(2ちゃんねる哲学板)なぜ「まなざしの快楽」なのか?

283 :考える名無しさん :04/11/14 00:30:07
「まなざしの快楽」ってタイトルになっているけど、結局その眼差しは他人の眼差しでなく、過剰な自意識を他人に投影して、その照り返しを見ながら感じている状態だから、やっぱり自慰というか、過敏な自意識の問題なんだろう。今は大人も精神が小児化したままで、ストップした人間が多いから、「自分が他人にすごく関心を持たれてる!」と錯覚する勘違い人間が一部に出てしまうけど、それは違うんじゃない?有名人なら多少は話も違うだろうけど、それでも人は自分のことで精一杯で他人にそれ程強い関心を示したりしないものでしょ?


286 :ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :04/11/14 00:34:10
ヘーゲルによる「人は他者の欲望を欲望し、他者の承認を求める。」という意味のまなざしであり、ラカンフーコーがいうところにまなざしです。


293 :考える名無しさん :04/11/14 01:00:41
でさ、その有名な命題にウチは以前から疑問に思ってたんだけど、なんで色々あるはずの他者の欲望の中から、ひとつ(一人)の他者の欲望が、優先的に選択されうるの?色んな他者の存在する中で、「ある人」の欲望を、恣意的にチョイスしているということは、本当はそれは他者の欲望なんかではなくって、元々自分にとっての都合のいい欲望だから、つまり、それは他者の欲望なんかではなく、自己の欲望になるなんじゃないの?大文字の他者などは、今は機能してないんだから。
で、それは何かといえば、たぶんウチの考えでは、自己愛を満たしてくれそうな他者/自己の欲望となるんだよね。それがイコール承認欲求だとも言えるから、常に自分で自分を追いかけてる状態だからいつまでも捉えることができないし、即物的な実体としては存在しえない。ドッペルゲンガーを探しているような不毛な生き方に嵌るということでしょう。


300 :ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :04/11/14 01:12:44
まず、私は他者との差異によってしか、「私」とはなり得ないということをわかってください。私が私であるためには、他者が必要であり、さらには他者からの承認、キミは〜だよ。がないと、「私」にとなれないのです。


302 :考える名無しさん :04/11/14 01:16:28
他者からの承認。これは短絡的では?承認を受けることを拒否することで、深い思索に入る。これが哲学者としての本当の態度だと思う。


306 :ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :04/11/14 01:27:30
拒否するということではなくその下部構造を暴露することが、ニーチェ以降の現代思想ですね。それの究極がデリダ脱構築ということになるのでしょう。しかしボクは、さらに動的なシステム論的な視点を問います。すなわち、「承認」を否定し得ないところに動的なシステム構造を考えるわけです。簡単にいえば、人は愛することを否定(脱構築)し得るかということであり、なぜ否定し得ないのか、ということですね。


307 :考える名無しさん :04/11/14 01:32:22
人には愛する以外の感情も多くあるのでは?すべての物事が承認のみで動くということはないと思う。動的システム論でも、より多角的に見る必要があるのでは。


310 :ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :04/11/14 01:34:41
意味をずらさない。
人は愛することを否定(脱構築)し得るか?なぜ否定(脱構築)し得ないのか?と問うているのです。「愛」という神話から逃れられない。「愛される」というまなざしを求めつづけるのはなぜか。


316 :考える名無しさん :04/11/14 01:39:46
愛することが必ずしも正しいこととは思えません。愛される側にとってマイナスになることもあります。愛される側からのアプローチによって、愛が否定されることもあるんじゃ?


320 :ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :04/11/14 01:43:09
だからズレてる。愛を否定するのでなく、愛することを否定する!
人は愛することを否定(脱構築)し得るか?なぜ否定(脱構築)し得ないのか?と問うているのです。


325 :考える名無しさん :04/11/14 02:04:33
で、話を戻すと、じゃあ「人は何(誰)に承認されたがるのか?」というのがたぶんあって、それは自分と親近性の高い人を承認しやすい/されやすい/してもらいたい、という心理学的な傾向があるでしょう。ただし、セルフイメージの低い人の場合だと、それは近親憎悪みたいな感じで作用することもあるのかな?って。だから、元々親和性の高い他者に拠る承認=自己承認(受容)だから。それって、一種の認知上の錯覚だとも言える。誰かが言っていたけど、(サルトルだっけ?)人が誰かに相談に行くときは、もうその選択に暗黙の解が前提されているということ。
Aさんなら「こう言うだろう」Bさんなら「こう言うだろう」ということが、当人にある程度、無意識に予期されているのだから、そこに親和性や嗜好というバイアスがどうしても介在されてしまうし、そうした中で得られる。他者承認に強く依拠しながら、自我を確立していこうとすることは、後の異化作用を待つまでもなく、脱臼させられてしまうことにもなるよね、と。


330 :ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :04/11/14 02:23:34
>「人は何(誰)に承認されたがるのか?」

ボクがなぜ承認を「まなざし」と呼ぶかというと、「まなざし」の方が、承認の虚像性をとてもよく表していると思うからなんだよね。


>誰かが言っていたけど、(サルトルだっけ?)人が誰かに相談に行くときはもうその選択に暗黙の解が前提されているということ。

そういうことだね。承認は物理的なものではない。「おれはおまえをかわいいとおもうよ」と言われることだけではない。多くは、「まなざし」をむけられたと思った時点で、すでに承認は捏造されている。そして他者は私の中にしかいなく、その他者の承認は私に中にしかないわけだからね。
さらにボクがいったのは、マルクス的な商品の物神化も、商品を通したまなざしを捏造することだと思うんだ。たとえばシャネルを買うと、シャネルを通して、そのシャネラーとして承認されるということ。そして現代は、現前する誰かのまなざしでなく、商品を通したまなざしの方が充実し、依存している。ボクはシャネラーみたなものを「記号コミュニティ」と呼ぶんだけど、「シャネル」というシニフィアンがまなざしの中で自己組織化的に意味を獲得して聞き、ネットワークを形成する=(「記号組織化」)。それでも、「記号コミュニティ」自体はあくまで主体の中にしかない。


334 :ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :04/11/14 02:34:16
承認されたい誰かとは、まず母、父、身近な他者になるわけだけど、社会に出ていく中で、社会の中での「私」を獲得しなければならないわけだよね。たとえば、家庭の中で親との差異で「子供」であることが「私」であれても、社会に出ると、子供が無数にいるわけ。するとこの子供の中で「私」はなにものかという承認がいるわけです。すると男の子、背が小さい、鼻がでかいとかいうように、子供コミュニティの中で差異を見いだす、承認されないと、「唯一の私」を獲得できない。


336 :ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :04/11/14 02:37:20
これをボクは「差異化運動」というんだけど、より近いものと見いだし、その差異を承認し会うことによって、より複雑に「唯一の私」が承認されるんだよ。
ただこれも、現代は学校と会社とか、現前の他者に求められない。商品の多様化の中で 「商品の物神化」によるほうが、より複雑に「私が何ものか」承認することができてしまう。シャネルの中でみんながもっていないものを持つことによって、より複雑に「唯一の私」が承認されるんだよ。だから「消費」とは「まなざしの快楽」であり、それが加速する資本主義消費社会の意味なんだよね。


337 :ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :04/11/14 02:40:31
たとえば、いまはさらに情報の消費=ネットが重要なんだけど、このいまのボクたちも差異化運動中、より複雑に「唯一の私」を承認中なんだよ。


ネットー2ちゃんねるー哲学板ーまなざしスレーぴかぁ〜との会話ー承認の話題


このようにネットではデータベース的な構造を潜り、誰と、何についてコミュニケーションするか、とういことが、より複雑に「唯一の私」が承認されているという、「まなざし」を捏造しているわけだよ。だってキミがなにものか、わからないわけで、キミはボクの中にしかない。そしてネットのこの他者のみえなさが、キミが何ものかは捏造されやすく、まなざしの虚像性を増すわけだよね。


参考)

         上部構造       下部構造                 動性

ニーチェ   真理=形而上学    ルサンチマン      
マルクス   日常生活        生産活動のネットワーク
フロイト    意識           無意識
フーコー   権力、知、真理     まなざしのネットワーク
ラカン     想像界          象徴界
バルト    神話            エクリチュール         
デリダ     形而上学、多義性   原エクリチュール         反復可能性=散種
ルーマン   社会                    オートポイエーシス

ぴかぁ〜   神話           記号コミュニティ          =記号組織化 
        =正しさ         =小さなアウラ            =差異化運動
        =リアリティ       =まなざしのネットワーク     =溢れる余剰