なぜ情報革命は途上国から訪れるのか

pikarrr2010-05-05

環境問題の胡散臭さ


環境問題はどうも胡散臭いですね。日本では電力インフラができあがって電力は安いから太陽電池は投資も高くて普及しない。このために補助金や余剰電力を電力会社へ買い取らせる処置が取られるけどこれをまかなうのは税金だ。太陽電池を買うのは一戸建てをもつ富裕層が多いだろが、税金は貧しい者も負担する。

同様にエコカー減税にしろ、エコポイントにしろ、大量の税金を投入する。潤うのは車メーカーであり家電メーカーという大手。日本を引張る大手企業が復活することで日本経済全体を活性化するということではあるけど。

鳩山首相が国連でCO2排出量25%削減を宣言したが、日本は世界の10%もないのに、大半を排出する米国、中国は逃げたままだ。日本はすでに省エネが行きとどき、さらに削減というと負担も大きい。それよりなにより省エネが進んでいるにも関わらずCO2排出量が減った試しがない。




マサイ族が携帯電話をもつ時代


アフリカではいま携帯電話が広く普及しはじめているという。アフリカでは都市化が進んでいるが地方ではまだ貧しい。多くの人が現金収入を求めて街に出稼ぎにくるが、銀行網も不十分で持ち帰ったのでは高い交通費がかかってしまう。現金を故郷へ送る方法が問題だった。

地方にも携帯電話が普及することで、田舎の携帯ショップで現金を受けとるシステムができている。これによって地方でも現金がまわり豊かになりつつある。

ここで重要であるのがインフラである。広大な国で地方まで電力、さらには通信インフラを張り巡らせるには膨大な費用がかかる。しかし太陽電池などの高効率な分散化電源によって、地方でも安価に電力をえることができる。電波塔をたて足下に太陽電池を設置することで、安価に携帯電話の基地局を作るができ地方まで通信網が広がっている。

これによってマサイ族までが携帯電話を普通に持つようになっている。彼らは携帯電話で牛の相場を確認している。それによって牛の売るタイミングを計り、いままで以上に現金収入をえることができ、生活が潤う。

いまもっとも太陽電池開発、販売が活発なのが中国である。急激な経済成長から電力不足や環境悪化が起こり国策としての環境技術を推進しているが、それとともにアフリカ同様に広大な中国の地方の電力供給として普及しつつある。これによってインフラ費の削減、地方にも家電製品を普及して生活が豊かになる、というわけだ。




電気自動車は途上国で走る


分散化電源によっていま大きく変わろうとしているのが自動車である電気自動車といえば日本ではハイブリッドのプリウスなどの高級車のイメージがあり、日本が技術的に最先端ではあるが、電気自動車の革命は電池とモーターでできてしまうことでプラモデルのように組み立てられるということだ。

中国ではすでにバイクは電動が一般的で、その延長線上ですでに電気自動車が走り始めている。といっても安価なバッテリーを数個積んだだけの簡単なものが無認可で走り始めている。

アフリカや中国のような貧困層のたくましさをすれば、日本のような安全基準は?走行距離は?インフラは?などという高いハードルをもうけて膨大な費用をかけなければ普及しないという次元とは異なり、あちこちに太陽電池をおいて、充電しながら乗り回すようなことが起こるのだろう。それらが輸送インフラになって経済が発展していく。




生きるための環境技術


いま起こっていることはこういうことなんだろうと思う。地球への善意のために普及を強制される先進国と、安いインフラという生きるための経済効果として普及を促進する途上国とではどちらのインセンティブが高いか。

中国は国際会議での義務付けには消極的であったが、実際にはエネルギー不足、公害などの問題が深刻で、環境問題が死活問題になりつつある。このために日本では考えられない多額の費用で環境対策プロジェクトが進んでいる。

実際に必要でどんどん実用化し実績を蓄積していく中国が日本の技術を抜く日はそう遠くはないだろう。そもそも技術力の差は関係なく、彼らには生存に関わるのだ。このように環境対策のパラダイムシフトは途上国で起こっていくのかもしれない。




情報生産の民主化から真の生産の民主化


人々がアイフォンに魅了される理由の一つが、この端末が情報社会をサバイブするための武器(のメタファー)であるためだ。しかし途上国の人たちにとって携帯電話は(メタファーでなく)まさに生き延びるためのツールである。

先進国でインターネットのサイバースペースの夢が挫折し卑近な娯楽の道具になりはてたいま、環境対策へのインセンティブが実際の生存に関わる途上国の方が高くなるように、インターネットにも同様の傾向がある。

これは、途上国が頑張って先進国に追いつこうとしていると言うことではなく、ネットの別の在り方を示しているんじゃないか。

ネットの革命は誰でも安価に情報を発信できるという情報生産の民主化であった。それが途上国では分散化電源によるエネルギー生産の民主化や輸送機器の生産の民主化とどん欲に結びついていく。そしてネットが持つ民主化の力が新たに国の在り方をつくる、というような。それは将来のボクらの実験室でもある。

そしてウェブはポストフォーディズムを超えていくか・・・

もっとやさしい開発経済学 情報技術革命 — 変わる貧困層の生活 — 高野 久紀
http://www.ide.go.jp/Japanese/Serial/Yasashii/24.html


国際電気通信連合によれば、2003年に14億人程度だった携帯電話加入者数は、2008年には40億人を超えるまでになりました。特に新興途上国では、その普及スピードは速く、2003年と2008年を比べると、インドネシアでは1850万人から1億4000万人へ、ベトナムでは270万人から7000万人へ、インドは3400万人から3億4700万人、バングラデシュは140万人から4460万人、エチオピアは5万人から320万人、ケニアは160万人から1600万人、と飛躍的に増え、農村でも携帯電話を持つ人をよく見かけるようになってきました。

インドやウガンダニジェールを対象にした最近の研究では、携帯電話の普及により、以下の成果が上がったことが知られています。(1)人々が周囲のマーケットの価格や需要などの情報を簡単かつタイムリーに得られるようになり、価格の高い地域に売りに行くことが可能になった結果、それまでは近隣地域内でばらつきのあった魚や穀物の価格がほぼ同一水準になった、(2)その日どこのマーケットに行けば売れるのかが分かるようになり、売れ残ってしまう魚の数が減ったり、鮮度が要求されるバナナを栽培する農家が増えた、(3)生産者は、売れ残りの減少、無駄な移動コストの低下により利潤が増大し、消費者も、コスト減少にともなう価格の低下によって利益を受けた。このように、携帯電話による情報入手コストの大幅な削減により、農村地域の経済効率が改善し、人々の生活水準向上に貢献したのです。


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