(2ちゃんねる哲学板)なぜ人は利己的であるようにふるまうのか?
- 643 :ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :04/10/26 12:16:56
- なぜ人は利己的であるようにふるまうのか
この疑問のとらえ方について、二つを考えたい。ひとつは現代の自由主義思想における個人の重視、利己主義信仰である。これは歴史的には権力の抑圧からの解放として勝ちえた誇りという物語として語られる。
もうひとつは不良少年の美学的なものである。現代においてただ人のことを考え、やさしいだけの人は魅力がない。ストイックで自分の価値をもち、社会価値に迎合しない「つっぱった」姿勢がかっちょいいのである。
この次元の異なる二つの利己性につながりはあるのだろうか。
- 647 :考える名無しさん :04/10/26 12:31:23
- 利己的と利他的には、違いがないよ。少なくとも、生物は、この2つを区別していない。利己的行為の結果として利他的行為がある。細胞とウイルスの関係を考えてみればいい。寄生と共生に本質的な違いはない。
- 651 :ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :04/10/26 12:45:28
- なるほど起点の置き方だな。でも人には意志があり、行為への意味付けがある。イデオロギーとは意志の明文化なわけだからね。
- 656 :考える名無しさん :04/10/26 12:52:30
- >> イデオロギー
これが、他者と違う場合、感情(正義)となる。感情とは、現在の環境に対する反発であり、将来の環境の変化に対する適応を作る原動力。だから、利他的行為がイデオロギーなるモノを根拠としていても、利己的行為の延長であることには違いはない。
正義が感情であることは、ヒュームの説。また、科学は合意だし、善悪は適応と言える。
利己的遺伝子の枠を超えて、人間の利己性を説明しようとすれば、科学ではないし、多分哲学でもなくなる。
- 669 :ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :04/10/26 13:20:45
- じゃあ、きみは利他性についてのマルクスの見解をどう評価するわけ?
- 670 :考える名無しさん :04/10/26 13:25:11
- マルクスの唯物史観は、ダーウィニズムをそのまま歴史解釈に当てはめようとした物でしょう。ただし、彼が違っていたのは、ダーウィニズムは、進歩でなくあくまで中立な哲学であったのに。彼は、それに進歩という概念を付け足してしまった。
下部構造が上部構造を決定するというのは、ダーウィニズムそのもの。基がダーウィニズムなのだから、利他性についても同じ事でしょう。
- 671 :ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :04/10/26 13:25:27
- 科学ちゅうのは民主主義の源泉なわけだよ。だから本質的に個人主義的、利己主義的なわけ。だからそこから利他性は利己性の連続性という説明しかできないんだよ。
そりゃあわしも進化論マンセー派だし、ニーチェも所詮進化論者かなと思うが、そこからは利他性は絶対にみえない。進化論で人をかたるのは合理的すぎる。
簡単にいえば、進化論的には欲求しか説明できない。ヘーゲル的欲望が説明できない。何で欲望はきりがないのか?わしはこれをシステム論(複雑系)の多階層論で説明するわけだけどね。とりあえず進化論+システム論がいまの最強だと思う。
- 675 :考える名無しさん :04/10/26 13:36:10
- >>そこからは利他性は絶対にみえない。進化論で人をかたるのは合理的すぎる
だから、寄生と共生のメカニズムで説明されてるでしょう。寄生は宿主がいないと成立しない。自己保存のために宿主を永遠に確保するためには、共生がもっとも合理的。
- 678 :ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :04/10/26 13:41:04
- たしかに生命は闘争より共生的だけど、共生で欲望は説明できない。共生で環境問題は解決しない。人ってやつはそれでも貪るのよ。
人の欲望=利他性をいかにせめるかだよ。ここはわしはヘーゲル、ラカンに頼るわけ。そしてシステム論につなげる。まあ、河本、斎藤環もやってるが
- 681 :考える名無しさん :04/10/26 13:52:59
- >>人の欲望=利他性をいかにせめるかだよ
これは、一人一人が違う世界。まとまる物ではないし、まとめる必要もない。何故なら、我々が作ろうとしている世界が複雑系だから。しかし、個々の価値観が内在化した物にはダーウィニズムに基づいた共通性がある。これがクラスター現象を起こせば、価値観は共有できる。
- 684 :ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :04/10/26 14:26:27
- なんとなくわかるけど。わしは個体を起点に、個体性=個体を維持する力、集団性=集団を維持する力であり、個体からみれば集団の一部として機能する力を多階層システム論的にみる。
個体性は血は流れつづけるみたいなことで生理現象などのように自己完結的で、利己的。集団性は利他的とみる。そして自我は実は集団性につながる。なぜなら「私」とは他者との関係性でしかあらわれないから。
きみのいう進化論的価値観の共有とは、集団性に相当するだろう。人は先天的に、生理的に集団性をもっている。しかし自我が抜けてる。自我は他者からの自己の承認で満たされることがない。これが欲望。自我は個体の自律性がたかまるなかでの集団の一部であれという集団性への反動じゃないかとみてる。満たされない欲望は集団性への回帰。
- 688 :考える名無しさん :04/10/26 14:57:50
- >>自我は個体の自律性がたかまるなかでの集団の一部であれという集団性への反動じゃないかとみてる満たされない欲望は集団性への回帰
これもダーウィニズムで考えると、環境への適応と多様性で説明される。 集団性への回帰とは、妥協であり環境への適応。集団性への反動は、環境が自分に好ましくないために、新しい環境を作ろうとする動き、或いは将来の環境の変化に備えた、多様化の動き。つまり、独自性(多様性)とは、将来の環境の変化に備えようとする生物の自然な働きで、一体(或いは男女二体)から、新しい社会を作り得るという生物の特性から来ている。
- 691 :ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :04/10/26 15:24:54
- 環境問題を環境適用、将来のそなえといえないだろう。進化論は経済的でなく、行き当たりばったりってことかな。なら欲望も進化論上にのるかもな
- 687 :考える名無しさん :04/10/26 14:39:12
- 民主主義は、ロックが「あなたの意見を言う自由を私が命をかけて守る」と言ったから出来たのではなく、歴史的背景、特に経済的背景が決定的な役割を果たしていたと考える。環境が変われば独裁政治も選択枝に入ってくる。私の「人間が環境で決まる」という意見は、マルクスの唯物史観と同じで、ダーウィニズムに基づいている。我々がどう考えるかでなく環境がどう変わるかで、政治や哲学が決まってくる。複雑系の環境には、複雑系の世界しか作れないだろう。レヴィストロースは、「神話は現実の生活での知恵の象徴だという。」思想や宗教の表象でなく、その内在化した価値で共有して行くのがもっとも賢いやり方ではないか。
- 689 :ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :04/10/26 15:05:26
- おーさすが同じ進化システム論者だなあ。禿同だな。ルーマンがよく突っ込まれたのは、それは単なる現状の描写でどうすればよいかがないってことなんだけど。人は環境に流されているだけなんだよな。複雑なシステムになんとか適応しよとしてるだけ。ならなにをしても一緒というと現代的シニカルな世界になるんだけど
最初の「なぜ人は利己的であるようにふるまうのか?」は、そんなシニカルな世界でいきるための知恵なんじゃないか、ということなんだ。ほんとはみんなだれかのためになにかをしたいとおもっているはず。だってそれが欲望だからさ。
経済的背景の影響ね。そうわしはテクノロジーの発展をあげてる。しかしこれは人口増加による都市化で経済問題なんだよね。テクノロジーの加速度的発展がものへの欲望、フェティシズムを増幅し、民主主義をつくり、さらに情報化において、メタメタな多重構造をつくり現前する他者より、もの対人の利己的、個人主義的神話をつくり、シニカルに構える社会になってるってこと。
- 692 :考える名無しさん :04/10/26 15:25:40
- 私は、コスモポリタニズムとナショナリズムが同時に進行する世界。民族や宗教の多様性を維持しながら、内在化した価値観の共有を実現する複雑系の世界を予想している。
- 694 :ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :04/10/26 15:37:44
- 理想主義的かなあ。それと複雑系ということばの多用はよくない。超越論的すぎて、なにもいっていない。わしはもう少しテクニカルに考え中。ひとつはネット社会はいわれるほどグローバリズムでなくナショナリズムだなってこと、にちゃんの韓国叩きとか、中国掲示板の日本人叩きとか。言語圏に閉じやすい。これが気にかかる。
これからもテクノロジーが思想を世界をひっぱるだろう。