なぜ現代日本人は甘えを氾濫させたのか

pikarrr2010-07-07


甘えという語が日本語に特有なものでありながら、本来人間一般に共通な心理的現象を表わしているという事実は、日本人にとってこの心理が非常に身近なものであることを示すとともに、日本の社会構造もまたこのような心理を許容するようにできあがっていることを示している。いいかえれば甘えは日本人の精神構造を理解するための鍵概念となるばかりではなく、日本の社会構造を理解するための鍵概念となるということができる。P45


「甘え」の構造」 土居 健郎 (ISBN:4335651295




現代の愛することの困難とはなにか


オタクのアイドルへの熱狂を見ていると、人の「愛したいという欲求」の強さがわかる。人は愛されたい欲求より愛したい欲求が強いんじゃないか。心底誰かに愛されるより心底愛せる人を見いだすほうが幸せですからね。たとえば宗教心しかり。

そもそも人を愛することは簡単なことではない。愛することは贈与することであり、贈与することには相手に返礼の義務を負わせる抑圧として働く。たとえばただほど高いものはない。そこに心理的は負債義務が発生しいつまでも負い目を感じる。あるいは有名なところではモースなどの未開社会分析では権力者が返せない贈与を行うことで権力を保持する。

では現代の愛することの困難とはなにか。二面性を考える必要があるだろう。一つは自由を尊重する現代では、子供であっても個人を尊重することが求められる。他者に対しては無関心であることは一つの儀礼である。

さらにもうひとつの面として、「愛したい欲求」そのものが加速されているのではないだろうかそれは特に日本において顕著なように思える。誰もが必死に愛を注げる対象を必死で探している。そんな難民たちがアイドルへ殺到し、ペットを溺愛し、韓流へ、遼くんへ殺到する・・・





心理的な甘えと行為的な甘え(同調引力)

義理も人情も甘えに深く根ざしている。要約すれば、人情を強調することは、甘えを肯定することであり、相手の甘えに対する感受性を奨励することである。これにひきかえ義理を強調することは、甘えによって結ばれた人間関係の維持を賞揚することである。甘えという言葉を依存性というより抽象的な言葉におきかえると、人情は依存性を歓迎し、義理は人々を依存的な関係に縛るということもできる。義理人情が支配的なモラルであった日本の社会はかくして甘えの瀰漫(びまん)した世界であったといって過言ではないのである。

恩という概念と義理との関係を考察してみよう。「一宿一飯の恩」というように、恩というのはひとかけらの情け(人情)を受けることを意味するが、してみると恩は義理が成立する契機となるものである。いいかえれば恩という場合は恩恵をうけることによって一種の心理的負債が生ずることをいうのであり、義理という場合は恩を契機として相互扶助の関係が成立することをいうのである。P54-56


「甘え」の構造」 土居 健郎 (ISBN:4335651295

土居健郎「甘えの構造」によると、日本人のキーワードは「甘え」にあるということだ。しかし本書での「甘え」の使い方はかなり広義である。幼児の甘えとともに、義理人情などの日本人の基底にも甘えがあると考える。しかしこれは一面で正しいが、一面で正しくないと思う。土居健郎精神科医である故に、甘えを心理的なものへと偏りってとらえ過ぎている。

心理的「甘え」=依存性は簡単には母の子供への想いである。母の愛は幼児ならば良いが、大人になって母が愛したい想いを抑止しなければ、子供は大人になれず社会秩序に参入できない。しかし「甘えの構造」でいう広義の「甘え」とは、単に依存的な「甘え」ではないだろう。

日本人の特徴はハイコンテクストな社会ということにある。ハイコンテクストな社会とは強力な同調引力を持った振動圏といえる。*1たとえば日本人なら知る、白いご飯、おみそ汁、梅干しなどのおいしさ。いやおいしさ以上の引力である。日本人として育つことで訓練されてきた味覚であり、言語であり、さらに環境と深く結びついてものである。日本人として作られことで容易に同調し共鳴し合う人々の集まりである。

このような同調引力はたしかに容易に心理的「甘え」に転倒しやすいしかし同調引力は心理的である前に行為的である。行為的な同調引力とは、たとえば協力して作業を行う場合の「息が合う」ということだ。日本人はこのような同調引力を単に心理的な甘えへ転倒しないように、反復訓練の中で様式化して、義理人情、忠義、お歳暮、年賀状などの社会的な規律にまで磨き上げた。日本人社会はこのような規律によって秩序だてて円滑に運用されている。




資本主義と甘えの解放


資本主義の産業化は技の集積であるから、日本人の同調引力は生産性向上のために有用に働いた。効率重視の新たな様式を生み出され、技術立国としての成功に導いた。しかし貨幣交換を基本とした自由主義経済の資本主義化によって、義理人情などの旧来の様式は解体されて行かざるをえない。

このような旧来の解体と、効率重視に再編される様式によって、ハイコンテクストな日本社会の同調引力は心理的な甘えへと転倒されているのではないだろうか。そして人びとは幼児化し、また「愛したい想い」への抑止が解放される。といっても、個人を重視する現代に子供にでも安易に「愛したい想い」をぶつけることはできない。だから現代の日本人は絶えず「愛したい想い」を自制し続けなければならない。

困っている人がいる。その苦しみがよくわかる。自分なら助けることができる。しかし助けることが抑止される。という複雑な状況におかれる。その回避方法として溺愛してもよい疑似対象が強く求められる。そこにアイドル、ペットなどの様々な商品が生まれている。オレオレ詐欺になぜにあんなに簡単に騙されるのかと思ってしまう。オレオレ詐欺現代日本人の抑圧された「愛したい想い」をうまく利用しているからだろう。

ちなみにローコンテクストな西洋社会では資本主義と並列に民主主義が訓練されます。幼児の依存的な甘えは「去勢」されて、社会の中に自立した自己となるプログラムが組まれています。ハイコンテクストな社会=同調引力によって社会秩序を形成する日本人には、西洋的な民主主義のプログラムは遠いものです。
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