ネットと社会はなぜ「断絶」するのか その3 純粋略奪関係というバランス

pikarrr2006-06-09

Googleという立ち位置


しかしまたこのときに逆も発生するだろう。資本社会はネット住人をホモ・サケル(剥き出しの生(=主権権力の外に位置する者))」の位置におき、疑似純粋略奪を行う。「環境管理権力」的にネット住人が気がつかないうちに管理され、さらには誘導されている。たとえばボクたちは匿名でいるつもりでも、すべてのログは記録されている。さらには無料のもとに誘導されている。

そしてウェブ進化論梅田望夫ISBN:4480062858)の示すGoogleはまさにこの位置にいる。*1ネット住人にただで多くの資本社会からのものを提供しつつ、気が付かないうちにネット住人のものを資本社会売り払うという純粋略奪関係を促進する位置にある。

彼らは多くの知的財産を無料でネット社会に提供している。これによって資金を得ていた企業にとっては略奪に近い。またアフェリエイトはアクセス数を金額に買えるシステムである。ネット住人は気がつかないうちに宣伝させられており、そこに資本システムが動いていることに気がつかない。あるいは、Web2.0などにはネット社会の群衆の力を気がつかないうちに管理し、利用しようというものである。

このようなGoogleの方法論は、多くにおいて、ネット社会と資本社会の疑似純粋略奪の関係を「やわらかにつなぐ」ものであり、ネット住人の二重帰属性という微妙な立ち位置をくすぐる有用なものである。

ネット重視においては、お金を稼ぐのでなく、コミュニケーションによってネット内部に帰属する。お金はある意味でついでである。さらにいえば、ネットだけでは生きられないし資本社会住人として、小銭ぐらい稼いでもよいだろう、という温情がある。その意味でネット住人としてのプライドを傷つけずに小銭が稼げる。




「VIPブログ」問題でみえた微妙な「境界」


「VIPブログ」問題では、そのアフェリエイトが問題になった。個人的にアフェリエイトで小銭を稼ぐにはもはや一般的である。また2ちゃんねるで盛り上がったネタはまとめサイトが作られることも、もはや定番であり、無数にある。同じように「VIPブログ」側は「想像的な」内部への帰属意識としてまとめサイトを作ったのだろう。

しかしまとめサイトという「内部」「共有財産」で、個人が勝手に外部へ「売り渡す」のは、略奪行為であると判断されたのだ。もしかしVIPPERというネット社会内部への帰属がつよい人々であったからかもしれないが、「ネット社会と資本社会の疑似純粋略奪関係」という「断絶」の根深さが示されている。そしてこのような問題は、「神的な」とても微妙な境界として、今後も回帰するだろう




疑似純粋略奪関係というバランス


しかしこれはGoogleの戦略に反してはいないだろう。Googleが目指すべきは資本社会とネット社会の融合ではなく、「断絶」こそがメシの種なのである。「内部間の境界にお金儲けのネタがある。」というある意味で商売人の基本であるともいえる。

資本社会とネット社会は大きな内部として作動している。たとえば電車男にしろ、のま猫問題にしろ、「VIPブログ」問題にしろ、そもそもそこに強い「内部」があったというよりも、資本社会からの純粋略奪(贈与)という力があったから、内部が作動したのである。

「彼ら」は資本社会の住人でもあり、依存して生きている。資本社会が崩壊すれば、ネット社会は保たれないだろう。だからネット社会と資本社会の疑似純粋略奪の関係は、むしろ一つのバランスであると言える。そこにGoogleは鉱脈を見出したのだ。




「想像なもの」と「象徴的なもの」の断絶


確かにGoogleが提供する「ブログを書きお金が儲かる。なんて、すばらしい」とも思う。しかしお金を儲けたければ、資本社会で労力を働かせる方が効率がよいのではないだろうか。

ボクは、資本社会とネット社会の断絶の構図で示したが、その本質は「想像なもの」「象徴的なもの」の断絶ではないだろうか。

本質は、「資本社会で失われた「繋がり」「心の交流」であり、「愛」であり、「ぬくもり」を求めて、人々は新たな「内部」を形成する」のである。そしてそこでには、ネットだけでなく実社会でも困難になっている「空気」の共有をなんとか乗り越え、大人になれない(去勢不全)ように振るまい、脱資本社会的な行為をすることを「踏み絵」として、生息している。資本社会側からみると「外部」「動物」であるが、彼ら「内部」ではとても「人間」臭い人々である。




「資本の追求が重要ではない」


たとえばオタクと言われる「内部」も資本社会にありながら、二次製作であったり、コスプレ命であったり、ただで多くの労働が行われている。現在の資本社会の内部では多くのこのような傾向が見られる。

資本社会の最高の成功者となったビルゲイツ「どん欲」でありつづけ、多くの寄付をしたり、子孫に財を残さないと公言しているのは、まさに「資本の追求が重要ではない」ことを示すためである。彼はそれでも「内部」への繋がりを重視しているのである。彼の内部とはかつての「コンピューターオタク」であり、いまならネット社会に居続けることである。

たとえばホリエモン「お金で買えないものはない」といった。しかしそれは単なる貨幣至上主義だったのでなく、そこには「大金は特別なことはなにもない。あくまで手段でしかない。」というアイロニーが働いていたのではないだろうか。

そしてビルゲイツであり、ホリエモンであり、資本を追求することを目標にもち、成功しているときに、「資本の追求が重要ではない」が、資本社会では、資本の追求でしか「内部」を形成できないというパラドクスのもとにある。

*1:Googleはなぜ「世界征服」をめざすのか 「ウェブ進化論梅田望夫 http://d.hatena.ne.jp/pikarrr/20060213