他者について その3 世界の他者化

他者化


「誰か(他者)、何か(意味)」という他者志向性は、主体にとって「他者」が根元的に特別な存在ということであり、強く他者を求め、コミュニティへの帰属を求めているということです。他者志向性はコミュニケーションにおいて心象の同期であり、それによってコミュニティ内の誰でもない位置(単独性)を見つけます。すなわちコミュニケーションとは、コミュニティにとって活性化であり、主体にとっては私を絶えず再生産されつづける行為ということです。

たとえば、大切にしている人形であったり、自分の写真が傷つけられると、いい気持ちがしないのはなぜでしょうか。それは所有物が傷つけられことによるのでしょうか。では私の所有物でない人形、顔写真が傷つけられたときには平気でしょうか。

これは一方向的な読み込みになりますが、主体が対象に同期していることを表しています。他者志向性は、人の認識全般であり、それが人物でなくとも、対象全般が、「誰か(他者)、何か(意味)」という他者志向によって、他者化されます。



言語による世界征服

たとえばひとけのない不気味な沼があるすると、そこに河童が住むという噂ができます。河童とは「他者」であり、沼は河童のテリトリーであり、不気味な沼は他者化されます。このようにして未知は、「他者(限りなく私である存在)」のものとして、征服されます。死後の世界には神様がおり、暗闇には幽霊がおり、宇宙には宇宙人おり、この世界そのものには神がいます。

これらは未知への不安を解消するために捏造された他者です。この捏造された他者はそれが誰であるかよりも、未知を征服するものとして現れます。他者志向性とは、世界すべてを他者化することであり、言語化することであり、記号に回収することであり、世界を征服することです。

他者とはシニフィエ(意味)なきシニフィアン(言語表現)=超越論的シニフィアンです。そして捏造された他者は、未知に対する不安を元にしており、意味は言語化されない余剰として残ります。そして意味はあとから余剰を解消しながら、様々に神話として作られていきます。

このような征服指向は、人の志向性そのものを表しているといえるのかもしれません。未知(謎)を執拗に解消する行為は、「好奇心」や「挑戦」などといわれますが、アダムとイブ、パンドラの箱など、神話においても人の根元的な特性として描かれています。さらにこれは細菌が増殖していくような生命的な特性であるともいえるかもしれません。

現代、世界を説明するのは、神話から科学であり、哲学へと移っていますが、これらも神話の一形態であるといえるかもしれません。この世界には、「人間」にとって、何らかの意味があるという他者志向によって、物語が作られています。