なぜ国家は必要とされるのか

pikarrr2007-10-23

第三の波平
グローバルな資本主義の展開というのはますます拡大していて、たとえば昨年ベストセラーになったトーマス・フリードマンの『フラット化する世界』(日本経済新聞社)でも出ていましたが、アメリカ人とインド人が直接に賃金競争を行うような場合が出てきている。そのとき、労賃の競争そのものが国境を越えているのであれば、実は再分配をアメリカの中とかインドの中だけでやってもしようがない。そうするといずれにせよ、ネイションの範囲内での共感可能性をもとにして、国民国家の中で富の再分配をいくら整えてもどうしようもないという事態が早晩やってくると思います。(東)

大澤真幸vs東浩紀 『ナショナリズムゲーム的リアリズム第2回』
http://shop.kodansha.jp/bc/mailmagazine/backnumber/gendai_01.html
この話はとても東らしいのだけど、ネグリの帝国論と同じで、フラット化と世界を単純化しすぎだと思うんですね。

第三の波平
たとえば、日本が国家をやめれば、安い労働力、安い製品がなだれこんできます。日本経済が崩壊する。でもその前に、中国やアメリカや、韓国やみんな軍隊引き連れて日本を助けるためにやってきます。領土分割して、非常事態宣言で、統治します。もう自国に有利な法を制定し、そこに中国、アメリカ、韓国の企業が上陸して、国も保護の元、商売します。それは、賄賂の世界です。日本人は搾取され、働かされます。

そしてフラット化と騒いでいる裏で、途上国ではこんなことがおこなわれています。フラット化とかなんって、世界のわずかです。そして資本主義というのは、そのはじめからこのような国家間の非対称性によって成り立っています。世界がほんとうにフラットで平等で自由競争になれば、資本主義経済は回りません。


Aさん
ポストモダンの世界では、そんなみんなが団結できる大きな物語は、例えそんな状況になったとしてもありえないんですよ。中国に占領された、じゃあどうやって彼らと共存するかを考えるのが日本人なんですよ。

第三の波平
大きな物語は消失したのではなく、自明なために見えなくなってるということでしょ。なぜお金は価値があるのか、なぜ法は正当なのか、なぜ日本人は日本に萌えるのか、というようなことは、縦の力がなければ、成り立たない。それが、フラット化と言われながら、国家がなくならに理由。そして社会に「外部」が存在する限り、未開社会であろうが、縦の力は必要とされる。

そこで重要なのがアガンベンの例外状態です。「主権者とは例外状態について決定する者である。(シュミット)」例外状態にこそ本性が現れる。911アメリカの例外状態で、一気にナショナリズムが高まり、イラクへの戦争と向かった。

911が象徴的なのでしょうが、冷戦以降、ポスモダ的なガラスの棟は崩れつつあるでしょ。フラット化とは、ポスモダが世界に広がるという幸福なイメージでしょうが、実際はイスラム圏やBRICsの台頭などで、ぬるま湯に使っていたポスモダ先進国が脅かされている。様々なところで軋轢が生まれている。

ポスモダ的なフラット化(ネオリベ)でいえば、それは企業間の自由競争ということにで、格差は致し方ないが、少しずつ世界は豊かになるということでしょうが、実際は国家間の利権争いが活発化している。環境問題の駆け引き、イスラム圏の紛争、中国の資源確保など・・・


Bさん
最近のteroristatacksに対するフォビアが典型的に教えてくれているのは、ネオリベ的な自由競争による幸福への道がいかに隘路であったか、ということだろうと思われる。その帰結はすでにアチコチに潜在的にあって今にも噴出する寸前にまでなっている。搾取的資本主義は内側から崩壊するだろう。今後数十年以内におそらく起こるだろう東アジアを舞台とする戦争が現在のネオリベ的レジームを徹底的に破壊せしめるに違いない。

環境問題というのは、パイの奪い合いで、結局最終的帰結は国家間の武力衝突およびその結果の反動的専制国家でしかないんだよね。資本主義っていうのは、超マクロ的にいえば、生存を賭けたゼロサムゲームだから、抑圧がどうしても残る。それがようやっと牙を向いたのが今回の911なわけで。あれを陰謀論の温床として語るのも結構だけど、それでは本質的な見方を誤ることになると思われる。

資本主義がある限りいつになってもテロリズムはなくならないわけで。それを起すのが、アメリカだろうがアルカイダだろうが関係がない。資本主義とセットになっているのが戦争でありテロなんだからさ。東は国家の必要性を説いているが、たしかにイマジナリーな秩序はどうしても存在し続ける。問題はそれを資本主義に対する抵抗として機能させること。ただし現状はまるで反対なわけで。むしろ資本主義の片腕が国家という組織体なわけでしょ。これは、まずい。でも結局こうなんだよ。だからやはり国家は放棄せねばならないと思う。世界共和国しかない。

第三の波平
マルクス、柄谷的に言えば、国家だけでなく、資本主義も放棄しなければ、アソシエーションな世界共和国は成立しないってことですね。

ポスモダというのは構造主義という差異の体系に始まる。フーコーの規律訓練、ドゥルーズリゾームなど横の力の発見は、マルクスの縦の力の搾取に対する反論として有意義であったが、逆に大きな物語の凋落といって、縦の力を軽視することになった。

今考えると、横の力とともに縦の力が動くというのが、世の常で、それを軽視すると、内部に閉じた保守的なことしか言えなくなる。デリダが内部に閉じないように脱構築差延)と言おうが、横の力であることには変わりなく、あまりにナイーブで、実際に911などに対して、なにも言えない。


Aさん
東の定義では大きな物語。波平の場合、メタレベル(メタゲーム)が「例外状態」なのだろうけど、そこにスッポリと「権力」が入ってるから、ガチガチな思考になってしまってるような感じがする。隙間が無いというか、そりゃ戦争しかなくなるわな(笑)みたいな。
第三の波平
例外状態の調停は、正解など絶対にないわけで、メタレベルの判断(国家)が求められる、ということ。だから例外状態がある限り、国家はなくならない。

戦争というのは、武力戦争だけではなく、いまも、いつも、国家の境界(例外状態)はいつも緊張状態にある。


Bさん
現代の政治はすでに資本主義の内部のゲームだと思う。政治というのは、資源の分配をどうすべきかという取り決めのことだが、現代の資本主義ではありとあらゆるものが資源と認定されるため、そこでの利害関係はそのまま経済の要素へと写像できる。ただしもちろんノイズはある形でだが。

僕は国家は資本主義に対する抵抗としてならば、留保つきで認めている。本来国家は法を制定しそれを実行するのが役目であり、それは資本主義的な不平等を解消するのが義務なんだが、それをしていない以上、すでに有名無実化している

第三の波平
そのはじめから資本主義と国家は共犯関係にある。資本主義といえば、ネオリベのいう経済学的な世界を想像するが、そんなものうそっぱちで、実際は豊かな国が、自国の企業が優位なように、貧しい国を抱え込んでる。植民地政策のようなものが、はじめから、そして今も資本主義−国家の共犯の真実。

Aさん
波平のレス読んでると「民主主義」がまったく信用されてないんだよな。それは正しい気もするけど、どうなんだ(笑)

アカンベエは知らないが、例外状態なんて本当にあるのかと思うが。「正解など絶対にない」なんてどうして言い切れるの?むしろ最適化と効率化へと国家は向かうべきで、萌え〜を平穏に楽しむたい人でも平穏に暮らせる社会構造を整備すべき。

第三の波平
民主主義と信じていないというよりも、資本主義=経済学的な自由競争世界を信じていないということ。ネオリベとかは、まさにこのような美しい経済活動を倫理的な規範にしているわけでしょ。格差も致し方ない。

また防衛事務次官の贈収賄が暴露されてけど、民間でもそうだけど、贈収賄って、人の繋がりの延長線上にあるわけで、そりゃなくならないよ。民間なんかもっと縁故の世界でしょ。ここには巨大なグレイゾーンがあるわけ。その延長戦に自国主義というナショナリズムがあって、国家は自国民のために働く機械なんだからさ。

例外状態なんって、そこら中にある。たとえばネットの発言。どこまでの誹謗中傷を許して、どこまでを許さないか。相撲稽古での死亡の話。どこまで稽古でどこまで犯罪か。ホリエモンの話。なぜいきなり検察が出動したのか。


Aさん
相撲→死亡させるようなリンチは犯罪、稽古は専門のドクターを常備させる等して致命的な怪我を与えない環境を整備。ホリエモン「見せしめ」的な検察権力の発動は安易なパフォーマンスに過ぎない、長い眼でみればそのような行動は信頼されないので割に合わない。で解決。

グレイゾーンがある事によってその国家の構成員全員が得をするなら誰も文句は言わない。でも防衛庁の件では、本当ならもっと安く購入できた製品を高値で買っていた=納税者が損害を受けたから大問題になっている。それはナショナリズムにも反する行為ではないの?国民感情として、権力者がした事だから我々は従いますなんては思わない。

第三の波平
損得ってなにか。功利主義、最大多数の最大幸福?無知のベール、マキシミン・ルール? 損得自体が曖昧だし、損得はそのときだけの評価では決まらない。

Bさん
贈与の呪縛によって人間社会は回っている。というかこれが資本主義の起源であり、条件。贈与されたら、返しなさい、というルールを守る限り、貨幣制度は存在するのだが、それは存在論的というより認識論的な制度であり、いつでもルールを無視することが可能なわけだ。

現実は搾取があるわけで、平等な自由競争というのは、限りなく虚構に近い、というより勝ち組みの幻想そのもの。したがって、ネオリベは必ず吹き返しが来る。

第三の波平
ようするに、世界は不確実なわけで、そこに例外状態が生まれ続ける。そして例外状態に解はないから、誰かが権力を行使する必要がある。ここでは効率とか、平等とかはなくて、誰だって自分が優位なような政治的な、贈与的な判断が生まれる。それが、「主権者とは例外状態について決定する者である。(シュミット)」ということ。

ぬるま湯の内部にいると、例外状態で行われている政治的な判断が見えず、世界は経済学的な完全自由競争の合理的、経済的に構造化されていると勘違いする。

たとえばネットも例外状態。日常よりも国家権力が及びにくい。しかしこれは、ネットがゆるい場所だから。ネットで人は殺せないから、国家権力は必死にならない。そんな痴話喧嘩の世界に人を投入するほど暇ではない。いざとなれば、IP晒しまくりだから、タイーホできるし。


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*1:本内容は2ちゃんねる哲学板「東浩紀スレッド88」http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/philo/1192655522/からの抜粋です。内容は一部修正しています。

*2:画像元 http://news.tbs.co.jp/top_news/top_news3686458.html