続  オタクであることはなぜ恥ずかしいのか その3

pikarrr2006-05-30

risuga
コメントでのやりとりも大変面白く読ませて頂きました。仰る通り「オタク系→恥ずかしい」「純愛系→恥ずかしくない」の差は社会規範によるものでしょうし、長谷部悠作さんのご指摘にある「表面的露骨さ」も作用しているのでしょうね。となると「オタク&恥ずかしさ」を語るにはやはり「社会規範」の生み出す「恥」とその状況について語る必要がある気がします。

もう1つ興味深かったのは pikarrrさんが「ボクは『オタク』ではないので」と何度も書かれている点です。といいますのも、斉藤環氏の「自分を『おたく』と自称しない人が本当のおたく」という指摘が頭に浮かんできて、pikarrrさんご自身はどんな「オタク定義」を持っておられるのだろうかと気になってしまったからです。(そういえば斉藤氏は「二次元で自慰可能ならオタク」という説も披露されていましたが(笑))

そこで過去のエントリやコメント欄での「オタク」についての言及を拝見したところ、

・データーベーススタイルで事実確認的にコミュニケート
・ベタな空想に埋没できる能力
・生真面目型
・信念を持たない
・自ら二次創作を行い消費しあう自給自足な人々
「出会わない女性」の究極として二次元キャラを追求する心理
・ボクはオタクを現代社会の傾向としてオタク系と考えています
・外的なコンスタティブなディテイルという緻密な面と内的なベタな虚構面の不思議な思考の二面性
・自らの抑圧を作り出し面白さを見出すのが上手い
「(一般社会から見た、無意識の)恥ずかしさ」がオタクの力の源泉

といったものが散見されましたが、正直申し上げまして「オタク」という言葉を少々便利に用い過ぎのように思ってしまいます。例えば「データベーススタイル」「二次元キャラ追求」「思考の二面性」などが明確にリンクしないのです。(私の読解力の至らなさゆえかもしれませんが;;;)

今はネット上でもマスメディア上でも本当にさまざまな用法で「オタク」という言葉が使われていますし、pikarrrさんご自身がネット上での潜在的ディスコミュニケーションを指摘されているにもかかわらずこれほど曖昧な言葉である「オタク」についてご自身の定義を書いたエントリが無いというのは少し不思議に思います。また機会がありましたら、すばりpikarrrさんの定義する「オタクとは」について読んでみたいと思いました。

pikarrr
risugaさん、こんにちは。 ボクが「オタク」という言葉を少々便利に用い過ぎでは、というなかなか辛辣なご意見ですね。はてなをはじめて2年半近くになり、前後で整合性のとれていない発言は多々ありますと言い訳させていただきます。(笑)ボクの過去のエントリーをまめに調べていただいて、逆にボク自身が勉強になりました。ボクはこんな感じで「オタク」を語ってきたのですね。

これらの中で、ボクは「オタク」という言葉を2種類の意味で語っているように思います。一つは「オタク傾向」です。これは現代人だれもがもつものです。価値多様化の社会では人々はなんらかのより細部に価値を見出す(ボクは「差異化運動」と呼びました)という「オタク傾向」がなければ、リアリティを見出すことができません。

もう一つはより一般的な意味でのアニメ、アイドルなどを中心とする「秋葉系」です。これも大括りではありますが。ボクは「オタク」ではないのでこれ以下の括り方はわかりません。(笑)

だから「ボクは『オタク』ではないので」というのはボクは秋葉系ではない、と言う意味です。再度言うと最近のアニメの絵は気持ち悪くないですか。俗に言う二次元にデフォルメされたロリ的女性像はボクなどは鬱積し屈折した性欲を感じて、他者の自慰を見せられているような不快感があります。しかしそれ故に凝縮した力を感じるのです。

「オタク傾向」はそもそも現代の鬱積し屈折した性欲の「昇華」としてあると思いますが、「秋葉系」の創作意欲はその中でも、この価値希薄のポストモダンにおいて驚異的にどん欲です。鬱積した性欲的なもののうちより過剰な者が「オタク傾向」から「秋葉系」に向かう。それは多くにおいて「若者」である、というのはあるのではと思います。

しかしボクは、またどこかで「オタク」は存在しない。」というようなことを発言していたとも記憶しています。すなわちなにか明確な定義のもと、そのような人々がいるように語っているが、そんな定義はそもそもないでしょ。だからといって「オタク」は存在しない。」といって話を終わらせても仕方がなく、「オタク」など存在しないが、存在するようにしか僕たちは語れないから、存在するように語り合おう。」これはポストモダン的なアイロニーです。

たとえば元祖オタク?の岡田氏のオタク・イズ・デッドが話題を呼んでいるようですが、これなどは存在しない「オタク」、とくに最近では広く曖昧になった「オタク」に対して、オタク・イズ・デッドということで逆にそこにあたかも(死ねるように明確な)「オタク」がいるようにふるまっている=「キミは死ねるとおもうほどにオタクか」「オタク」は存在する!」という正統派オタク宣言になっていると思います。

オタク・イズ・デッド
そう、オタクとはすでに滅びてしまった民族なのです。
オタクが滅びたとするなら、では、いま存在する「私たち」とは何ものなのでしょう。
マニアなのか?「萌え人」なのか?それとも???
オタクはいかに生まれ、栄え、そして滅びていったのか?
滅びゆくオタクと、それを見守るしかできない私たち。
今の我々は、アトランティス大陸が沈むのを、脱出船から見ている避難民たち」ではないでしょうか?
オタク・イズ・デッド




僕は先日のイベントでひとことも「最近のオタクはダメだ」とか「いまのアニメはつまらない」とか言ってない。「昔のようなオタクが減ったのはケシカラン」とも言ってない。
また、イベント中に定義した「オタクとは」というのも、「僕はこう考えてるけど、もちろん君たちとは違うでしょ?」という基準線でしかなく、いわゆる系論の一部だ。
重要な本論は「貴族→エリート→アイデンティティという流れの変化そのものであり、問題の本質は「共通文化への忠誠心を含む、同族意識の淡泊化」なんだけどね。でも、あの部分こそが「なぜオタクが死んだ、といえるのか」のキモのはずだよ。

でもあんな少人数のイベントなのに、ブログでいろんな人が語っているのは驚いた。自分で言ったことなんだけど、本当に「オタクであること」アイデンティティである人たちがこんなにも多くいる、ということなんだろうね。

オタク・イズ・デッド http://putikuri.way-nifty.com/blog/2006/05/post_78fa.html 岡田斗司夫プチクリ日記 
これって「ネタにマジレスカッコ悪い」。完全なる煽りですね。でも「オタク」ってみんな楽しいそうでいいですね。(笑)

*1 
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*1:画像元 http://www.gendaishorin.co.jp/okada/messagetorisetu.htm

*2:本内容は「[議論]続オタクであることはなぜ恥ずかしいのかその2 」http://d.hatena.ne.jp/pikarrr/20060527のコメント欄からの転用です。