なぜポップスは抑圧からの解放を歌うのか

pikarrr2006-05-10

音楽の気持ちよさ


音楽を語るときに、①音楽という音群が人の生理に与える影響。気持ちよさなどと①音楽は文化であり時代性があるということがあります。

時代に影響されない音楽の気持ちよさ、逆に言えば生理的な気持ちよさの追求として音楽が継続されていく、ということがあります。たとえば音楽の気持ち良さの科学的解明につながるものに1/fゆらぎというのがあります。波の音のように単調な繰り返しと不確実な波長が半々のときに人は気持ち良さを感じる、というものです。

しかし波の音の気持ちよさとは単調ではないでしょうか。人はどのような音楽に気持ち良さを感じるのか時代性であり、個性があり、現代のロックなどでは、波の音のような気持ちよさに比べるとノイジーな音が求められている面があるのではないでしょうかしょう。

これは、その時代に体験したリズムの中で、「ありふれたものと不確実なものバランス」に気持ち良さが生まれるのだと思います。そしてそこに時代ごとの、人それぞれの、音楽の気持ちよさの違いがありそしてそれは体験によりたえず変化しつづます。




リビドーの解放の出口としての音楽


音楽の時代性を考える場合には、音楽とメディアの関係は切り離せないでしょう。たとえばクラシックはいま聞くような感じだったんでしょうか。音声、画像など電子記録メディアにより記録がなく、楽譜のみが時代を超えて伝達されるなかで、現代のクラシックは楽譜忠実主義なものになっていないのでしょうか。たとえばいまのロックを楽譜のみで伝達することは可能だとは思えません。

さらに楽譜でも、記録メディアでも伝わらないものがあります。空気=コンテクストです。現代に、万葉の音を再現しても、その時代の人がいかにそれを作り、感じたかは絶対にわかりません。

電子記録メディアがない時代に人はモーツアルトの曲を一生に何度聞いたのでしょう。あるいは、クラッシックと、人々が野良仕事でなどで歌う民謡は、どちらがポピュラーだったのでしょうか。記録はいつも偉人の物語であり、民衆の風俗は残されにくく、だから歴史とは偉人がつくったように語られます。そのための歴史は現代に作られた物語だといいわれます。その中でも音楽の歴史を語ることが難しいでしょう。

このような音楽のとらえどころのなさ、自由度こそが、音楽が「ありふれたものの中に生まれる不確実なもの」をうみだす柔軟性であり、「性的なもの」、リビドーの解放の出口となり、気持ちよさを生み出すのではないでしょうか。




現代芸術の閉塞


現代芸術の特徴として、コンテクスト(空気)に自覚的になった、ということがあります。デュシャンが美術館に便器をおいて「泉」と呼ぶ、ウォホールが当たり前だった広告をこれは芸術だと叫ぶとき、コンテクスト(空気)への自覚、歴史的にその作品がいかに語られるかが考えられています。

たとえばウォホールのポッフアートとほんとの商業的大衆文化、村上隆オタク文化の差異は、その作品の中にそのものよりも、これは芸術である、これを芸術と呼ぶという自覚の強さです。そこでは歴史(コンテクスト)を作るために芸術が作られるという逆転が起こってしまいます。

それがさらに進んむとデリダ「散種」的世界になります。どのようなコンテクストからもコピー&ペーストされ、無限の意味が可能になる中で、その芸術の意味とはなにか。それは錯覚かと、発散し、リビドーの解放の出口としての芸術は閉塞しているといえるかもしれません。




なぜ現代のポップスは抑圧からの解放を歌うのか


ポッブスは黒人がつくる説があります。大もとはアメリカにつれられてきた黒人奴隷の霊歌(ゴスペル)であり、それが時代ごとに新たなリズムに作り替えられてきた。黒人は、ブルース、ロック、ファンク、ヒップホップなど発明してきた。そして白人がそれを商業化した。

たとえばロックンロールとは50年代に黒人が発明したリズムの名前です。黒人差別によって黒人歌手のものは低俗でさけられましたが、それを白人が取り入れ、商業的に成功させ、世界に配給しました。黒人はその後もR&B、ソウル、ファンク、ラップ、ヒップホップなど次々とあたらなリズムを開発していきました。そして白人はそれを後追いで商業的に成功させるという構造があります。マイケルジャクソン以降、黒人も白人並の商業的な成功が可能になり、搾取の構造は緩和されているようですが。

たとえば明治以降、日本の心といわれる演歌なども黒人のブルースの影響が色濃いですね。現代のポップスが黒人霊歌に起源をもつのは象徴的ではないでしょうか。なぜ黒人奴隷という抑圧された人たちが見いだした解放の方法に現代人は共鳴しつづけるのか。ブルースからロック、ヒップホップなどへとリズムがはやく、激しくなり、ボクたちはなににそれほど抑圧され、解放を求めているでしょうか。

空気に自覚的になるポストモダン的閉塞、それはリビドーを解放できずに閉塞し、衰退する現代芸術音楽にもみられるが、その反動として抑圧を解放する方法論としての黒人霊歌に起源をもつの音楽が躍進しているのかもしれません。

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