、金持ちは努力して自分の持てる能力を発揮したからそうなったのだと 、今日でもよくいう 。

一九世紀後半のアメリカ社会では 、貧富の差を 「科学的 」に正当化する議論が広がり 、一般に受け容れられていたのである 。そうした 「科学的 」な議論はソーシャル ・ダーウィニズムと呼ばれるものだった 。ひと言でいえば 、チャールズ ・ダーウィンが自然界の法則として打ち立てた進化論を人間の社会に適用したものである ・・・また 、今アメリカ発で世界中に広がっている市場競争原理優先の風潮は 、一九世紀のソーシャル ・ダーウィニズムの復活 、そしてそのグロ ーバル化ということもできるだろう 。

アメリカでソーシャル ・ダーウィニズムを広めたのはイェール大学の社会学者ウィリアム ・グレアム ・サムナーだった 。サムナーの説はスペンサーよりさらに強力に 、アメリカの実業家たちの行動を擁護するものだった 。富の独占は決して悪いことではなく 、産業界の指導者は才能と勇気と不屈の精神を備えており 、金持ちになるのは彼らの社会に対する義務であると論じた 。

同じ頃 、ホレーショー ・アルジャーが書いた靴磨きの少年が努力と忍耐によって出世する 『ぼろをまとったディック 』 (一八六七 )の物語も個人主義的価値観を強調しており 、二〇〇〇万部も売れ人気を博していた 。サムナーの大衆版がアルジャーだったといえる 。

アメリカの20世紀〈上〉1890年〜1945年 有賀夏紀 中公新書 ASIN:B00G44VI7A

アメリカ人の思考の概略は、「科学的合理性による成果が正義である。」という感じではないだろうか。経済活動(天職)、理性、正義、神が、科学的合理性によって楽観的に繋がる。

  • プロテスタントとしての天職概念。商売は卑しいことではない。金持ちは努力によって天職を全うし、世の中に貢献することで、神に認められた結果である。

  • 科学への楽観的な信頼、そこから展開された啓蒙主義(理性主義)。神との契約としての理性主義。理性還元としての個人主義

  • プラグマティズム。広大な土地の中で生き抜くために、思弁より実働を重視する。結果が正しいという考え方。科学的合理性は、現実の社会へアクセスし、結果を出すことで意味を持つ。




2 精神は科学的合理性で設計されている


ニュートンが天体の運行を科学的に既述したとき、科学は神の言葉となった。すなわちこの世界は科学的合理性で設計されている。そこから世界の解読、そして活用という熱狂が起こった。その熱狂はいまも続いていると言えるが、ただ最初の熱狂の半分はいまは封印されている。いまも伝わる半分とは、物を対象とした科学であるが、封印された半分とは精神を対象とした科学である。

この世界が科学によって設定されているとすれば、精神もまた科学的合理性で解読することができるはずである。現代ではこの異様な考え方は、かつて素朴に信じられていた。理性の科学法則、道徳の科学法則、法律の科学法則を見つける。それが啓蒙主義である。そして社会の科学法則の探求は、社会主義、そして全体主義を生み出した。道徳の科学法則の探求は経済学を生み出した。アダムスミスが道徳学者だったのはそのためだ。さらに進化論は、社会的進化論、そして優生学を生み出した。精神の科学法則の探求は、心理学を生み出した。




3 隠蔽された精神の科学


面白いのは、精神の科学は、いまも語られる物理学や化学の科学技術という物の科学とともに確実に科学の大きな主流を担ってきた。にも関わらず、現代ではまったく歴史の上から消されている。精神の科学者たちは、物の科学者と同等、それ以上に有名で尊敬されていた。

精神を科学することが現代においては封印されているのは、精神を物として扱うことで、人の尊厳が失われからだ。特に精神の科学がなかったことにされたのは、二度の世界大戦である。特にナチスは、精神の科学を活用した。優生学は、ドイツ人の優性、ユダヤ人の劣性の科学的証明に使われた。強制収容所は、精神の科学の実験場であり、全体主義は、精神の科学の発明である。

Wiki コント 社会学の父
オーギュスト・コントは著書『実証哲学講義』で、上述の社会状況を研究するために、当時大きな発展を遂げていた生物学(生理学)を根拠にした、社会動学と社会静学という二つの社会学を構想した。ダーウィンの『種の起源』自体は発表されていなかったが、ラマルクなどの進化論が知られており、進化についてのアイデアを取り込み、社会静学は有機体としての社会を研究し、社会動学は三段階の法則に従って発展してきた社会発展を研究する学問と位置づけた。

Wiki スペンサー 社会進化論
スペンサーは進化を自然(宇宙、生物)のみならず、人間の社会、文化、宗教をも貫く第一原理であると考えた。スペンサーは進化を一から多への単純から複雑への変化と考えた。社会も単純な家内工業から複雑化して行き機械工業へと変化する。イギリス帝国が分裂してアメリカが出来る。芸術作品も宗教の形態も何もかもすべて単純から複雑への変化として捉えるのだが、単に雑多になるのではなくより大きなレベルでは秩序をなすと考えるのである。未開から文明への変化は単純から複雑への変化の一つである。その複雑さ、多様性の極致こそが人類社会の到達点であり目指すべき理想の社会である、と考えられた(ホイッグ史観)。従って、こうした社会観に立つあるべき国家像は、自由主義的国家である。このような考え方が当時の啓蒙主義的な気風のなかで広く受け入れられた。

Wiki ゴルトン 優生学と近代統計学の父
ダーウィンの進化論の影響を受け、心的遺伝への興味から出発し、人間能力の研究、優生学、相関研究を含む統計的研究法を発達させ、今日の個人的心理学の基礎をつくった。1869年の著書『遺伝的天才』の中で、彼は人の才能がほぼ遺伝によって受け継がれるものであると主張した。そして家畜の品種改良と同じように、人間にも人為選択を適用すればより良い社会ができると論じた。当時のイギリスでは産業革命からしばらく過ぎ、社会主義思想の広まりとともに労働者の環境も改善されつつあったが、ゴルトンは社会の発展のためには環境の改善よりも生物学的な改良が有意義だと信じていた。

Wiki ケトレー 統計学の父 社会物理学
当時の新しい研究分野である確率論と統計学は最小二乗法などの形で主として天文学に応用されていた。ラプラスは確率論を社会研究にも応用することを考えていたが、ケトレーはこのアイディアに基づき「社会物理学」の名で研究を開始した。彼の目標は、犯罪率、結婚率、自殺率といったものの統計学的な法則を理解し、他の社会的要因の変数から説明することにあった。このような発想は自由意志の概念に反するということで当時の学者の間に議論を巻き起こした。18世紀以来の「神の秩序を数学的に明らかにする」という思想ではなく、個人の行動に基づいて科学的な法則性を追究した点で功績がある。




4 精神の科学はアメリカ人に継承された


現代の、経済学、社会学、心理学、認知科学遺伝子工学など人間科学は、すべてこの精神の科学の継承である。そしてそれを継承しているのがアメリカ人である。その遺産を独占することで、大きな成果と富を得てきた。自由主義経済学、心理学、社会学経営学認知科学など、さらにはフォーディズム、流通方式、自由主義思想、マネタリズム、IT産業、金融工学・・・。

科学的合理性を人間の近辺に適用するときに生まれる倫理的な問題。精神を科学的合理性により分析することへの躊躇。アメリカ人の信念「科学的合理性による成果が正義である。」だけが乗り越える。世界はアメリカ人が楽観的に踏み越えるのを待っている。人工授精、クローン人間、サブプライムローン人工知能、自動運転・・・

なぜ日本でIT革命が起こせないのかと、悲観的に語る人はなにもわかっていない。IT革命はアメリカ人にしか起こせない。金融革命しかし、遺伝子操作しかり。IT革命が隠蔽されたものとはなにか。金融工学アメリカ人が隠蔽したものはなにか。遺伝子工学アメリカ人が隠蔽したものはなにか。

なぜアメリカ人は、科学的合理性に対して楽観的に信じることができるのか。まさに科学の熱狂の時代に、国がつくられたためだろう。空っぽに、科学的合理性が基礎となり、社会が組み立てられた。また欧州が科学的合理性を疑い始めたのは、世界大戦で本土が戦場となり、科学兵器で多くの犠牲を出した、また全体主義が暴走したという経験を味わったことが大きいが、アメリカは本土が戦場にならず、なおかつ世界大戦によって世界1の大国になれた良い経験だった。さらには、大きな大陸の中で自然と闘い生きていく中で、理屈よりも結果を出すこと、プラグマティックであることが信じられた。その意味で、科学はいつも大きな成果を残してきた。




5 なぜアメリカ人にとって日本人は大切な友人なのか


この問題は、近代哲学そのものの問題だ。ヘーゲルはコントを継承し、マルクスヘーゲルを継承している。アメリカ人の哲学は楽観的な科学的合理性からくる論理実証主義の系譜であり、欧州の哲学は、科学的合理性を監視するためにある。

精神の科学は、西洋ではキリスト教に変わる思想として期待された。それがいまは西洋ではタブーでありつつ、過去の教訓として、西洋哲学の基本の一つになっている。そして特に戦後の西洋哲学はその反省から始まっている。ポストモダンなんかはまさにそうだ。

しかし日本では全く触れられない。これを知らないと戦後の思想の意味を理解できないにも関わらず。中野学校などのタブーはありつつ、精神の科学の問題は、日本人には全くリアリティを持たない。だから日本人には、精神の科学という思想は必要がなかったからだ。慈悲エコノミーによる世間の公平性があったから。ただ西洋から流れてくる科学技術を産業に活用し、効果があるだけに興味があり、それ以上の意味を受け取らない。

日本人の、科学的合理性の倫理に対する感受性の低さは、現代において武器である。深く考えずに、アメリカ人の真似をする。まさにそれが戦後日本の推進力である。それは単なる無知なのではない。日本人には、世間の公平性という共同体の基盤がある。だから科学はどこまで言っても道具でしかない。そこから思想を読み込む必要はない。アメリカ人の科学的合理性が積極的な楽観主義とすれば、日本人の科学的合理性はお気楽な楽観だ。

日本人に取ってアメリカ人は次々に便利な道具を提供してくれる有用な友人である。そしてまたアメリカ人にとって日本人は重要な友人である。踏み越えた倫理に、まずお気楽に賛同してくれる。そこから、欧州を含めて世界がついてくる。




6 日本人のコンビニエンスな社会


戦後、日本人はアメリカ人の科学的合理性の思想を大々的に取り入れた。大まかに言えば、科学的合理性を道具として楽観的に産業、自由主義経済としてどんどん取り入れ経済成長し、豊かさを手に入れた。それに対して、民主主義、すなわち個人の平等については、日本人独自の世間の公平性を重視する。日本人の慣習にあるのは無我論。 我を抑えて世間の中での役割を重視する。

自由主義経済は、近代初期の格差の問題への反省から弱者救済のための社会福祉政策を取り入れていく。特に欧州では進んだ。しかしアメリカでは、楽観的な科学的合理性からマネタリズムという自由主義の徹底に走り、超格差を許容する。

それに対して、日本は一見アメリカ的な自由主義経済を重視しているようにで、先進国の中でも格差が小さいく抑えられているのは、世間の公平性という制度化されない暗黙の抑制が働いているからだ。社会とは個人が直接的にコミットする場であるのに対して、世間とは個人が職分(役割)を通して間接的にコミットする場と言える。職分主義により世間へ貢献することで公平性を担保する。

それは結果的に、高度な消費社会を生んだ。お金があればなんでも買える、わずかな金で豊かに暮らせるコンビニエンスな社会。人々は貨幣依存し直接的な他者との関係を回避し、個人の趣味を楽しむ「消極的な自由」を求める。そしてわずかな金で豊かに暮らせてしまう社会では、当然、売り上げは伸びず、デフレとなり、経済は低成長となり、非正規雇用増加し、給料は増えず少子化、そして高齢化する。

これはマルクスのいう物象化を高度に発達させたといえる。マルクスは物象化を主体の消失ととらえたが、日本人は無我として利用した。日本人が物象化しても主体が疎外されないのは、世間の公平性という別の通路が担保されているからだ。