コミュニケーションツール形態

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電話とメール(電話・・・対個、空間的に離れたパロール、即時応答、メール・・・対個(or多)、空間的に離れた相手とのパロ-リチュール、時差応答)

携帯の爆発的な普及。国民総携帯保持化。これは日本だけの傾向ではない。中国や東南アジアなどでも月給の多くを費やして携帯を持つという。携帯を保持していることはステータスを越えて、集団帰属の必須条件化しているようである。ではどのように携帯は使用されているのだろうか。電話?メール?HP探索?その一番の要因はメールであろう。

電話は(現前の他者との)会話(パロール)が空間的に離れたところで行われるだけと考えられがちだが、実はかなり異なる。(現前の)相手との会話(パロール)では他者の現在の心象を確認することができる。手が話せない、機嫌が悪い、暇している。

現前の相手とのパロールでは、相手についての情報は大量にあり、経験的に記号内容(心象)を推測することは容易になる。このために相手への適切なコミュニケーションが可能となると考えられる。しかし相手に対する大量の情報は、逆に伝えたい内容が、その他の過剰な情報に抑圧される面がある。相手が誰でなどの様々なことを考慮して伝えるということは、逆に言いたいことがいえない(コミュニケーション不全)に陥る危険性がある。すなわち相手を目の前にするとなかなか言いたいことが言えないものである。さらに社会的な立場による規定もある。id:pikarrr:20040305「ネットコミュニケーション(2ちゃんねる)というゲーム」

しかし電話は相手に即時応答を要求する。そして相手が今置かれている状況、心象隠されている。この強制的な即時応答を正当化するために、「用件」が必要になる。すなわち伝えたい内容という記号意味が必要となり、電話することはこのような記号意味を消費することが中心をしめる。これは(現前の)相手との会話(パロール)における社会性が強調され、相手へコミュニケートするための高い敷居があることを意味する。

それに対して、メールは相手に即時応答性を要求しない。このために今の相手が見えなくとも、社会性に拘束されない。携帯メールは「今、どう?」であり、用件から離れた「ゆるい繋がり」を可能にする。

不思議かも知れないが、これは電話よりメールは雑談的で、おしゃべり的なのである。「今、どう?」とは、「用件」を伝えるという記号消費よりも、心象を交換し合うという人格消費的である。特に良く知った相手とのメールは、文章(エクリチュール)は心情的であり、遊び的である。それは絵文字の多様に現れている。記号意味を正確に伝えるよりも、今の気分を伝え合うゲームである。そして写メールは絵文字の延長にある。今の心象を伝える記号である。

メールにより携帯が用件を伝えることから、遊びへと移行した。これが携帯が爆発的に普及した大きな理由ではないだろうか。


会話(対個、現前のパロール、即時応答)
演説(対多、現前のパロール、即時応答)
手紙(対個、非現前のエクリチュール、時差応答)
マスメディア(出版物、テレビ、ラジオ)(対多、空間的に離れたエクリチュール、応答性なし)
掲示(対多、空間的に離れたパロリチュール、時差応答)
ネット上ホームページ、日記(対多、空間的に離れたエクリチュール、応答性なし。)