なぜ現代哲学史は哲学史の半分を隠蔽したのか マクロコンテクストの時代

現代哲学史は哲学の半分を隠蔽する


啓蒙主義による理性主義の挫折のあと、正義は二つに分裂した。マクロコンテクストとミクロコンテクスト。マクロとは、統計的な正義、ミクロとは、理性主義の継承。

哲学史で言えば、ここで社会科学と哲学が分離した。マクロは、人間社会を科学的に扱う方法、すなわち統計学的を発見した。経済学、社会学、心理学など。そして哲学はミクロを扱う分野として、限定される。いかに理性を救うか。マクロが主流になり、ミクロはマクロの監視という倫理学が役割となる。

ここがすごく重要で、現代の哲学好きの多くはこれがわかっていない。ようするに、いま哲学史を語るときに、カントから現代までの哲学は、すでに切り離されたミクロという片側しか語っていないということ。マクロは社会科学であり、哲学とは異なる分野と考える。

哲学はすべての学問の源と言われた。せめて人間を扱う学問の源と考えても、現代の哲学はその半分も担っていない。現代の哲学はミクロしか語らないと言うことを知らないといけない。




ポストモダンの真の意味


こう考えると、ポストモダンの熱狂とは何かの意味も大きく変わる。ミクロの哲学史に限定すれば、マルクス主義現象学など主体論、すなわち理性主義のカウンターとしての、関係の哲学である構造主義。理性的であれ!という閉塞からの解放。人は関係性の構造の一部でしかない。無意識は構造化されている。理性的であれ!と言うことは根性論でしかない。

しかしマクロも見据えて考えると、もっと複雑な様相がある。マクロ、すなわち哲学を排除して、人間社会学の主流となった統計学的分野とは、たとえばしらーと科学のふりをして無思想を装う経済学という哲学思想。フーコーは「生権力」と呼ぶことでこの化けの皮をはがす。たとえば、ラカン精神分析で、徹底的に心理学を批判する。人は一人一人が幼少からの経験という一回性を持ち異なる。心理学というように確率論的に分析はできない。しらーと科学のふりをして無思想を装う心理学の思想性を暴く。

だからミクロとしての哲学史に閉塞しないでほしいわけです。プラグマティズムも、ちゃんとミクロとの関係で考えてほしい。特に日本では哲学は青春小説だから、哲学史本はミクロの歴史のみを美しく語る。哲学はカントでマクロに移行しマイナーになった。主流を人間社会学に取られた。カントはヒュームを乗り越えたんじゃない。ヒュームからアダムスミスと続くマクロ本流から逃げて、自閉しただけだ。マルクスはなぜ資本論という経済書を書いたのか。いろいろ批判はありつつ、科学的であろうとした。それはマクロに立ち向かうために、自らも新たな科学的な記述を試みた。




アメリカ人哲学者 VS ラカンデリダ


経済学、社会学、心理学、経営学など人間社会学は、しらーと無思想のふりをしているが、れっきとした哲学思想なんだよ。なぜそれを語らないのかね。現代は、哲学よりも、人間社会学の方が思想としてずっと大きく働いているだろう。

いまはしらーと無思想のふりをする人間社会学の思想性がむき出しになるのが、まさに第二次科学革命の時期なんだよ。社会進化論優生学など、いまは封印されたこれらグロの子孫として、いまの経済学、社会学、心理学、経営学など人間社会学はあるんだよ。哲学を青春小説と楽しむならいいが、現実の生活の問題とするには、これは避けては通れない。いままさにマクロの思想の中を生きているわけだから

ラカンアメリカを訪問したときの話は伝説だ。マクロの中で生きているアメリカの知識人たちの前に、マクロを批判する。しかしラカンは直接的な批判をしない。いつものあのパフォーマンティブ(行為遂行的)な方法をとる。すなわち講演自体が批判演劇として演じる。だからアメリカの知識人たちは????となる。あるいはデリダとサールの論争。パフォーマンティブ(行為遂行的)とコンスタティブ(事実確認的)は判別できるか?

ラカンにしろ、デリダにしろ、ようするにコンスタティブ批判なわけだ。簡単に言えば論理学批判。論理学なんて存在しない。それは、無思想な科学なんて存在しないと言うこと。無思想な科学をもっとも楽観的な信じるアメリカ人たちを批判したわけ。それは、無思想な科学信仰がまさに世界を作っているからそしてアメリカ人が楽観的にそれを推進している。




左翼と右翼の系譜

古くはプラトン以前とプラトンとの違い、あるいはプラトンアリストテレスの違いにまで遡り、スコラ神学者においては神の存在の弁証可能性をめぐる対立として再燃した、「主意主義主知主義」の対立がある。厳密に、前者が右翼、後者が左翼である。

色々な規定が可能だが、主知主義とは〈世界〉を知識で覆える(神を合理的に弁証できる)とする立場、主意主義とはそれを否定する立場だと考えるといい。主意主義がそれを否定するのは、意思を知識に還元できない端的なものだと見做すからである。


宮台真司 http://www.miyadai.com/index.php?itemid=259

左翼とは合理性を求めて、コンスタティブに世界が成立しているという美学に魅了される、コンスタティブに世界は設計できるという欲望に取り付かれている。対して、右翼はこの世界の成立しているありのままを受け入れて、コンスタティブに理解できない限界を知り、宙づりを生きる。確かに多くは宙づりに耐えられず、そこに神性見る。神の手、ナショナリズム国家神道など。そして神性へと傾倒が行き過ぎることもある。宣伝カーから宇宙戦艦ヤマトを轟音で流し徘徊するのは、ネタとしても。

主知主義、左翼の一つの起源は、プラトンまでさかのぼれる。プラトンの合理主義の世界は合理的に設計されているという美しさは、人類を魅了しつつけた。これは、師匠のピタゴラスの数理神学、ピタゴラス教にさかのぼれる。ピタゴラスはこの世界が数学的な美しさで設計されているという考え、その数式を探し続けた。それが今の左翼まで繋がっている。対して、主意主義は、アリストテレスなど、世界の合理性を放棄して、成立している現実そのものを重視した。

プラトン主義が再び息を吹き返すのは、ルネサンス期だろう。この世界は神の力を借りなくても、合理的に記述できる。その頂点がニュートン古典物理学、そして啓蒙主義である。啓蒙主義による理性主義の挫折のあと、正義は二つに分裂した。マクロコンテクストとミクロコンテクスト。マクロとは統計的な正義、ミクロは理性主義の継承。




マクロの飛翔


マクロは、統計学をベースに全体において、秩序は現れるという正規分布中心主義。代表的なものが、自由主義経済学だ。ここでは個は全体の一単位になります。個のかけがえのない人権がないがしろにされがちだ。ミクロとは、理性という人権を尊重したもの。代表的なものが、社会主義、社会設計主義、共産主義だ。個のかけがえのない人権を尊重しつつ、合理的に社会は設計しえるという考える。

近代化で、マクロを大々的に取り入れました。このために重要なことは、人々を国民として整流する必要があります。それに大きな役割をしたのが、義務教育です。そして教えるための、国語など国家標準の作成です。近代国家の形成では、国民への整流により、国民の国家意識の目覚め、ナショナリズムが生まれます。

イギリス啓蒙主義のヒュームにしろ、アダムスミスにしろ、まだ合理性を信じていた。彼らは主体の理性は限界であるが、主体間の共感を原理として関係性により合理性を担保しようとする。共感において正義は維持される。それはあまりにも楽観的すぎる。アダムスミスの国富論では、主体の利己性が集団全体において秩序をもたらすという、マクロへと飛躍する。そこに自由主義経済学が生まれる。リカードマルクス、そしてベンサム功利主義。最大多数の最大幸福。

たとえば、ダーウィンの発明は進化論ではなく、突然変異と自然淘汰である。すなわち正規分布が進化論を作っているという発見であり、これはマルサス人口論からヒントを得たと言われる。人口は、食料の増加に対して、人口が急激に増えることのバランスにより、淘汰により、調整される。これは近代の西洋人が発見したマクロの成果である。それらの先に、社会進化論が出てくる。たとえば格差はマクロの自然な淘汰の結果であり、悪くない。さらに社会進化論優生学、すなわち人類進化論に繋がる。

近代思想のもっとも面白い時期が、第一次科学革命と第二次科学革命の過渡期で、まさに混沌として様々な思想が生まれる。まだ科学と哲学思想が未分化でトンでもだった時代、そこから現代の社会科学の多くが生まれた。

18、19世紀の双方において、数学的確率論は社会についての真の科学たらんとする希望と固く結びついていた。とはいえ、コンドルセーの「社会数学」とケトレーの「社会物理学」とでは、数学的確率と社会科学の双方にかんして、それぞれの考えにはっきりとした違いがあった。

18世紀の数学的確率は合理的人間のなかの1人のエリートの判断と決定とをその主題にとりあげた。また18世紀の道徳科学も行動や信念にたいする合理的根拠を示すことをめざした。いずれもそのアプローチの点では個人主義的、心理学的、かつ規範的であった。

19世紀の確率論者たちは自分たちの理論を統計的頻度を用いて理解した。19世紀の社会科学者たちは規則性を探究したが、それは個人行動というミクロのレベルではなく、むしろ社会全体というマクロのレベルでの規則性であった。18世紀の思想家にとり、社会は法則に支配されたものであったが、それは社会が合理的個人の総計であったからである。19世紀の反対者たちにとっては、社会はその構成員が非合理的な個人であるにもかかわらず、法則に支配されていた。P200


「確率革命」 第6章 合理的個人と社会法則の対立 L.J.ダーストン (ISBN:4900071692

ケトレーはこれらの初期の著作において、何よりも次の事実に関心を向けた。すなわち身長的特徴の平均や非身長的特徴、たとえば犯罪や婚姻の比率は、長期をつうじてまた国もいかんを問わず、年齢その他の人口学的変数と驚くべき安定的関係を示すということである。彼が社会的世界の「法則」とよんだのはこれらの関係である。平均人という考え方は、1835年の彼の最初の本で最大の役割を果たしている。しかし彼は1840年以降になると、平均や比率の安定性だけではなく、それ以上にこれらの特性の分布に関心を示した。彼は人間の身長や体重の分布をグラフに描いてみると、今世紀初めから研究されていた観測誤差の分布と非常に似ていることに気づいた。そこで彼は、身長的属性の分布を正規分布であるかのごとくみなせるという固い信念を持つようになった。・・・彼の確信によると、十分な観察ができれば、身長的特性の分布のみならず、身体的でない特性の分布もつねに正規分布になる。P234-235


「確率革命」 第8章 生命・社会統計と確率 ベルナール=ピュール=レクイエ  (ISBN:4900071692

 wiki優生学

 1860年代から1870年代にかけて、フランシス・ゴルトンは従兄弟のチャールズ・ダーウィンの『種の起源』におけるヒトと動物の進化に関する新たな理論に影響を受けて、独自に解釈した。ゴルトンは“自然選択のメカニズムはいかにして人間の文明によって潜在的に妨げられているか”という文脈において、ダーウィンの研究を解釈し、「多くの人間社会は経済的に恵まれない人々と弱者を保護に努めてきた。それゆえにそれらの社会は、弱者をこの世から廃絶するはずの自然選択と齟齬を来してきた」と論じた。

 ゴルトンは、これらの社会政策を変えることによってのみ、社会は「月並みな状態への逆戻り(reversiontowardsmediocrity)」(統計学において彼が最初に作った造語である)から救出することが可能であると考えた。この語は、現在では一般に「平均への回帰(regressiontowardsthemean)」という用語に置き換わっている。ゴルトンは1865年の論文「遺伝・才能・性格」において始めて自説を開陳し、1869年の『遺伝的天才』において、「天才」と「才能」は人間において遺伝するとした。また、「人間は動物に対して様々な形質を際立たせるために人為選択の手段を用いることが可能であり、そのようなモデルを人間に対して応用するなら、同様の結果を期待することが出来る」として、次のように述べた。

 人間の本性の持つ才能はあらゆる有機体世界の形質と身体的特徴がそうであるのと全く同じ制約を受けて、遺伝によってもたらされる。こうした様々な制約にも拘らず、注意深い選択交配により、速く走ったり何か他の特別の才能を持つ犬や馬を永続的に繁殖させることが現実には簡単に行われている。従って、数世代に亘って賢明な結婚を重ねることで、人類についても高い才能を作り出しうることは疑いない。

 --ゴルトン『遺伝的天才』(1869)序文

 優生学は20世紀初頭に大きな支持を集めたが、その最たるものが生物学者オイゲン・フィッシャーらの理論に従って行われたナチス政権による人種政策である。他にナチス政権はオトマー・フライヘル・フォン・フェアシューアー(OtmarFreiherrvonVerschuer)による双生児研究(双生児研究(ナチス))など数多くの優生学上の研究を行っている。

 ナチとの繋がりで研究や理論が具体化する一方、公での支持は次第に失われていった。ナチスの人種政策という蛮行が多くの倫理的問題を引き起こした事から、優生学は人権上の問題として取り上げられ次第にタブー化していった。

 しかし近年の遺伝子研究の進歩は優生学者が説いた「生物の遺伝改良」が現実化できるという可能性を結果として示す事になった。遺伝改良が社会上有益かどうか、また仮に有益だとしても倫理上許されるのかどうかなど、優生学的な研究の是非が問い直されつつある。