サルでもできるヘタレ化 <なぜ「ヘタレ化するポストモダン」なのか? その12>

pikarrr2005-11-22

ヘタレは遊ぶ


祭りの楽しさは非日常性であり、反復からの逸脱である。そこに現れる差異(無垢)を消費するのである。しかしこの無垢は管理されたものでなければならない。自らに降りかかる偶然の災害などのように本当の無垢では祭りにならない。だから2ちゃんねる「祭り」も、自分は安全であるが故にすべてが祭りのネタになるのだ。

これは祭りだけでなく、遊びすべてにいえるだろう。する必要のないわずかな挑戦をあえておこない楽しむのだ。ペンを指で綺麗に回す必要がどこにあるのだろう。しかし挑戦するのである。ここには無垢を消費しなければ、正常を保てない人のサガがある。

遊びは、単に遊びでなく、豊かと安心に向けて進歩のための試行錯誤でもある。それによって、もはや世界はマニュアル化され「大きな無垢」をみいだすことが困難になっている。無垢のある場所は、より細部化し、社会の価値は多様化する。この欠乏の中で、それも無垢を見いだそうとするのが、ヘタレ化である。

このようにいうと、ヘタレとは暑苦しい人々のようであるが、そうではない。暑苦しいことが嫌いで過剰にスマートをめざす故に暑苦しい人びとである。たとえば引きこもりの過剰性は過剰な他者回避であり、反転して過剰な他者執着になっている意味でヘタレである。




現代のヘタレ化法一覧


現代では、無垢の生産、すなわちヘタレ化は多様化し、様々な方法が考案されている。

①ワーカーホーリック法
仕事はいつも安定した無垢の供給装置だ。特に資本主義社会では無垢を生み出すことそのものを原動力として作動している。過剰は家庭崩壊、過労死にも繋がるので要注意だ。しかし仕事は、原則賃金との交換であり、義務である。そのために好き勝手はできない。特に最近は、リストラだ、なんだと、安定していないので注意。
②消費法
現代において、商品とは無垢であり、消費とは無垢を手に入れることだ。しかし当然お金がいるのであり、過剰になるとカード破産などになるので気をつけよう。特に女の子が陥りやすいが、体を売って、消費するみたいな、悪循環にもなりかねないので、要注意。
③フロー(陶酔)法
スポーツやゲームなど挑戦を身体的な反復によって行うことによって、体内アドレナリンの分泌が促され、ハイになる。健康法にもなるので、ぜひおすすめ。ただしゲームのように身体よりも頭脳に負荷をかけすぎるのは、不健全になるようで、ゲーム脳など危険が叫ばれているので要注意。
サブカル・オタク・プリクリ法
そんなときに趣味に無垢を見いだすのが良いだろう。ただし現代は趣味も細分化しているので、細部へ向かうことが必要だ。特に消費だけでなく、創造を取り言えると、小さいながらも自分自身の無垢(フロンティア)を見いだせる。
⑤過剰つながり(弱者排除)法
消費のお金やオタクの時間や労力がかけられない人たちにいま大人気なのが、ケータイや掲示板などの、ネットコミュニケーションだ。ネットコミュニケーションはやりたいときにやり、降りたいときにおりる手軽さから、「コミュニケーションは必ず失敗する」という無限に小さな無垢を生み、それをモグラ叩きのように潰すというゲーム感覚が受けている。さらに上手くすると「祭り」「炎上」にも遭遇できるかも。
⑥超越的他者法
起源を求めて思考するという形而上学的行為。最近では、軽いところでは、科学読み物によって、素朴な唯物論唯物論原理主義認知科学遺伝子工学への傾倒という唯物還元主義がおすすめ。亜流として、動物化していると言い張る、というのもある。さらに、ディープを求めるには、宗教や、カルトや、思想にどっぷり没入するのもおすすめだろう。日本ではあまり受けが良くないが、人類発祥からある伝統的な無垢共有法なので、はまれば、深い充実感を得られるのは、請け合いだね。
⑦自己破滅(死への接近)法
これはあまりおすすめできないが、究極の無垢である死への近接する。リストカットはベタだけど、イラクなどの危険地帯へ旅するとか。あるいは最悪なのが、他者の死を掛けがねにするのが、一部で流行っているようだ。逃げ隠れするつもりがまったくない他者の殺害という、自己の虐待。死への近接はせめて自分の中で処理しよう。