なぜアイコラは作られるのか まなざしのエロ、あぼーんするエロ

pikarrr2005-12-19

■コンテクストを破る快楽

「まなざしの快楽」と「あぼーんする快楽」を考えるには、エロからはじめるのはいいかもしれません。エロは道徳的な「エロを禁止する」コンテクストを破るタブーの快楽です。たとえば美人に欲情するのは美しいからではありません。美しいのに「僕と同じ「汚れ」を持っているだろう」からです。「うえとあや」というコンテクストがどれだけ「可憐」でも、彼女へ同期し、彼女も同じように臭く、同じように排便し、同じように発情するという事実に欲情するのです。「うわあ〜あの可憐なうえとあやもあんなことしてるよ〜みんなみて〜」。まさにそれを具現化したのがアイコラです。

最近のエロの氾濫は、多少のエロな社会性として許容してしまっています。だからより禁止の方であるロリへむかっています。制服になぜ欲情するかもわかるでしょう。制服そのものが社会性のコンテクストだからです。SMの精神性はこのタブーの一つの極みです。SM愛好者に社会的な地位の高い人が多いと言われますが、「うわあ〜この社会的な俺様がこんなことされてるよ〜みんなみて〜」ということです。だからSMは主体性の快楽です。主体的であるほど快楽を生むのです。まなざしの快楽の強烈さは、「僕らは本能で女性に欲情する」ことを徹底的に転倒するのです。


■まなざしのエロ、あぼーんするエロ

はてさてこの「まなざしの快楽」の強力さをのりこえられるのか。それがあぼーんする快楽」という試みなのです。あぼーんする快楽」はこのようなまなざしの幻想にだまされず、コンテクストを溶解し、コンテクストに依存しない快楽です。だから、そこにはロリもSMもないのです。

ボクはあぼーんする快楽」「身体」と関係すると言いました。この強烈なまなざしを溶解するのは、身体の直接的な反応しかありません。たとえばフェラの気持ち良さはどうでしょうか。フェラは性感体という身体を直接刺激する快楽です。だからまなざしの幻想に関係なく、身体が快楽を感じるのです。しかし誰がフェラしてくれているか?うえとあやか?おすぎか?というコンテクストで快楽はまったく異なるのではないでしょうか。まなざしの力は、快感であるはずのフェラを不快であると感じさせることもできるのです。

しかしおすぎに無理矢理フェラされ不快なはずなのに、体が気持ち良さが感じてしまう、あるいはSMによってもうどうでもよいという絶頂のとき、そのわずかな瞬間、まなざしは吹っ飛んであぼーんしているといえるかもしれません。いやセックスにおいてそこまでの快楽は得られないかもしれません。やはり「(まなざしの働かない)性関係は存在しない」のです。

人は様々な理由でエロに欲情します。その一つに、タブーを犯し、より強烈なまなざしを得たいという思いがあるとともに、コンテクストを溶解し、快楽に溺れ、あぼーんしたいという思いがあるのではないでしょうか。


あぼーんする快楽を記述する科学というまなざしの快楽

あぼーんする快楽は、本来認識することはできません。それをとらえようとすると、そのときにはまなざしが作動しています。最近はあぼーんは科学によって記述されるようになっています。本来、僕たちが認識しえなかった僕たちの事実を解明しています。快楽とはどのような仕組みで起こっているのかなどです。あぼーんとはなにか、とは、自分の中を観察しても見いだせず、科学的な知識を勉強することになるのでしょう。

生物学的に(女性の)オーガズムの状態を説明すると:オーガズム状態の女性の脳をPET(陽電子放射断層撮影装置)という最新映像装置で観察すると、快楽中枢以外のすべての脳機能がストップした状態になっているという。一方で快楽物質であるドーパミンやエンドルフィンが脳内に大量に放出され、オーガズムの最中は、一時的に幸せいっぱいになっていることが科学的に明らかになっている。

http://www.sextalk.jp/essay/orgasm.htm

「統合性欲」(人間の性欲)とは上記の「本能性欲」(旧皮質性欲)と「大脳性欲」(新皮質性欲)の統合・総和によって出来上がったものである。(類人猿の一部にもあてはまる)後天的に成長する人間に顕著な新皮質・大脳と多くの動物が生来的に持っている旧皮質・視床下部を中心とした辺縁葉との間で展開する、体液・ホルモン・神経繊維を媒介とするネットワークが人間の性欲の決め手となるのである。外界から受ける五感の刺激はすべて大脳を通じて、下垂体や性腺や自律神経に伝達され、内臓や性器に伝えられるわけである。

人間の性欲は大脳と視床下部辺縁系が互いに影響し合い、双方でコントロールをし合うという面白い関係にあるわけである。これらのコントロールは性欲の亢進だけでなく抑制もするところがミソなのだ。つまり、オスの本能の為せるワザとして、好みのメスを見つけると、見境なく押し倒し「性欲」を満足させることが難しいのが人間の性欲のメカニズムなのである。大脳は成長に伴って、教養・倫理・道徳・宗教などの情報を大脳に詰め込み、動物的性欲を抑制することになる。中にはこの大脳に何らかの障害が起きたり、一部成長が未熟であったり、逆に老化などによって大脳と視床下部辺縁葉のコントロールが狂ってしまい、異常性欲を起すことがある。また、皮肉な現象として、大脳に道徳や倫理など精神活動を歪める形で形成する高度な脳活動故の人格障害も発生する。

何だ!不便になっただけかなどと嘆かないでもらいたいものだ。この大脳による複雑な性欲を人間が身につけたことで、「コミニケーション・セックス」という生殖を離れた複雑なセックス(オーガズム・セックス)を与えられたのだから、文句を言えた義理ではない。生殖だけのセックスであれば、早漏は正解なのだ、膣内に射精さえすればいいのだから。現に類人猿以下の動物のセックスタイムなんて、”ちょちょいのちょい”である。30分も挿入していたら、間違いなく他の動物に食べられている。だからといって、早漏の男が進化が不足した人間だ等とは言っていない。

http://www.enoplan.jp/sexindex/howtosex2.htm

しかし科学にはさまざまな問題があります。まなざしの快楽のような「心」を記述するところまで来ていない、ということです。それは「身体」へと徹底的に還元してしまい、本来のまなざしの快楽であるエロがそこからは見えません。

たとえば最近、流行りの言葉にゲーム脳があります。この真実はわかりませんが、ゲーム脳という言葉が一人歩きし、若者の流行りのファッションなど、タブーへ近接する「まなざしの快楽」そのものがゲーム脳の影響に還元されています。これはまさにゲーム脳という危険な言葉そのものが、まなざしの快楽を作動させ、人々の興味を強くかき立てているということです。科学的言説そのものにも「還元主義」的なまなざしの快楽は働いているのです。