(2ちゃんねる哲学板)野蛮復活の時代?

95 :考える名無しさん :04/03/25 00:37

70万人の学生が加入する大学生協連共済センターによると、自殺による共済金給付件数は、1990年代前半は50件前後だったが、97年度に80件台に乗った後、99年度、2000年度は99件と急増。今年度も2月末までに80件に達し、給付対象になった本人死亡のうち自殺の占める割合は48%と、90年度以降で最悪となった。警察庁の調査でも、短大・大学生の自殺者数は、90年代前半の200人余りに比べ、99年の363人を最高に、2000年以降も320―340人の高い水準にとどまっている。
原因について、共済センターでは、就職難や進路の悩みを指摘する。91年には2・86だった大卒求人倍率が1・08に低下した96年ごろから4年生以上の自殺が40人を超えており、今年度は1年生の自殺は7人だったが、留年を含む4年生以上が44人に上った。「最近は将来の進路に悩む高学年の学生の自殺が目立っており心配している」と広報担当者は話す。


105 :ばかぁ〜 :04/03/25 00:52

日本はうつ病対策後進国だと聞いたことがある。宮台が言ってたかな?まあ、情報公開後進国のわが国らしいボケっぷりだと思う。いまだにニーチェは自己の思想のために発狂した、とか、そういう唯物論足らずの低級国家なのだ、日本は。「いきのびよ、少年少女」と叫ぶ野坂昭如は正しいね。


108 :ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :04/03/25 00:53

2ちゃんねるにせっせと通い、現前の他者と交わりなさい。自己再生効果があります。


111 :ばかぁ〜 :04/03/25 00:56

うわっ、大賛成。レスが増えてちょっと快活な気分になった。


116 :ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :04/03/25 01:02

パロリチュールは野蛮の復活!これがわしの主張だからね。


125 :ばかぁ〜 :04/03/25 01:09

野蛮の復活、で復活するのはどのような野蛮なんでしょうね。パロリチュールという言葉で僕が連想するのは、寺山修司あたりかな?エヴァンゲリオンなんかは寺山的野蛮さを洗練させて消費してしまおう、というところに別種の野蛮さを感じたが、現在ではエヴァでも消費し切れなかった現前する肉体という残余が求められているような。もちろんそれは椎名林檎のようなまがいものではないけど。


126 :ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :04/03/25 01:13

昔は、野蛮な人がたくさんいたよね。不条理で、いい加減で、知らない人でもずかずか入っていくオヤジ。でもいまは逆に人の顔色を見すぎる。他者にかかわらないことがマナー化している。逆には誰かが困っていても、倒れていてもかかわらない。野蛮の復活とは、ネット上でそのような不条理オヤジが復活する。いまいろいろ言われている2ちゃんねるの悪評判。煽り、罵倒、デリカシー、モラルのなさ。それは野蛮の復活だから。


131 :ばかぁ〜 :04/03/25 01:20

そうそう、それこそ暴力的な誤配だらけだった。それは実は結構いいことで、カントのいう非社交的社交性でもある。今はそんな誤配、交通を起こす野蛮さはどこかへ行ってしまったね。誤配、交通はナルシズムという甘美を許さない。なので人は誤配、交通を極力排除しようとする。しかしながら、それと一緒に「ナルシズムの崩壊する瞬間」という更なる甘美を取り逃がしてしまう。生まれ変わるという快楽、年をとってゆくごとに若くなってゆくというスリル。それらが僕達の世代にはないのだ。


135 :ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :04/03/25 01:27

都会的洗練いうのは、現前性、唯一性と距離をとることなんだよね。人工的記号の世界。現前性、唯一性というのは、簡単にいえばめんどくさい。どろくさいわけ。たとえば、舗装されていない道とか、野山とか。泥にまみれて靴は汚れる、洗濯は大変、変な虫はいっぱい。そういうところから離れてきた。そして扱いやすい人工物(これは他者の生産物、すなわち他者性の記号なんだけど)の中に囲まれることを好んだ。他者自身も、現前性、唯一性の存在なんだよね。現前してつき合うとめんどくさいでしょ。それがパロリチュールでは擬似的に他者が復活してきた。当然、めんどくさくて、泥臭い世界になる。それが野蛮の復活。
2ちゃんねるで、擬似的でも現前の他者と交わると、いろいろあるでしょう。叩かれるし、仲良くなるし、そこには不条理感がある。他者とは生だから、自分とおりにはならない。でもそこがおもしろい。これこそコミュニケーションであり、人はそんな不条理なコミュニケーションの中で、心をつくっていくんだよ。いままでのオタクとは、記号ごしに他者を想像するだけで、現前する他者を避けてきたから。ネットコミュニケーションで野蛮が復活するのさ
不条理オヤジ=人格消費→オタク=記号消費→2ちゃねらー=人格消費


146 :ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :04/03/25 01:39

ナルシスの鏡?、鏡像?


147 :ばかぁ〜 :04/03/25 01:44

あっ、そのことそのこと。「ナルシズムの崩壊する瞬間」=自分とおりにはならないしかし、その他者も時間が経つと他者性を徐々に失っていく。そこであらたな崩壊を望み続ける=生まれ変わるドゥルーズの言うように、単一な流れ(エディプスコンプレックス)によって、男もしくは女になるのではない。僕は変わり続ける。子供になり、女になり、おかまになる。


149 :ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :04/03/25 01:49

よくわからない。現代は他者が記号の裏に隠れて、だれも欲望を現前化させない時代だからね。

いまは、他者、唯一性、現前化がキーワードですかね。コジェーブは、アメリカの消費社会をみて「動物化」と言いましたが、先進国はそのように向かってきた。これは記号消費社会ですね。そして、他者、唯一性、現前化が失われてきた。容易に反復される記号の中に他者が埋もれて、みんな、記号に中に埋没してきた。他者、唯一性、現前化といえば、環境問題もそうですね。自然を乗り越えたと思ったら再び現前化してきた。環境の悪化は、反復されない唯一性です。いま、対策をうっていかなければ、2度目はない。自爆テロもそうですね。死という唯一性をもって、理解できない他者が突撃(現前化)してくる。そしてNYテロはまさに象徴的ですね。アメリカの記号消費社会の象徴のツインタワーに現前の他者が突撃する。他者回避社会である先進国に突然、不条理なかたちで他者が現前化してくる。

ポストモダンとは、このような記号消費社会で象徴されますね。そういう意味では、NYテロはポストモダンの終焉かもしれません。そしてネットコミュニケーション。これはまさに不条理の世界です。これがわからないと、2ちゃんねるは、単なる便所の落書き、厨房の悪ふざけとしかみえない。

テロはエヴァンゲリオン使徒襲来を想像しますね。使徒は、限りなく人に近い存在で、意味がわからないが破壊的に迫ってくる。=記号社会で失われた現前の他者の象徴ですね。そしてシンジはまさに現代人ですね。記号の中で、記号を通してしか父親に近づけない。社会(エヴァにのる使命、責任)に価値を見いだせずに逃避する。


154 :ばかぁ〜 :04/03/25 02:02

確かに他者は記号の裏に隠れているといえる。だけど僕の言ってる他者というのは他者性(記号に回収されない)を持っているもののことを指している。陰毛の生え始めとか激しくビビるじゃないですか?そのときは陰毛はそれまでの「私」に決して回収されえない他者なわけです。ポスコロなどのいう女、子供、セクシャル・マイノリティーなどは今までの「世界」に回収されない他者です。世界は今激しくビビってるわけです。さあ、他者は記号の裏に全部隠れたぞ、というところに冷や水一閃という感じ。

それプラス「ツインタワーの中には誰がいたか」というところも面白い。そこにはアメリカのイスラムを搾取し、記号消費社会を享受しているような人たちだけではなく、低所得労働者、移民労働者も数多くいた。自由を愛する米国民VSそれを羨望するテロリストというCNN的記号物語も同時に破壊されたわけですね。

>NYテロはエヴァンゲリオン使徒襲来を想像しますね。
ごめん、それには激しく反対です。イスラムのテロリストをエイリアン視するのはただのオリエンタリズムです。9.11も建国義勇軍も、従来の物語的思考で十分予測できた。エヴァ使徒はむしろエイズとかそういうものの比喩じゃないかな。物語性自体が欠如している、擬人化できない存在。


157 :ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :04/03/25 02:12

野蛮ですね。でもポスコロなどのいう女、子供、セクシャル・マイノリティーなどが「世界」に回収されない他者かどうかは、あやしいですね。「「世界」に回収されない他者」という記号化しているような気がします。

「世界」に回収されない他者といえば、自分の子供ですね。現前化して、唯一性を母親に迫ってきますから。記号社会に慣れてしまうと、この野蛮さはうっとうしくなるかもしれませんね。それが幼児虐待かもしれないと前にも言いましたが。しかし本来、世界は野蛮なわけですね。ポストモダン自体が一時の夢物語かもしれない。

まさに「ただのオリエンタリズム」ですね。記号消費社会の住民にとって。そして他者そのものが「ただのオリエンタリズム」化しているのかもしれません。記号消費社会の住民にとって。

イラク戦争前のあのアメリカの雰囲気。「テロ」と「イラク」に対する記号的な混同。それは「ただの敵」という記号でしかないことが象徴していると思います。


168 :ばかぁ〜 :04/03/25 02:30

し・か・し・な・が・ら、難しいのは、「「世界」に回収されない他者」という記号、になってしまった、というのはそれこそ、それを表象している人とそれを表彰として受け取っている人、の間でだけですね。「オヤジ」という記号だってそうです。記号がいくら流通しようが「私」にとって私の脱毛や、私の口臭、私の精力減退、は他者なのです。


187 :ぴかぁー ◆wMDHqGPerU :04/03/25 08:24

その人たちが決定的に重要なんですね。マイノリティ擁護の論理がかつてのマルクス主義とおなじ論法になっているとの指摘あります。それと哲学で語りえることをしらないといけない。世界を救えるなどというのはおごりですね。