インターネットの心理学 The Psychology of the Internet パトリシア・ウォレス (1999) その2

第4章 サイバー空間の集団力学

社会習慣への同調と、自由を制限する法の遵守は、哲学的な見知から見れば、自分たちの存在を維持するための行為である。予測可能で安全な世界で暮らし、平和で公平に他者とやりとりするためには、ある種の自由を現世的な権威に譲り渡さなければならない。リヴァイアサンとは、公正に争いを解決することを期待して人が権能を委ねる統治の仕組みである。種族の生殺与奪権を握る首領と言えるかもしれない。インターネットのリヴァイアサンははとらえどころがない。・・・インターネットにリヴァイアサンは実在し、人々はそのメディア自体の価値とエネルギーを維持するために自由を放棄している。人々はインターネットの発展を願っており、信頼の制度を築き、その制度を遵守する手段を確立しなければ、その実現が不可能だと感じているからである。わたしたちは法に従わない者によって、ペルソナはもとより信望や現実の自己が傷つけられていることを心配している。これが、秩序と引き換えにある種の自由を託すことになるリヴァイアサン的権威が生まれる動機になっている。・・・人に集団規範に同調する傾向があるという事実は、インターネット・コミュニティが成長、発展するための重要な根拠の一つかもしれない。

「ネットの公開議論で最も大きく欠けているのは、中庸意見である。・・・なぜならば、極論を言いだす人々から常に多数の反論が出てくるからだ。現実社会の重要問題をもちだすと、ネットワークはトークショー化し、論点をはっきりさせたり、議論を発展させるためではなく、自分自身の考えを聞かせるために投稿するようになる」
・・・社会心理学の研究によれば、集団成極化の一因として、インターネット上でよく見かける極端主義と、明らかに中庸な意見が見られないことの二つが考えられる。個人個人は当初、中庸ともいうべき意見を支持しているが、他者と話した後では、中間から極端な意見に移るだろう。

多くの人は、個人よりも集団のほうが、思考や意志決定において保守的で慎重になる傾向があると、直感的に考えている。・・・(しかし)人が集まって話し合うと、極端な傾向が弱まるのでなく、むしろ強まることが見いだされるた。・・・話し合いで強まるのは個人がもともと持っていた意見の方向で、それが、いっそう極端な方に傾くのである。あるジレンマ状況において集団のメンバーが慎重な傾向をもっていると、集団としての決定はいっそう用心深くなる。また特定の意見に賛同する人たちが集まって、それについて話し合うと、その集団はいっそう賛同の程度が強まる。・・・集団は討議によって、どちらか一方の成極化を強めるのである。・・・集団のメンバーが最初からある方向に傾いていると、メンバーが情報を提供するたびに彼らの同調傾向は、その方向へ強められていく。・・・もう一つの要因は社会比較である。他の人々がおおむね自分に賛同していることがわかると、単に同調するにとどまらず、当初の意見を維持しうるぎりぎりの境界線まで進み、集団の冒険者となる。

第5章 集団間の葛藤と協力

環境によって集団アイデンティティが育まれると、凝集性の高い集団が生まれる。・・・集団の参加基準に恣意性や非常識な点があっても、人間には集団にアイデンティティを感じ、メンバーに行為をいだく傾向があり、それは最小集団現象と呼ばれている。

インターネットにおけるエリートの内集団を定義し、保護するために用いられる特徴の一つは、専門知識である。そのため「エキスパート偏重主義」は、実世界よりもインターネットにおいて広く認められている差別の一つである。・・・インターネット上のエリート内集団の極端な一例が、コンピュータのアンダーグラウンド、いわゆるハッカーコミュニティである。

第6章 フレーミングと争い ネットにおける攻撃の心理学

大半の人は神経を逆撫でされ、いらだっていると頭脳明晰かつ理性的ではいられない。人間はフラストレーションがを感じると、一発触発の状態になり、別の状況であれば無害である事柄にも、攻撃的に反応しがちになる。・・・フラストレーションもその一つだが、重要なことは嫌悪刺激が一般的に「マイナス感情」状態をもたらすことだ。この状態に陥ると、身の回りの出来事を冷静に考えられなくなり、他の状況では中立的に見える刺激を悪い方向に解釈するようになる。

ある調査で、回答者たちは、言葉で攻撃する主な理由は自分の主張を支持するためだと述べている。この発言は、インターネット上のフレーム戦を考えるうえで非常に興味深い。フラストレーションやその他のマイナス感情に触発されたことが原因となって、言葉による攻撃を行った可能性があるのに、それが理由とは思いもよらないようなのだ。人は自己概念と合致しない行動を好まない。機嫌の良い悪いにもとづく一貫性のない行動や認識は、言葉による攻撃の正確で十分な根拠とはならない。自分は状況を公平にかつ正確に解釈しており、自分の反応は正当だと主張し続ければ、容易に健全な自己概念を維持できる。

人はインターネットで抑制解除を経験する。またネットでは物理的に隔てられ、説明責任が軽いために、不本意で厄介な結末を気にすることなく、対面では用いないような極端な報復方法を選びがちである。・・・人は自分自身の態度や信念、認識と一致しない行動をとると不快に感じる。こうした緊張のせいで、人は行為と思考とを一致させる方法を見つける方向へと駆り立てられる。・・・人は違反者や違反行為に対する自分の見解を変えて、実際以上に否定的に考えるようになる。こうした心的な修正主義は、実際にはそれほどひどい扱いを受ける必然性のない人に対して、攻撃的に振る舞ったときに起きる。さらに驚くべきことに、相手が報復に値しない場合にもこの現象は起きる。・・・人が自分の攻撃行為を正当化するにの熱心である点、またインターネット上で攻撃してくる相手に関する情報が非常に乏しい点を考慮すると、人は叱責相手を否定的な姿で描いていると考えられる。

インターネットの構成要素を攻撃性にあてはめると、匿名性ないし匿名性に対する幻想も潜在的な要因となっている。自分の行動が直接自分の側に帰属されていないとき、社会習慣や制約による抑制が弱まる。とりわけ安全と感じている環境で、対処の難しい個人的問題を話し合う機会を与えられたとき、このことはきわめて明白になる。・・・オンライン世界では、人を怒りやすくしていると考えられる特徴が他にもある。それは、遠く離れた場所で勢いよく怒りの炎を燃やせるという点である。・・・相手との物理的な距離は、対面の場合よりも数段遠い。視野の外にいる遠く離れた相手を攻撃することはたやすいことだ。相手の傷や苦痛に満ちた表情は見えないし、安全であると感じ、反撃をされても打撃を受けることはない。