なぜ占いに頼るのか
占いは当たるのか、当たらないのか
占いには根元的なニーズがあるように思います。好きな人は頼ればよいし、頼りたいときもあるだろうし、現に多くの人が占いが好きで楽しんでいる。それだけでなく、歴代のアメリカ大統領や、経営者と呼ばれる人の多くなども、人生の岐路に占いに向かってた事実があります。
占い師「あなたは交通事故で明日死ぬ」
一日中部屋にこもって過ごした。orふつうに過ごした。
占い師「私の忠告であなたは死ななかったのです。」
これは典型的な占いの例です。占いは当たったのか、当たらなかったのか。占いは必ず当たらないのです。未来予測は未来へ影響するのですから。占い師が未来予測を口にした時点で、未来はそれを含んで変化し始める。しかしまた占いは必ず当たります。占いがはずれたことが占いがあたったということです。
だから占いは当たるか、当たらないか、ではなく、それがなぜ必要とされ、どのように機能しているのかに意味があるのです。
占い師という「大いなる意志」の媒介者
占いに向かうとき、人はなんらかの悩みを持っています。悩みを友達などの第三者に相談することはよくあることです。占い師への相談も同様な意味があると思います。第三者の意見を参考にするのは、俺は他者に言われたからやってのだ、という責任を回避するという気持ちの軽さがあります。
しかし友達など知り合いに相談し参考にした場合にうまくいかいときに、あいつのせいだと、過剰に責任転嫁し、甘えてしまいます。それに対して占い師は「完全なる第三者」である点が重要です。占いとは占い師に責任があるのでなく、占い師は「大いなる意志」に従う媒介者でしかありません。細木数子が偉そうにしようが、「中国5千年の知恵」、「宇宙の気」などのように自分は「大いなる意志」の媒介者であるという立場から逸脱しません。
だから占いにおける「完全なる第三者」とは占い師の向こうの者であり、忠告を聞くのは自己責任であり、仮にそれがはずれたからといって占い師を攻めるのはお門違いです。そしてそれを聞くか聞かないかは自己責任です。
「いかにそれをうまくやるか」に集中するという「開き直り」
占いは選択そのものが問題ではなく、第三者に言われたからやってのだという無責任な気持ちの軽さと、だからといって失敗しても、占い師が恨むこともできないという責任の重さのバランスが作り出す、「完全なる第三者」という立場が重要です。
どのような未来を選択しても、良い時期、悪い時期があるものです。悩んだ人にとって必要なのは、責任なく強く背中を押してくれる人です。そしてそれによって「なにをするか」の迷いを放棄し、「いかにそれをうまくやるか」に集中するという「開き直り」を生みます。そして人は占いには頼りたくなるのです。
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