なぜ普通でいられることがもっとも不思議なのか 日常派哲学と保守派

pikarrr2010-04-11

普通でいられることこそががもっとも神秘的



yhosok*1: 今膝の上に新生児がいますが、フレーム無くても平気そう


pikarrr*2: まだ象徴界に参入していないから


yhosok: なるほど。言葉しゃべるようになるとフレームが要請される、と。子供は最初特定フレームの体系に入り込んでお喋りする、ということですか。だとすると、それを自己言及していく「哲学」なるものはそれ自体が「フレーム問題」ですね。


pikarrr: フレーム問題というか、フレーム問題に挑む芸術品という感じでしょうか。カント、ハイデガーなどの超越論的哲学や存在論の構成・表現の創造は美しすぎる。実際、フレーム問題は存在しないわけで、普通に生活している。まさに普通でいられることこそががもっとも神秘的なわけです。


yhosok: その時の「フレーム問題は存在しない」が難しいですね。例えば日常生活が無意識に可能になってても、異文化の人と対面すると殊更意識していまう、など。


pikarrr: 異文化、あとフレーム問題に陥るのは、人を好きになったとき、思春期、要するに神経症状態になる。でもこれこそ原理的にわかりやすいわけで、なぜ人は日常、フレーム問題に陥らないか、これこそが神秘。日常派哲学ですね。


pikarrr: ちなみに象徴界とは正解には言葉ではなく、シニフィアン(の束)。ようするに意味ではなく、言語の使い方。人は言葉の使い方を体で覚えてしゃべっている。意味を理解しながらしゃべると考えると、フレーム問題に陥る。だから使い方に慣れない場では体がうまく動かずフリーズする。






新生児はハイデガーよりカントよりも利口である



yhosok: なるほど。でもそれは下手すると文化擁護論みたいになりませんか。


pikarrr: 文化擁護論というか、保守(中道右)派でしょ。だから日本で言う哲学=非日常性哲学は左派傾向をもつ。知識人はだいたい文化左翼


pikarrr: 右派とは主意主義。日常を尊ぶ。左派は主知主義。日常を懐疑しようとする。だから思春期には誰もが左派的な理想主義を語る。大人になるごとに右派化する。若者が変化を好むのは生物学的な生存スイッチなんだろうね。保守だけだと環境変化に対応できない。


yhosok: 年取ると右傾化(笑)。まぁ、そう言ってしまうと見もふたもない気が…。


pikarrr: 左派とは生物学的に人類が環境変化に適応し続けるための懐疑性向?


yhosok: そこはどうでしょう。例えば封建時代に青年期は無い、という話もありますよね。


pikarrr: 猿でも幼少は冒険的です。それと青年期と違いますよ。青年期とは消費社会が生み出した商品です。


yhosok: 環境変化に適応、ということで言えば、生物的に後天的な脳回路形成で柔軟性がある人間の特徴じゃないでしょうか。それ以上の「社会の革新」は、経済構造に促されてる面が大きいと思います。


pikarrr: 社会の革新というほどではなく、現状を超えようとする欲求。要するに、新生児はハイデガーよりカントよりも利口であることは確かです。不思議であるのは普通であることです。
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