なぜツイッターはなにも生み出さないのか
ツイッターは補助メディア
pikarrr*1: ツイッターのいいのはフラットではないところだろう。有名人であり、知識人であり、実社会の実績、肩書きがきちんと評価される。糞も味噌も一緒でフラットな2ちゃんねるとは大違いだ。そもそもフラットであるとはみんなとても重圧なことだ。優秀な人についていきたい。
pikarrr: ツイッターで重要であるのはツイッター外である。ツイッターをどうも一つのメディアと考えてはいけないようだ。たえず外部との関係で、補佐的位置で意味を持つようだ。あくまで補助メディア。
pikarrr: ツイッターの最高の形はフォローする人がわずかで、大量の人にフォローされるマスメディア型だ。ツイッターのみではむずかしく、ツイッター外でいかに名を売るかが重要になる。すなわちツイッターは結果系のメディアだ。
kis*2: ツイッターがメインで、外部が補佐という考え方はどうでしょう?
pikarrr: ツイッターはなにも産み出せない。ツダルための補助とか
kis: なにも生み出せないというのはどういうことでしょう?いろいろな出会いや議論を生み出してる現状とはあわないように思いますが。
pikarrr: 出会い補助、議論補助。ツイッター自身はなにも生み出さない
kis: では、他のツールは生み出していますか?
pikarrr: 2ちゃんねるにしろ、ツイッター以外は。ツイッターはあえて議論不可能し補助に撤することで成功している。
kis: 2ちゃんねるで行われている議論と、ツイッターで行われている議論のどこに違いがあるのですか?
pikarrr: ツイッターでまともな議論みたことない。
kis: まともな議論でなければ、なにも生み出したことにならないというのは、どういうことでしょうか?
pikarrr: だから補助
kis: ツイッターでも仕組み上はまともな議論が可能ですし、実際にまともな議論が行われているようにも思いますが。
pikarrr: 140字でまともな議論ねぇ。ただ偉い人に同調してるだけ
pikarrr: 単純に文字数の差です。ツイッターでの返信はほぼ賛同です。なぜなら賛同に比べ反論には単純に文字数がかなり必要です。すごく単純ですがこの環境が人を順応させるのです。ツイッターで人はしらずに順応し訓練されてるわけです。だからツイッターは賛同するコメントに反応しやすく、2ちゃんねるは反論するコメントに反応しやすい。
kis: いま行ってる議論は、ぼくはいろいろと考えさせていただいて得るものがあったと思っているのですが、
pikarrr: いいたいことの100分の1もいえません。分かりにくい、乱暴でごめんなさい。2ちゃんならもう少しなんとかなるのですが。
kis: 文字数たりなければ、複数投稿にわけられてもかまいませんよ
pikarrr: 分けてコメント書くのはボクは多い方だけど、ほぼ使えませんね。読み手がそこまで配慮しない、分断された一部がRTされる。ツイッターはそういうことは排除するようにできているのです。まあ、議論したければ2ちゃんねるでもどこでもありますから。
*3