ネットに「存在」するとはどういうことか
pikarrr*1: ツイッター脳、2ちゃんねる脳、ミクシィー脳…ウェブメディアで、考え方、キャラクターをかえる
s_shisui*2: それどんなコミュニティでも言えませんか?地域の囲碁クラブとかでも
pikarrr: 囲碁クラブ脳?囲碁脳ならわかるが。ネットではサービスを通してしか存在できない
s_shisui: そのコミュニティではそのコミュニティにあった行動になると言う事。
pikarrr: ネットコミュニティではそのコミュニティにあった「存在」になると言う事。
s_shisui: 存在は変わらないんじゃないかなあ?
pikarrr: なら存在できないよ
s_shisui: pikarrr さんが危惧してるのは多分twitterが生活の隙間に入り込みやすくなっている所じゃないですかね? PC作業の隙間時間、携帯電話によるポスト。隙間時間で出来る為にtwitterに染められてしまう人。他のwebサービスでもある程度はあった事だけどtwitterは酷い
pikarrr: たとえばキミが地元の囲碁クラブにいったとするじゃないか。すると会話する前に、キミが近所の中学生で、トロそうな顔で、デブい体型で、やさしい両親の子供、という存在はすでにあるわけだ。コミュニティでかわる行動なんかしれてるよ。でもネットでは・・・
s_shisui: 実際の存在を隠せる?新たな存在を創り出してしまうと言う事? んーちと哲学めいた面倒な話になっちゃったな。
pikarrr: キミのついてボクはなにもしらない。この140字のみを頼りに想像する。キミはbotかもしれない。だからツイッターの設計の中で「存在」をしめさないといけない。キミはここで関心をもたれたい。だからみんながするように「存在」しないといけない。そしてキミはツイッター脳になる。
s_shisui: つまり見える世界が限定されてるってことかな。つまり僕は君にツイッターで存在を示していると。でもそれは君の認識でしかないし君の認識できる存在は君にしか認識できないよ。それは君を取り巻く世界も同じじゃないか。ネットに拘る理由がよくわからないよ。
pikarrr: まったく違う。キミがコメントしなければキミはここに「存在」しない。画面の向こうから叫ぼうが泣こうが存在しない。
s_shisui: それこそが君に見える世界だと思うけど。
pikarrr: 認識論みたいな幼稚な話ではない。僕達が語る世界。語らない人は存在しない。とてもテクニカルな話。
pikarrr: 確かにわかりにくいのかもしれないな。いままでのネット世界の独立性が薄れて、ネットは日常の身近な通信ツールになりつつあるからね。でもツイッターキャラは現実の自分とは違うはずだ。自分では意識しないかもしれないが
s_shisui: やっと少し理解できた。つまり「○○脳」っていうのはそのネットコミュニティに存在しているキャラクターってことね。「〇〇脳」って定義が食い違ってましたね。
pikarrr: キャラというとわかりやすいんだけど、自分でも演じているつもりはないが、ネットサービス環境により気付かないうちに演じさせられているキャラ。ネットではそのサービス環境を通してしか「存在」を開示できないから日常と違い環境依存が高い。だから2ちゃんとツイッターではふつうに別人のようにふるまっている。
s_shisui: うん、わかった。なるほどね。
pikarrr: 「〜脳」という表現はネタでした!
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