仕事炎上

pikarrr2008-09-09


こんにちは、仕事が"炎上"しました。土日なく、朝から晩まで仕事漬けです。ここしばらく比較的のんびりとした仕事環境だったのですが、突然の炎上でした。別に生死に関わるというものでもないので、こういう時期もあるかなという感じですが、2ちゃんねる、ブログどころではなくなっています。いつ沈静化するのか、いまのところわかりません。よってまだしばらく更新はできないと思います。なんにしても大切なことは「生きる」ということなのでこれもまた今後の糧になればと前向きに思っています。

とりあえずここまでを以下にマーキングしておきます。




■なぜ哲学は言葉の奴隷なのか


神経症とは通常、身体知(暗黙知)で行う「自然な」行為について、言語(知)が過剰に表出してしまっている状態ではないでしょうか。何らかの原因で世界への不信感が芽生えてしまう。世界への不信感は人間にとって決定的な問題です。原理的には行為することが不可能=フリーズすることになります。

ラカンいう「言語のように構造化された」無意識というのは、身体知(暗黙知)がフリーズした病んだ状態に現れる「静的な構造体」といえます。精神分析のいう無意識とは神経症な無意識としてのみ存在するものです。「健全な」身体では言語知は身体知と一体となり、動的に作動するために「静的な構造」を持ちません。

フロイト以来、精神分析がなぜ性関係にこだわるのか。性関係は社会的に抑圧され、安易に訓練することが許されません。だから性関係の身体知(暗黙知)を訓練することがむずかしい。だから性関係は限りなく言語記号的なもの=セクシャリティとして表れます。そのような傾向は現代では非モテ系のオタクの性対象である二次元(記号)に顕著です。

自然な性関係はなくても、限りなく自然な歩行はあるのです。それは、無意識ではなく、訓練によって獲得した身体知(暗黙知)によってなにも考えずに歩いている時です。人の行為のほとんどはこのように考えずに「自然に」行われます。

そしてこのようなロゴス中心主義は西洋的な伝統であり、その確信をなしてきたのが哲学です。
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