2020日本維新案 次の日本人の幸福に向けて

pikarrr2017-04-28



真のIT革命の実現により、日本人の職分のあり方が多様で、勤勉さが活躍できる、やりがい、尊厳ある生活様式を再構築する。そして世界へ展開する。


ビットコインの普及による真のIT革命を実現し、
  ネット上に新たな収入源となる慈悲型経済圏を育成し、いまの企業依存による雇用不安からの脱却を目指す


●IOTを使った日本人のおもてなしの自動化により真のIT革命を実現し、
  社会生産性を飛躍的に向上し、労働を近代的時間管理から解放する


●高齢での死を国家のマス管理から解放して尊厳死を進める





なぜ仕事はつまらなくなったのか?

日本維新の系譜


1860明治維新……産業革命、資本主義 → 問題:財閥化、格差
1930昭和維新……国家社会主義 → 問題:軍国主義
1940戦後維新……民主化、会社主義 → 問題:会社主義崩壊、格差

第二次産業では、機械による自動化により効率を上げるとともに、作業者の機械を操る熟練や改善が効率化を進めた。まさにそれが日本企業の強みだった。終身雇用、年功序列を基本として、日本人の勤勉さが発揮され、やりがいが生まれた。

第三次産業は、人に対する個別の対応を要求し、流動性が早く、サービス内容は絶えず変化する。効率化のためには作業はマニュアル化、雇用は必要なときに必要な時間を雇えるバイト的なものが求められる。無駄な改善は求められない。時間内にマニュアルをこなす。さらにIT化により無人のセルスサービス化が進められる。日本人の勤勉さは行き場を失い、やりがいは失われる。仕事は対価を得るため、そして日本人の勤勉さは趣味の領域へ向かった。

ネットの発達は人々に生産手段とコミュニケーション手段を与えて、ネットには無償であるが有用な価値があふれている。そして、互いに「いいね」を交換し、その数がネット上の価値をなる。より有用な価値を提供した人は神と呼ばれる。なぜなら無償だからだ。なぜ神たちの労力に貨幣価値はつかないのか。ネットは無償の神々の世界なんだろうか。IT企業は莫大な金を稼いでいるではないか?その元は、神々の労力ではないのか?まだネットは資本主義経済を便利にし、新たな企業を生み出しただけで、なんの革命も生み出していない。




真のIT革命とはなにか?


いまのネットは資本主義経済を便利にしただけだ。なにも革命を起こしていない。ビットコインという真のIT革命は、資本主義経済、国家再配分、身内贈与交換に続く、新たな第四の経済を生み出す。慈悲型経済だ。それにより労働を買ってもらうことでしか生きられなかった人々を解放される。

いまのネットはセルスサービス化により生産性は向上したが、質を落としただけだ。なにも革命を起こしていない。IOTという真のIT革命は、個々に対して高度に配慮したサービス、おもてなしという慈悲型サービスを安価に自動で提供する。それにより飛躍的に社会の生産性は向上して、時間労働、単純労働、長時間労働から解放される。

そのとき、日本人の勤勉さは新たな活躍の場を見出し躍動する。




ビットコインの普及による真のIT革命


ユーチューブに動画を上げて、1回見られると広告収入は約0.1円。1万回で千円。ユーチューブ側に多くの収入が取られている。もしこれが一人10円なら1万回で10万円。それならそれなりの収入だ。今の問題は、簡単に10円を渡す手段がないこと。ビットコインはそれを可能にする。とにかくワンクリックで安全に手数料なく相手に少額を課金することができれば、ネットの意味は全く違うものになる。一人10円でも、1000人で一万円である。いまは多くのネット上の創作がただの趣味になっているが、それなりの収入になる。それだけで生活できなくても、正社員に固執せずに、ある程度働いて、ネットの収入で生活できるようになる。さらにカンパのようなシステムも考えられる。ほんとに困ったときに一人100円カンパしてもらい、1万人集まれば100万円である。

農業社会では農民は土地という生産手段を持ち、自給自足していた。金がなくても食うことに困らなかった。それが資本主義となり、生産手段を失い、労働力を買ってもらわなければ、食うこともできないという弱い立場に追い込まれた。たえず雇用不安に怯えるために、会社側の条件をのむしかない。ビットコインにより再び大衆が生産手段を取り戻す。これによって、会社側に対する立場も途端に強くなる。交渉が決裂しても、生産手段を持っている。これは、新たな経済革命であり、ネットの真の革命がここにある。いままでは、ネットは便利にはなったが、それまでもシステムをなにも変えてこなかった。

いまもサービス残業レス、フレックスタイム、在宅勤務など労働時間の短縮を進めているが、不十分なのは、確かに日本人の仕事好きという理由はある。しかしそれとともに、雇用不安がある。生産手段を持たず、会社に労働力を売るしか生きるすべがない。会社に対して弱い立場故に、無理しても働かざるをえない。

しかし実はボクたちはすでに強力な生産手段を手に入れている。パソコンがネットに繋がっていれば、それだけで大企業の負けない生産手段だ。ムーアの法則によって、生産手段は安価になった。

ではなぜその生産手段で自ら収入を得ることができないのか。商品を売る手段がないからだ。売る手段として、グーグルやユーチューブなどネット企業に抑えられて商品を売ってもわずかな広告収入をもらうだけで、あとは搾取されている。

いま直接課金は、セキュリティのために課金をネット企業に頼まなければならない。課金が少額だと元が取れない。さらに手続きめんどくさい。それを解放するのがビットコインだ。ネット上で課金するためには、一人少額、安全、ワンクリックこれが必要である。これによって、人々は集金手段を伴った真の生産手段を手に入れることになる。これは、農業社会以来の、経済革命といえる。

これは、単にシステムを設計する左翼革命ではない。この革命は日本人の慈悲の経済則(エコノミー)への信頼に基づいている。日本人ならば、少額、安全、ワンクリックが可能になれば、お金が動き出すだろうという期待だ。無尽講のように、ネットカンパが行われるようになる。すなわちネット上に新たに慈悲エコノミーに補完された経済が動き出す、みんなで動き出そうぜ!ということだ。実際、コミケとか、いろいろ動いているが、ビットコインはそれを一気に強大化するだろう。




●IOTを使った日本人のおもてなしの自動化により真のIT革命


なぜ日本人はITの推進でアメリカに劣るのか?いまのITとは簡単に言えば、セルフサービス化である。サービスを自動化して自ら処理をすることで、サービスの費用が下がる。アメリカのサービスはもともと悪い。なら自分でやった方がまし。それがITのセルフサービス化の普及につながった。しかし日本人にとって「サービス」に無料の意味があるように、きめ細かくそしてただである。なんで質の悪いITなんて使わなければならないのか?しかしIOTになって初めて、日本人が納得するレベルのサービスが提供可能になる。いままでは練習のようなもので、IT化がやっと始まる。 日本人のおもてなしがIT化して世界に広がる。

いままでAIは現象に対して俯瞰して解を求めることが目指されたが、現場レベルの無数のケースに対応できなかった。それがAIのジレンマだった。ディープラーニングはそれをどのように乗り越えるのか。現場を経験させるのだ。チェスなら、チェスの完全な解を求めるのではなく、休みなくチェスの勝負を繰り返させる。疲れを知らないから永遠にゲームし続けさせて上達させる。そしてその経験は他のAIに移植でき、そしてさらに強くなる。すなわち、最新のAIは現場主義ということだ。いま、時代は現場主義である。コンピュータの発達は、プラトン主義的な合理的な知から、現場主義的な暗黙知を可能にしている。合理的な知の限界は、無限の状況に対応できないことだった。まさに人工知能ディープラーニングは解を与えるのではなく、経験させて自ら深層学習する。その現場で学ぶ。まさに現場主義、体験することに人工知能は賢くなっていく。今日の現場は昨日の現場とは違うし、今日の人工知能は昨日の人工知能とは違う。日々の活動が新たな現場、新たな人工知能、そして新たな関係を作り、日々向き合う。その先におもてなしレベルのサービスの可能性がある。

IoTが普及した世界でいうモノとは、ユーザーからするとモノであることを忘れさせ(そもそもモノであるかどうかさえ気にならなくなり)、モノが自律的に判断した上で、全体の中で最適な制御を行うようになると言えます。これをモノのスマート化と捉えています。P45

IoTまるわかり 三菱総合研究所編 日経文庫 ISBN:453211344X




●高齢での死を国家のマス管理から解放して尊厳死を進める


近代になって近代国家の成立とともに急にマスが重要になってきた。人をかき集めて、教育して、優秀な労働力、軍事力として育てることが重要になった。それと合わせて、平等、人権が叫ばれるようになる。誰もが貴重な労働力であり、大切にするべき、そして誰もが等しいという奇妙な考えが登場する。マスとしての人間、機械と連動し分刻みの時間で管理された労働力から、かけがえのないない人間、人権、それは近代に生まれた裏と表である。

IOTにより、サービス業がおもてなしレベルで自動化されて、労働が機械化に変わり、社会の生産性が向上したとき、人は分刻み時間管理から解放される。すでに進む労働時間の短縮、労働形態の多様化はさらに進む。国家はマスにこだわる必要がなくなる。理念なくなんとしても人を増やす、生かすことは、方向転換されて、生の管理も柔軟になるだろう。死に対する権利が見直される。人には自らの死を自らの意思で決める権利がある。

今も自殺はあり、自らの死を選んでいるようであるが、自殺は社会的に認められない非業である。そうではなく、社会的な正当な権利として、自らの死を選ぶ権利。様々な倫理的な問題はあるだろうが、すでに一部始まっているように、無駄な延命医療をやめてもらうこと。延命医療は技術的な進歩でしかない。高齢での自らで死を選ぶ権利の取得。高齢化社会で、社会保障費の削減、家族の介護の負荷の問題を解決する。




日本人の法則 慈悲の経済則(エコノミー)


ボクが言いたいことは簡単なことで、日本人は勤勉である、ということ。これは散々あちこちで言われている。そしてその勤勉さは、慈悲の経済則(エコノミー)で作動している、ということ。では、慈悲の経済則(エコノミー)とはどのようなものか。

・世間へ貢献する。特に職を通して貢献する。
・貢献したことを気づかれて気遣いをさせないよう貢献する。

これを経済則として表現すると、人類共通の原初的な経済則である「贈与に対して返礼する」贈与交換に対して、

・世間へ「見返りなく贈与する」。特に職を通して「見返りなく贈与する」。
・「贈与した」ことに気づかれて「返礼」しないといけない気遣いをさせないよう「贈与」する。

たとえば簡単な例として「おもてなし」を考えると、おもてなしとは、相手が誰であるかに関わらない世間へのもてなし(貢献)である。そしてもてなし(貢献)したことを気づかれて気遣いをさせないようもてなすことを究極とする。

これを仏教でいうと「三輪清浄」という。

後代の仏教においては、他人に対する奉仕に関して「三輪清浄」ということを強調する。奉仕する主体(能施)と奉仕を受ける客体(所施)と奉仕の手段となるもの(施物)と、この三者はともに空であらねばならぬ。とどこおりがあってはならぬ。もしも「おれがあの人にこのことをしてやったんだ」という思いがあるならば、それは慈悲心よりでたものではない。真実の慈悲はかかる思いを捨てなければならぬ。かくしてこそ奉仕の精神が純粋清浄となるのである。P129

慈悲 中村元 講談社学術文庫 ISBN:4062920220

対価のために仕事をする、すなわち等価交換することは世界的には当たり前だが、逆に対価のためだけに仕事をする日本人なんてはいるのだろうか。日本人の勤勉さは単なる頑張りではなく、自主的な最善、改善への頑張り。なぜなのか言われても、日本人はそれが当たり前だからとしか言えないだろう。もはや慈悲の経済則(エコノミー)がからだに染みついている。