時代とコミュニケーション自己化

時代とコミュニケーション自己化

 コミュニケーションとは世界を自己化する行為である。そしてコミュニケーションの継続により私は自己同一性を維持する。これは生命の自己複写し自己維持機能の延長線上と考えることができる。すなわち私が世界とコミュニケートするということは、世界と共生しようとする行為であり、また世界を所有したい(征服したい)という行為でもある。

①ものへのコミュニケーション
 ものにコミュニケート(自己化)するといっても、ものには心(心象構造)がない。しかし人はものに対して、心象構造の同期行為を試みる。あたかもそこに心があるように振る舞い、愛着を持ち、自分の一部として見なす。これは擬人化であり、思い入れである。人の認識行為とは、世界を自己化する行為である。これは単純にものを自分のものにしたいというだけではなく、たとえばはじめての場所では積極的に風景に自己を複写しようとし、慣れ親しんだものにしたいということである。

パロール的世界
 かつてパロール時代は、このような自己化は現前の他者と人格消費しあうすることにより行われた。そして集団は共同体という自己複写であった。世界でさえ、神という自己であり、権力者であっても自己であった。権力者はこのような共同体幻想により支配していたわけだが、多くにおいては権力者にとっての民衆も自己であり(我の民)、民衆にとっても権力者は、我らの長であったのではないでしょうか。
 そして多集団(民族)が他者である。ここに差異が生まれ消費(自己化)しようとして闘争が行われた。すなわち闘争とは、自己化(取り込む)ことを目指して行われた。これは動物、昆虫などの行為を見ればわかりやすいです。すなわち蜂の集団において、自己とは一匹の蜂なのか、蜂の集団なのか。

エクリチュール的世界
 しかしエクリチュール時代になり、エクリチュールが大量に複写された。エクリチュールによるコミュニケーションでは、現前しない他者が無数に現れた。エクリチュールにおいても自己化は可能だが、エクリチュールは記号化し大量に複写されるにいたり、もはや大量の情報とは、繁殖し続ける他者である。この無数の他者の前で、自己化欲は満たされず、自己は孤立する。

 現代の街は他者の街である。街の大量の構造物、人々は大量の記号を放出しつずけ、そこに何が行われているのか消費できないまま、移り変わる。この無数の消費できない他者の中で、自己は途方に暮れる。さらに大量の複写される情報(マスメディア)の前では、自己化はさらに無力である。TVにおいて映し出される風景は、私たちを遠く阻害する。現代における無数の他者の出現は、世界の自己化の前に立ちはだかる無機質な壁である。そして自己化の欲求不満はいくつかの方向へ向かう。

・記号集団化(社会の虚像化)
 かつて、共同体は人格消費されあう自己という共同体であった。 かつての集団では皆が知り合いだったというようなことであり、みなが私だった。現代は、無数の他者の前ではもはや人格消費による自己化は物理的に不可能である。このために記号消費により大衆価値が作られる(大衆を自己化する)。記号消費とは記号の自己組織化である。個体が記号を消費することにより、記号意味が自律的に成長していく。 そこでは、個体は、記号を作る一部(主体)であり、記号を楽しむ一部(客体)である。このようにして記号意味は共同体の中で自律的に成長していく。 すなわち個体それぞれが同じ価値を共有する。それぞれの個体にとって、集団は自己が複写されたものとなる。しかし記号組織化における意味、社会的な意味から遊離し、虚像化する。ここでは集団は仮想的自己である。

 たとえばブランドものに走る女性たちは、そもそも人格を消費することを諦め、ブランドという記号を消費している。ここではブラントという記号が本来の製品価値(鞄)から遊離し、記号価値が虚像化し、共有価値化している。ここでは集団が価値を共有している、すなわちブランド好きという価値を共有する集団はブランド好きな自己が大量に複製されている幻想を生み、自己化欲求が満たされます。またこのような記号消費は「女子高生」であり、「はまさきあゆみ」であり、「シャネル」、「エヴァンゲリオン」であり・・・ 私が「女子高生」であり、街に私の複写が溢れるという幻想・・・

・他者回避
 他者を自己化したいという強い欲求は、逆に意図的な他者回避につながる。人々が他者との深い関わりを避けるのは、他者とコミュニケート(自己化)したくないのではなく、大量の他者の前で自信喪失になっている姿である。幼少時代、だれでも世界は自己化する。すべてが自分のものである。父も母も様々な物質も。そしていつか他者と出会う。そこから自己化する、コミュニケートすることを学ぶが、しかし現代では物質的に満たされ、そして無数の他者という社会で大きな不安感、焦燥感を味わう。ひきこもりは、そのような自己化されない他者からの自己化世界(家庭)への回帰ではないだろうか。

④パロリチュール的世界
 ネットコミュニケーションはどのような影響を与えるのか?メールは自己化ツールである。現前しない限定された情報(テキスト)しか伝達されない他者は虚像的な自己化を生む。ネット掲示板も同じである。匿名というさらに限定された情報(テキスト)しか伝達されない他者、名無しさんとは自己である。すなわち名無しさんにとって名無しさん達は、自分自身である。そしてコミュニケーション上生まれた他者の影を人格消費、自己に取り込もうとするのである。

 ネットにおける、HPを作る、日記を書くなど様々な無報酬な生産行為は、自己化行為である。ネットは始めからそのような媒体であった。ある種の共同体幻想を持ち得る自己と他者が曖昧な空間。ハッカーなどのネット外への(社会)への破壊行為は、ネット外という他者の自己化行為である。彼等にとってネットそのものが自己である。