「世界共和国へ」 柄谷行人

pikarrr2007-09-03

柄谷行人「世界共和国へ―資本=ネーション=国家を超えて」ISBN:4004310016)を、史観を主にまとめる。



未開社会 互酬制共同体


原始社会と未開社会は異なる。原始社会は国家の前段階の共同体であるが、未開社会は、国家の周縁部に位置し、文明を拒否する共同体である。未開社会が可能になるためには、国家から地理的に十分に孤立し、狩猟採集によって生活できる自然条件が必要である。外部と遮断された条件の上で、互酬によって共同体の定常均衡(ホメオタシス)を維持するシステム。

レヴィ=ストロースの親族の構造=女性の互酬交換による代数的構造。近親相姦の禁止=社会を血縁的な狭い範囲に縮めないため




国家(擬制的互酬制)、商品交換の誕生


原始社会は、互酬的交換だけでなく、他の交換様式を萌芽的にはらむ。このような共同体と共同体の間には互酬にもとづく規範(掟)がない。このために一つの共同体が他の諸共同体を支配し、暴力的略奪を禁じることで、国家と法が成立する。

国家と商品交換は共同体と共同体の間で、並行的に成立する。一つの共同体が他の多数の共同体を支配するようになるとき、多数の共同体の間で生産物の交換が無事に行われるようになる。商品交換は人類史の早期段階からはじまったが、近代国家と市場経済が確立されるまで従属的・補足的である。

国家では、農業共同体からの賦役と貢納(租税)、他の国家からの略奪に対して共同体を防衛する、「公共的」事業を興すなどによって、共同体の間を調整、制御する。このような略取−再配分があたかも互酬的交換であるように表象されること(互酬の擬制)によって、国家は公共的、理性的であるという観念が生じ、一つの共同体が他の諸共同体を継続的に支配する形態が生まれる。

国家は他の国家(敵国)を想定し、外の国家に対して周辺の共同体が防衛、支配からの独立しようと形成される。




中核と周辺 帝国と封建制


アジア的な国家(東洋的専制国家)では、専制的な公的と官僚機構・常備軍の存在によって、支配者の共同体は消える。そのために中央集権化が可能になり、支配者(国家)は共同体全体を上から支配する。その最上位にエジプト、メソポタミア、中国のような帝国がある。周辺国家を支配下におき、人を統御する技術(文字言語、宗教、通信網)をもつ。

帝国には中核と周辺の関係が生まれる。「アジア的国家」、中央集権的帝国を中核として、亜周辺に古典古代的都市国家ギリシア・ローマは位置する。これら都市国家東ローマ帝国となる。また中核として、西ヨーロッパ、日本に封建制が生まれる。

亜周辺の封建制では、王も諸侯から際立った存在ではありえず、主君の絶対権力や集権的な中心化を許さない。主君と家臣の双務的な契約関係(互酬原理)であり、王や諸侯達の戦争による分散化・多中心化が統一的な国家の形成を妨げた。

東ヨーロッパ帝国の亜周辺である西ヨーロッパに封建制が生まれ、小国家(封建国家)が分立、皇帝は名目的となり、三千以上の自由都市が成立した。自由都市は商品交換の原理の上に形成された共同体であり、共同体や国家や教会を超えた通用する貨幣の力によって自立し、商工業者はブルジョアとしてあらわれる。のちに宗教改革ブルジョア革命、パリコミューンにまでつながる。




絶対主義国家の誕生 火器の発明と商品経済の浸透


絶対主義王権国家は、王がこれまで王と並び立っていた多数の封建諸侯を制圧し、また教会の支配権を奪うことで成立する。これを可能にしたのが、破壊力をもった火器の発明と商品経済の浸透である。

火器は旧来の戦力を無効にし、貴族=戦士の身分を無意味にした。官僚組織と常備軍の形成(すでにアジア的官僚専制国家で実現されていた)によって、国家が暴力の独占に存する。

王は都市の商工業者と結託し、封建諸侯の地租、諸権利を廃止し、地租を独占し、さらに、関税や所得税を得るために、貿易を推進した。商業や交易は帝国によって管理独占され、商品交換は他の交換様式を上回ることはできないかったが、絶対主義王権は商品交換の原理を全面的に受け入れる。




「近代世界システム  世界経済と主権国家


主権は1国だけでは存在しない、他の国家の承認によって存在する。西ヨーロッパにおける絶対主義国家(主権者)の誕生は、帝国や部族国家を主権国家として再組織し、世界的に主権国家を生み出す。

また資本主義的市場経済も1国だけで考えることはできない。西ヨーロッパの一部において生じた事態(産業資本主義)がその他の世界帝国におよぶ。いったん世界市場=世界経済が成立すると誰も外部にあることはできない

かつて西アジア世界的耕の亜周辺としてあったヨーロッパが中心となるとともに、旧来の中心部が周辺と化した。 世界経済の下に形成される主権国家と資本主義的市場経済という、政治−経済的なシステムをウェオーラーステンは「近代世界システムと呼んだ。




国家=警察=暴力


絶対主義王権国家は、明かな略取−再配分をもっていいたが、市民革命以後の国家では、国民が義務として自発的に納税し再配分するため、国家は国民によって選ばれた政府と同じにみなされる。しかし国家は政府と別のものであり、国民の意思から独立した意志を持っている。株主が経営者を解任したり企業を買収するとき、資本があらわれるように、国家は戦争においてあらわれる。国家の自立性を端的に示すのは、軍・官僚機構という「実体」であり、国家=警察=暴力である。国民主義のもと国家はそれ自身のために存続しようとする。




ネーションの誕生 絶対的主権への均質化


世界帝国では多数の民族がいても民族対立は生じなかった。帝国は政治的弱かった。各地で、王・封建諸侯、教会などが並び立つ形で争っていた。世界帝国は支配下にある多数の部族的な国家・共同体に干渉することなく全体を統治する。

絶対主義国家はその内部に、その相対化するような権力や各種の共同体を認めない。すべての者を「臣下」にする。さまざまな身分や集団に属していた人たちが、絶対的主権への臣下として、同一化(均質化)される。ここにネーションの基盤の基盤が生まれる。

身分・部族・共同体・言語によって分かれていた人々が、その差異をこえた同一性をもつのは、絶対的な主権者の臣下となるとき、このような暴力的過程をへることでネーションとしての同一性をもつ。

人民が王政から主権と取り直しのではなく、人民は絶対的集権者の臣下として形成された。さまざまな身分や集団に属していた人たちが、主権者の下で臣下として同一の地位におかれて人民になった。

ネーション=ステート(国民国家)は近代の主権国家と資本主義が、旧来の世界帝国を解体していく過程で、不可避的に生じた。近代の主権国家と資本主義は、各地で旧来の世界帝国を解体するとともに、その下に存在した多数の共同体(藩、部族、親族、カトリックユダヤ教イスラム教などに見られる宗教共同体)を解体していった。




ネーションの想像的回復 互酬的な共同体


ネーションは、市民革命によって絶対的主権者が倒され、個々人が「自由と平等」を獲得するときに成立する。

「想像の共同体」ベネディクト・アンダーソン。18世紀西洋におけるネーションの発生。啓蒙主義、合理主義的世界観の支配の中で宗教的思考様式が衰退したところ、ネーションは宗教にかわって、個々人に不死性・永遠性を与え、その存在に意味を与える。

ネーションは、商品交換の経済によって解体されていった共同体の「想像的」な回復する。ネーションは、資本主義経済がもたらす格差、自由と平等の欠如が、想像的に補充され解消される互酬的な共同体である。




商品資本、マニュファクチュア、植民地主義 


商品資本は、遠隔地との交易を通して、その価値体系の差異から剰余価値を得る。「世界市場」が形成され、多数の商品資本が参入し、差異は利潤を生まなくなった。

マニュファクチュアは、自然的な差異でなく、積極的に価値体系の差異を作り出す。分業と協業(労働の分割と結合)によって、生産力を飛躍的に上昇させる。自ら生産を組織し、より安くより多く商品を生産することで、国際的競争に勝たなければならない。マニュファクチュアは重商主義として、基本的に絶対主義国家による国家と商品資本の提携が行われる。

交換による差額で儲けるより、略取によるほうがてっとり早いため、世界中の資源(金・銀・その他)を略奪し、各地の部族的共同体を支配する植民地主義をもたらし、帝国主義の始まりである。

貨幣の魔術・・商品の価値は、他の商品の使用価値で表現される。金、銀がそこに位置するから貨幣であるのではなく、それらが特別だから貨幣であると考えられるようになる

貨幣を溜め込む倒錯・・・貨幣による交換は自由で対等な関係をもたらすが、貨幣と商品という非対称的な関係が伴う 




産業資本 土地と労働力 


商品資本が外国(遠隔地)に向かっていたのに対して、産業資本は国内に遠隔地=生産=消費するプロレタリアを見つけた。商人資本は、王や封建諸侯への奢侈品を扱う。それに対して、産業資本の生産物は生活必需品であり、それを買うのはそれを生産するプロレタリア自身である。産業資本が優位に立つとともに、商品資本はたんに産業資本の一端を担う商業資本に転落する

農民、職人は共同体に属して、資本制的な賃労働を嫌うのに対して、産業プロレタリアは互酬的な共同体の原理をもたない人々である。産業資本は本来商品にならない二つのものが商品になったときに成立した。労働力の商品化には、土地の商品化、私有化が先行しなければならない。農民を生産手段(土地)から引きはがす過程が資本主義にとって不可欠な前史である。

プロレタリアは労働力を売って得た賃金で生産物を買う消費者である。産業資本はそのようなプロレタリアを搾取することによって剰余価値を得る。




消費社会の出現(フォーディズム) 自己再生的なシステム


個別資本が利潤を確保しようとすればするほど、総体として不況が悪化する。1930年代の大不況(デフレ)において、資本総体はこのような傾向を逆転させる。高賃金によって、耐久消費財(車と電気器具)の大量生産と大量消費を実現し、不況を脱出しようとした。 (フォーディズム

産業資本主義の画期性は、労働力という商品を生産した商品を、労働者が労働力商品を再生産するために買うという、自己再生的(オートポイエーシス的)なシステムを形成した。商品交換の原理が全社会・全世界を貫徹するものとなりえた 。

産業資本主義が粗野な段階になり、奴隷制農奴制の変形に見える時期は、それに対する闘争が生産点で起こったが、消費社会になると旧来の階級闘争は無効になる。資本制の発展とともに、資本と経営の分離がおこり、資本家はたんなる株主として生産点から離れ、経営において官僚制が採用される。経営者と労働者の関係は身体的階級ではなく、経営者と労働者の利害は一致する。また労働者は資本に資本に従属的であるが、労働者は流通過程において、消費者としてあらわれ、資本に優越する立場に立つ。




産業資本 たえまない技術革新


商品資本は、空間的に価値体系の差異から剰余価値を得るのに対して、産業資本は技術革新や新商品開発を通じて、価値体系を時間的に差異化することでえる。技術革新によって労働生産性を上げ、労働者に支払われた労働力の価値以上の価値を実現する(相対的剰余価値)。

そのためにたえまなく技術革新を行うことを強いられる。人類史上、産業資本主義以後ほど、技術革新が加速された時代はない。産業資本は世界を文明化するためにではなく、自らが存続するためにこそ技術革新を運命づけられている。




資本の限界 戦争、環境破壊、経済的格差


人類の課題(人間と自然の関係、人間と人間の関係)=1 戦争、2 環境破壊、3 経済的格差。これらは国家と資本の問題であり、国家と資本を統御しなければ、破局への道をたどる。

資本主義がどんなにグローバルに浸透しようと国家は消失しない。商品交換の原理と別の原理にたっている。イギリスの自由主義帝国主義を支えるのは、強大な軍事力であり世界最大の課税だった。それは今日のアメリカのネオリベラリズムも同じ。

自然を商品化し、再生的なエコシステムを破壊する。資本はその運動をとめることはできない。

労働力と土地は資本が自ら作り得ないもの。この商品こそ資本の限界として、内在的な危機をもたらす。資本にとって思い通りにならない労働力の過剰、不足が景気循環を不可避的なものとする。

労働商品としての人間は、家庭、共同体、民族など互酬的関係から切断される。人はそれをナショナリズム、宗教として取り返そうとする。