なぜ日本の産業構造は製造業からサービス産業へ転換できなのか オタクの充足 

pikarrr2011-05-11

景気対策 製造業からサービス産業への構造転換


日本は長い不景気の中にある。このデフレ不況の要因は大きく三つ上げられるだろう。一つは中国を主として日本周辺に質が良く安い労働力の登場したこと。中国は世界の製造工場となり、世界中へ安価な製品を輸入している。このために日本の製造業も中国へシフトし日本内の雇用が減っている。

もう一つは円高である。アメリカが輸入を増やすためにドル安政策をとっている。また最近の欧州の経済不安もあり、相対的に財政が安定している円が買われて円高傾向にある。

投資家は中国とアメリカの2大国の政策に反応して円高ドル安の傾向を容認しあう状態にある。このために日本が円高を解消するための金融緩和政策を進めても市場は反応しなくなっている。さらに三つ目に日本は急激に高齢化し、内需の購買力が落ちている。

このような経済構造「環境」への対策の一つの案として、日本は旧来の製造業中心から付加価値の高いサービス産業への移行を進めるよう求められている。かつてアメリカが同様に製造業において日本から追い上げられて低迷する時期を、IT産業、金融産業によって盛り返したことに対応するだろう。

(日本経済が長期的に停滞している)原因には二つある。第一に、新興国の工業化、特に中国の工業化。それまで日本の製造業の作っていた製品と基本的には同じものを、新興国の企業が安い賃金を使って安いコストで作れるようになった。第二に、ITの革命。これによって計算、通信のコストは著しく低下した。これが日本の物価の下落を引き起こした。同時に、こうした変化に対応できていないことが、日本経済の長期的な停滞の原因だ。・・・(日本経済が停滞から抜け出すには)まず、金融政策が正常に働くような経済に変える必要がある。産業構造の改革しか処方箋はない。つまり、新興国と同じことをやらないこと。大まかにいえば、製造業から脱却して、付加価値の高いサービス産業に移行するということ。製造業であれば、アップルのように高い付加価値を実現するビジネスモデルに変えていくべきだ。(野口悠紀雄

それまで(90年代)までは、日本の周囲には産業化した国家がなかったので、フルセット型の産業構造を作り上げてきた。しかし、90年代以降、冷戦の崩壊に加えて、中国が改革開放路線を歩むなど、社会主義国市場経済に移行してきた。日本の回りに産業化した国々が出現するようになった。こうした場合、比較優位にある分野に特化すれば国際分業の利益が引き出せる。・・・しかし、90年代には痛みの発生を避け、旧来型の産業構造を維持する政策ばかりが採られた。それでも、国際分業を促す圧力はいろいろな形でかかってくるので、中国との競争で労働条件もだんだん悪くなり、じわじわと撤退を余儀なくされている。(池尾和人)


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日本型の過剰サービスが生産性を低下させる


日本人は製造業では大成功したがサービス業は苦手なのだろうか。日本のサービス産業の生産性はアメリカの7割と言われる。生産性が低い一つの理由に日本人がサービスをどのように考えているか、ということがある。

たとえばアイフォンとガラケーを比較すると、ガラケーで日本の携帯メーカーはユーザーに対して「至れり尽くせり」の細やかな機能サービスを追求するよう進めている。逆にこの過剰サービスがユーザーの選択視を奪い閉鎖的であると、嫌われる要因になっている。それに対してアイフォンは誰でもアプリが作れるようにプラットフォームを公開するなど開放的である。そしてこの開放性に個人の選択がうまれて、無名のクリエーターたちが創造する創発性を生んでいる。

このような「至れり尽くせり」の日本のサービスが単に生産性を下げているだけではなく、ITにおけるサービスでは、開放された「セルフサービス」が新たな価値生み出し、生産性を向上させることができる、ということだ。




非金銭経済の富を活用して生産性を上げる


アイフォンを考えると、アップルはお金をかけてアプリ開発者を雇う必要がない。プラットフォームさえ示せば、無償のクリエーターたちが、次々魅力的なソフトをつくってくれる。人々がアイフォンを買うのは「非金銭経済の富」、そしてその可能性へアクセス出来るからだ。

そしてアプリを買う人も単なる消費者ではなく、魅力的なアプリを使い、使い方を工夫し、魅力を人々に紹介することで、また非金銭経済の富を生み出す。ITにおける開放された「セルフサービス」はこのように非金銭経済の富を生み出す。この金脈と金銭経済を繋ぐことで、アップルは大きな利益をあげている。

IT技術はその根底に、無料、開放性、そして、セルフサービスが組み込まれており、それが魅力になっている。そしてそこに生まれるのは、無償のクリエーターたちが作り出す、「非金銭経済の富」である。




オタクは金儲けを嫌う?


だが日本にも開放された非金銭経済の富が育っていないわけではない。たとえばニコニコ動画以上に世界的に創発的な創造の場が他にあるのだろうか。まさにオタク文化は最先端を行っている。

非金銭経済活動において、無償のクリエーターたちが重視するのは貨幣価値ではなく、アテンション(注目)である。自分の創作物が多くの人のアテンション(注目)を集めることが目的化する。この傾向はアメリカ人でも同じであるが、彼らにはたえずアテンション(注目)を貨幣価値へ変換することへのインセンティブが働いているように思う。

それに対して日本人は貨幣価値化に積極的ではない。それどころか、みんなで作り出した非金銭経済の価値は共有財産という意識が強く、一部の人間が利益を得ることへの抵抗さえあるように思う。日本人のもつ運命共同体的な価値観が受け継がれているのだろうか。

「創造消費者(ネオ・プロシューマー)」の登場
http://d.hatena.ne.jp/pikarrr/20090616#p1


ネット住人はトフラーがいう「生産消費者」でありつつ、生産消費者に比べると、生活に根ざすと言うよりも、知的な領域において創造性を遊ぶ傾向がある。彼らを新たに「創造消費者(ネオ・プロシューマー)」と呼びたいと思う。

生産消費者(プロシューマ)が家庭仕事など誰もがもつ一面であったように、創造消費者(ネオ・プロシューマー)も趣味を楽しむなどのように誰もがもつ一面である。これらの境界を引くのは難しいかもしれない。例えば魚釣りを楽しむことは、創造消費な趣味であるが、それが食料になれば生産消費ともいえる。本を読むことは創造消費な趣味であるが、その知識が生活に役立てば生産消費である。

創造消費者は「経済性」には無頓着である。彼らはいわば「関心」を集めることを望んでいる。特にネット上の「関心」Web2.0などと呼ばれるように、創造、消費、創造、消費・・・という運動を生み出す。そしてそこに帰属意識が生まれる。

トフラーが「生産消費者の復活」というとき、「物質的に豊かな安定した生活を目指す」という「経済」的が強いのに対して、「創造消費者」「社会」的である。いわば創造消費者は非金銭経済ではなく、非金銭「社会」の住人なのである。




オタクは次の産業を担う自覚がない


オタクたちは金儲けへのインセンティブが低いだけではなく、非金銭経済の富が産業として育てようという自覚も低いように思う。

その一つの理由が日本人の偏見にあるだろう。明治以降の西洋に追いつけ追い越せで、国家主導の富国強兵政策において、総国民として第二次産業(製造業)の発展が取り組み、やがて世界一の技術立国へと成長した。だから産業とは製造業であって、サービス業は製造業の付け足しか、あるいはより付加価値の高いサービス業は好きな人がやる遊びと考えられている。

だが問題の深さは、全般的な偏見よりもオタク自身が自らを抑圧していることにある。たとえばリーマンショック後の政府の景気刺激策として、国家の基幹産業としての家電業界と自動車業界のために、家電エコポイントで約5千億円、エコカー補助金で約6千億円の公的資金注入が予算化された。

そのときに日本のマンガ、アニメ文化を次の産業として育てるために、117億円で「マンガ博物館」を建設する案があがったが、箱物建設投資は古いなど評判が良くなく、却下された。その中で特に漫画家などの関係者から反対の声が上がった。理由は、マンガは情報であって、箱物の建造物は必要がない、あるいはそんな金があるならアニメーターなどの劣悪な環境条件改善へ投資して欲しいということだった。

しかしマンガ産業を今後のばすためには仮に失敗しても安い投資だ。アニメーターの労働条件改善が必要なら別に考えればいい。自動車、家電などその昔から、国の産業として育てるために巨額の公共投資が行われきた。たかだか117億円の箱物を作るぐらいでビビるところに「マンガごときに多額の投資をする」というマンガ産業の潜在的な劣等感を感じた。

製造業はまっとうな仕事で、マンガやアニメ、ゲームIT産業、さらにはかわいいファッションのギャル文化などの新たなサービス業はあくまで趣味の延長で好きな人がやるモノでしかない。自分達の文化が製造業の次に日本を背負うという自覚と自信がない。これがオタク文化を産業として発展することを妨げる、あるいは日本人にアイフォンを作れない理由、そして日本全体として開放された付加価値の高いサービス産業が育つことを妨げている。




日本型サービス産業では格差が固定する


それとともに製造業からサービス産業への移行によってほんとうに日本人が豊かになるか疑問がある。たとえば非金銭経済の富は左派的には「ポストフォーディスム」と呼ばれ、新たな富の搾取の構造として分析されている。

たとえばアップルが非金銭経済の富を活用することで多くの利益を上げるとき、そこで働く無償で働くクリエーターたちの存在がある。あるいはグーグルでも、ニコニコ動画でも、AKB48でもよいが、儲けているのはほんの一部の人々のみで、多くに人々は労働の対価をもらえずに働いている。無償のクリエーターはそれを承知で好きでやっている、そして彼らには富を勝ち取るチャンスがあるということで済むのだろうか。

サービス業はそもそも、製造業に比べて、製品のサイクルが速く、また機械化による生産性向上が難しいために、生産性の向上には短期的な雇用の切り捨てや時間単位の雇用調整が求められて雇用環境が厳しくなる。このために成功した富を手に入れる一部のクリエーターとワーカーの格差が大きくなる。

アメリカがサービス産業で成功している要因の一つはアメリカがそもそも格差を許容する社会であるからだ。そのかわり仕事につく、やめることが容易で、キャリアアップにも繋がる。そしてその先にアメリカンドリームへの希望がある。

それに対して、日本では、既得権益として既存社員の雇用を守る傾向があり、また会社をかえることがキャリアアップよりもデメリットとなる傾向が強い。日本のように雇用の流動性が低い場合にサービス業の生産性を上げて格差を広げると、下流がいつまでたっても格差の底辺から抜け出せない悲劇が起こる。




不景気に適応するジャパン型ドリーム 


今後、日本には「産業構造の改革」が必要であるというとき、今まで上げたように、過剰サービスから開放型サービスへの転換、さらに非金銭経済の積極的な産業化(貨幣価値化)、そしてサービス業での雇用の流動化などが上げられた。これらはいままでの日本人の意識をアメリカナイズする改革を伴う。

しかしおもしろいのは、偶然か、必然か、現在において日本の現状をデフレ経済が支援している。安い賃金でもデフレで商品価格が下がりそれなりの豊かな生活ができ、オタク文化やネット上でアテンション(関心)を求めて無償の創造労働を楽しむことができる。デフレ不景気の継続、非金銭経済の積極的な産業化(貨幣価値化)、そしてサービス業での格差固定などに悩む必要もない。これぞ不況に適応するジャバン型ドリームか・・・

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