インターネットの心理学 The Psychology of the Internet パトリシア・ウォレス (1999) その1

第2章 オンライン・ペルソナ 印象形成の心理学

初対面の人と、電話や手紙、直接の対面ではなく、電子メールやウェブサイト、ディスカッション・フォーラムで出会うケースが増加し、オンライン・ペルソナは第一印象で重要な役割を担うようになっている。

  • ソロモン・アッシュは第一印象に関する単純だが興味深い研究を行い、人は限られて情報だけを手がかりに相手の印象を決めつけてしまうことを明らかにした。温かいと冷たいは、人の資質の中でも重要な要素であり、他者からの働きかけに大きな影響を及ぼす。これらの性質は、人が第一印象を形成する際の中心特性となっている。

(実社会では)温かい印象づくりの主要な決め手は、非言語的な手がかりである。・・・話の内容は、印象判断に用いられている他の手がかりに比べたら目立たない存在である。インターネットの世界では、どこへいっても主役は書き言葉だ。・・・サイバー空間では誰もが実際よりも冷淡で、達成志向で、怒りっぽく見える。

  • コンピュータを介したコミュニケーションと対面コミュニケーションにおける感情表現を比較し・・・肯定的な発話は対面の方が多い・・・コンピュータ会話群は、人の神経にさわることを言い合い、状況がかえって悪くするようなふしが見られた。
  • 簡易パーソナリティテストを用いて・・・電子メールでしかコミュニケーションしたことのない群は、相手を誤って認知しているケースが多かった。・・・実際の相手よりも論理的で分析的な「思考」を好む傾向が強いと考えた。また人間関係を志向する「感情」は過小評価され、自発性よりも制度や秩序を優先する欲求を過大評価した。

通常のコミュニケーションでは当然の礼儀正しさが、オンライン世界では少々損なわれてしまう。その結果、わたしたちは冷たく、ビジネスライクな印象を与え、人々はそれに反応して同じような態度をとる。

わたしたちの対人温度計は初対面の人にすぐに反応して、その人の温かさや冷たさを測定する。ごくわずかな手がかりで第一印象は決まってしまう。感覚情報を矢継ぎ早に受け取ると、人はあせって近道を選び、特定の限られた情報で相手の印象を決めてしまう。そして、いったん印象を作りあげると、相手のことを理解したと思いこみ、関心は他のことに向かう。人にはエネルギーを節約して認知的負荷を軽減しようとする傾向がある。(認知的倹約家)

人間には、カテゴリーにあてはめたり、ステレオタイプで相手の印象を形成する傾向がある。・・・印象形成の最初の過程で、年齢と生別という二つのカテゴリーがきわめて強く影響する。・・・認知的倹約家である人間は、他者にいだいた印象をなかなか改めようとしない。相手に対して、何かしらのカテゴリー・ラベルを貼り付けたが最後、それを剥がしたり、他のラベルを貼り替えよとしない。人には誤りを認めたがらない傾向があるだけに、第一印象は非常に重要である。ラベルを変えたくないという欲求は確証バイアスにつながる。わたしたちは、最初に受けた印象と矛盾するような証拠を無視するだけでなく、その印象に合うよう手がかりを積極的に探そうとする。

印象操作理論の父、アーヴィング・ゴフマンによると、人はどのような環境においても、その場にふさわしいと思う方法で自己呈示するという。自己呈示で重要なのは動機である。聴衆に耳を傾けてもらいたい、聴衆に影響を及ぼしたい、情けを受けたい、怖がらせたい、尊敬されたい。これらの目標を成し遂げようと、人は自己呈示方略を選択する。同時に人は、社会的利益を得ようとして、見せかけの印象を操作するカメレオンのような奴だと思われないよう、とても慎重に行動する。わたしたちは自分の望む印象に磨きをかけ、印象を操作するのに多大な時間と努力を費やすが、その苦労を見せまいとしている。ゴフマンは、この傾向を「隠匿と発見、誤った自己呈示とその再発見を果てしなく繰り返す、一種の情報ゲーム」だと述べている。

  • IRCに定期的に参加する人のニックネームを分析した。最も多かったタイプは、何らかのかたちでその人に関係するニックネームである。次に、実名をニックネームとしていた人。ニックネームの変更はきわめて簡単にできるのに、実際に帰る人は少ないことも見いだした。人は実世界とあまり区別することなくオンライン・ペルソナを確立し、アイデンティティの自己呈示を行っている。
  • たくさんの個人ホームページを調べた。それによれば、ホームページで自分自身とまったく異なるアイデンティティを表現している作者はほとんどいなかった。「重要な特徴は、ホームページ作者たちがサイバー空間のポストモダニストたちの主張とは逆の方向を目指していたということである。個人のホームページは、自己を断片化する場ではなく、自己の統合を試み、アイデンティティを表明し、個人として支持するもの、重要と思われるものを、持続的で反応の得られる方法で呈示する場である。」

ホームページに手を加えたり、情報を追加したりしているとつい夢中になって、時間がたつの忘れてしまう。こうした作業は自己に焦点をあてさせ、他者から見つめられているという感覚を高め、おそらく誇張させる。・・・このことはホームページに限らない。ウェブ以外でも、ネットへの投稿を何人の人が読んでいるのか知るのは不可能だ。しかし、インターネットでは何百万もの人が自分の発言を読む可能性があるのは事実であり、わたしたちは膨大な数の読み手がいるように錯覚を覚えていまう。


第3章 オンラインにおける仮面と仮面舞踏会

嘘は悦びと刺激をもたらしているはずであり、インターネットの魅力の一つとなっている。オンラインの世界ではその特徴から、多種多様の役割演技、騙し、一面の心理、誇張が生まれている。その理由の一つとして、匿名性、視覚的・聴覚的情報の欠落、さらに、役割演技によって生じる結果から個人が守られていることがあげられる。ネットで完全に匿名でなかったとしても、相手との物理的距離や存在感の希薄さゆえ、人は抑制を感じにくくなる。また自分だと気づかれることはないだろうと考え、超自我の監視力も弱まる。

現実のフレームと役割演技のフレームとを隔てていたコンクリートの壁は、インターネットの世界では薄い浸透膜に変わる。・・・インターネット利用者は現実のフレームと非現実のフレームのあいだを行き来する。

インターネットは、アイデンティティの実験室である。個人的な実験のための小道具はもとより、聴衆と役者の数にこと欠かない。しかし、大部分の人は慣れ親しんだ自己とかけ離れた人物を演じるわけではなく、よく見せたいと思っている特徴、中でも外向性を高めるだけである。印象操作と欺瞞との境界線を越えるのはごく一部の人だけだ。アイデンティティ実験はたわいのない気分転換にすぎないと強く確信している人がいる反面、だまされやすい人は、そう思わないかもしれない。