(2ちゃんねる哲学板)形而上学批判とポピュラリティー

964 :パレルゴン :04/02/28 23:46

「反復可能性」とは形而上学的な現前性を意味しているのではないと考えるのがデリダなんだと思う。一般的には同じ言葉(エクリチュール)は場面が変わっても、同じ意味を現すことで言葉としの役目を果たすのだが、デリダはその反復する言語がその意味が変わることを強調していると考えれば、一つの言語=一つの意味と言う確定的な真理表現がつまり、真なる言語=ロゴスは成立しなくなる訳です。これが、ロゴス中心主義批判なわけですよね。そこから、西洋の形而上学は真理を言語=ロゴスとして、現前を強制的に真理化したと言う事です。つまり、真理の根源=神=イデーを基礎として世界のあるべき姿とピラミッド的に構築するんですが、このロゴス的組織構築が、実は二項対立的に可・不可、或いは善・悪を振り分ける事でもあるわけです。そして、優劣をつけると言う差別化が起こる。このことに反対したのがマイノリティ、ジェンダー、ポスト・コロニアル運動の基盤になっています。勿論、「逃走」とはメジャーな二項対立的価値感を横断するんですが。そして、二項をすり抜ける。脱臼させると言う事になるだろうと思います。

970 :ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :04/02/28 23:51

デリダは、形而上学的な現前性というよりも、形而上学の現前性によるロゴス中心主義を批判しているわけです。簡単にいえば、プラトンなわけです。しかし哲学史に本当に「形而上学」なるものがあったか、これはデリダの「読み」でしかないわけですね。簡単にいえば、デリダのいう「形而上学」という記号の引用可能性を「消費」しなければいけないわけです。これは脱構築ではありません。脱構築=記号消費、消費=記号消費+人格消費ですから。
すなわちデリダはなぜ「形而上学」危機感を煽らなければならなかったのか。さらには、なぜ大衆はデリダのいう「形而上学」を受け入れたのか、大衆に受け入れられなければ、ただの戯言であり、思想の99%は戯言で終わるが、デリダは選択された。それはなぜか。すなわちデリダはなぜポピュラリティーを勝ち得たのか。

975 :パレルゴン :04/02/29 00:00

いや、一般的に形而上学といわれているものはあると考えてもいいのではないでしょうか?そこから、ポスト・構造主義と呼ばれる哲学者が現われたんですから。例えば、全ての論理的分析がいま批判されているのならば、全ての論議は無意味です。そう言う意味で、ぴかぁ〜さんが「形而上学とは無数に解釈可能」と言っているのならば、賛成ですが、この場合これ以上の論議は無意味と言う事になりますね。なぜなら、論議とは真理の探究でもあるわけです。だから、「貴方の考えはそうですか。私の考えはこうです。」と言う羅列のように話すしかない。あるいは、比喩と隠喩、韓愈のように「あれはこの様な物です。」と言う以外にはないのかも知れませんね。
ちょっとぴかぁ〜さんの捕らえ方が良く分からないのですが。むしろ、デリダアメリカで脱構築の多様性を批判され、全ては非決定ではないかと批判されたんですよね。そこから、ある限定された場面にあってはコンテクストは絞り込める。むしろ、決定可能と言っているんですよね。ハーバーマスなんか、サールなんかの批判に対して。

981 :ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :04/02/29 00:04

ポスト・構造主義は基本的にまさに記号ですね。昨日も言いましたが、構造主義でない現代の思想です。しかし一般的に言われているのは、特にフランスではマルキシズムへの思想的な批判を元にしてると言われている。それはポプラリティーを勝ち得た理由の一つであるということです。それは、ポスト・構造主義というよりも、「形而上学批判」という記号が受け入れられたわけですね。

「例えば、全ての論理的分析がいま批判されているのならば、全ての論議は無意味です。」これを無意味と思ってしまうところが、ニヒリズムですね。批判され、議論されることに意味があると考えればよいのでは?生とはそのような試行錯誤、闘いそのものですから。生の余剰ですね。

簡単にいえば、デリダはどこまで行っても哲学ヲタなんです。相対主義的指摘をしたのに、ビビってしまった。ローティーなどに肯定されるといやがった。父親へ反抗してみた。ところが本当に父親に勝ってしまった。びびった。デリダにとってプラトンは父親なのです。

989 :パレルゴン :04/02/29 00:11

つまり、「ポピュラリティー」とは人気・流行・大衆化を示すのであれば一般大衆化が真理と言っている事になりますね。むしろ、ポスト・構造主義はその大衆化から(既存の価値感)からの逃走だったのでは?

997 :ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :04/02/29 00:15

「ポピュラリティー」は、読んでもらえばわかりますが、決定するのは一見、大衆ですが、本質は大衆を越えた「時代性」です。そしてポスト・構造主義はポピュラリティーを勝ち得ています。