世界宗教史1〜4巻 ミルチア・エリアーデ その3

3 ユダヤキリスト教

第十四章 王と預言者の時代のイスラエル宗教


ユダヤ教の)預言者がまずわれわれを驚かすのは、彼らの祭祀批判、そして宗教融合、つまり火難の影響、彼らのいう「姦淫」、を攻撃する際の彼らの激しさである。しかし、彼らが非難してやまないこの「姦淫」とは、宇宙的宗教性のもっともひろくみられる形態のひとつなのである。農耕民にとくによく認められるこの宇宙的宗教性は、聖のもっとも基本的な弁証法、すなわち心的なものが、いろいろな事物や宇宙的リズムにおいて受肉ないしは顕現しているという信仰を継承している。しかるに、そうした信仰は、ヤハウェ信者によってパレスティナ侵入以来ずっと、典型的な偶像崇拝として告発され続けてきた。宇宙的宗教性がこれほどひどく攻撃された例はない。予言者たちは、最終的には自然界から神のあらゆる現前を取り去ることに成功した。「高い所」、石、泉、木、特定の穀物、特定の花といった自然界の要素すべてが、カナンの豊饒神の祭儀によって汚染されているという理由で、穢れたものと宣言されているようになっていく。どこよりも清らかで神聖な場所は砂漠だけである。なぜなら砂漠においてこそ、イスラエルはかつての神に史実であったからである。植物や、そしてもっと一般的には自然の豊饒な顕われがもつ聖なる次元は、のちの中世ユダヤ教になってやっと再発見される。P267


世界宗教史2 ミルチア・エリアーデ (ちくま学芸文庫)  ISBN:4480085629

第二十八章 キリスト教の誕生


パウロは、・・・福音のメッセージを、ヘレニズム世界になじみのある宗教言語に翻訳する必要があることに気づいていたからである。パウロは「十字架につけられたキリスト、すなわちユダヤ人にはつまずかせるもの、異邦人には愚かなものであるキリスト」を宣べ伝えることのむずかしさをだれよりもよく知っていた。肉体の復活というユダヤ人の大多数が抱いていた信仰は、もっぱら霊魂の不死に関心をもっていたギリシア人には無意味なものに思えた。同様に理解がむずかしかったのは、終末における世界の更新に対する期待である。ギリシア人はこれとは対照的に、物質から自己を解放するために、よりたしかな方策を探求していたのである。使徒パウロはこれに対応しようとした。彼はヘレニズム世界に深入りするについて、終末への待望をしだいに語らなくなっていく。また、かなり重要な革新がみられる。パウロは、ヘレニズムの宗教的語彙(グノーシス、ミステリオン、ソフィア、キリオス、ソーテール)を使用しただけでなく、ユダヤ教や原始キリスト教に知られていなかった観念を採用している。たとえば聖パウロは、グノーシス主義に根本的な考え方である、劣等な「心的な人間」と「霊的な人間」を対置する二元論をとり入れたのである。キリスト教徒は、純粋に霊的な存在になるために、肉体的人間であることを放棄しようとするようになった。P203-204


世界宗教史4 ミルチア・エリアーデ (ちくま学芸文庫) ISBN:4480085645

コメント:キリスト教はまずパウロによる改革があった。まだユダヤ教と密接につながっていたキリスト教パウロ世界宗教のために、開かれたものとした。ヘレニズム啓蒙主義を取り入れていった。

第二十九章 帝政時代の異教、キリスト教グノーシス


グノーシス主義」という名で知られている精神的潮流の源を決定することは困難である。・・・グノーシス主義の思想家によって採用された神話的、終末論的なテーマはほとんどすべて、厳密な意味でのグノーシス主義よりも古い時期のものである。そのなかには、古代イラン、ウパニシャッド時代のインド、そしてディオニュソス崇拝やプラトン主義において記録されたものもあり、ヘレニズムのシンクレティズムや聖書に記されたユダヤ教、旧約時代から新約時代にかけてのユダヤ教、最初期のキリスト教の表現の特徴となっているものもある。しかし、厳密な意味でのグノーシス主義を規定するのは、本質的に異なる要素を多少なりとも有機的に統合したものではなく、当時、広範囲に流布していた神話や思想や神観念に対する、大胆で、奇妙なほど悲観的な再解釈なのである。

ウァレンティヌスの信条は、人は「われわれが何であり、われわれが何になったのか、われわれがどこにいて、われわれはどこに投げこまれているのか、われわれはどのような目標へ向かって急いでおり、われわれはどこから救い出されるのか、誕生とは何か、そして再生とは何か」を学ぶことによって、救いを得ると説いている。ウパニシャッド哲学やサーンキヤ-ヨーガ学派や仏教、これらは、人間の堕落の最初の原因を論じることを意図的に避けている、と違って、グノーシス派によって教えられた救いを得るための知恵は、とくに「秘密の歴史」、すなわち世界の起源と創造、悪の源、人間を救うためにこの世に下った聖なる救済者の物語、超越的な神の最終的な勝利、歴史の結末と宇宙の消滅のなかに表現されるであろう勝利、の啓示の内に存在するのである。

グノーシス主義は、自己の真の存在(すなわち霊的存在)が現在は肉体に捕らえられているが、起源も本性も神聖であるということを学ぶとともに、かつては超越的な場所に住んでいたが、ついには肉体の牢獄から解放されるであろうということを学ぶのである。要するに彼(ウァレンティヌス)は、誕生は物質への堕落にひとしいが、「再生」は純粋に霊的なものになるということを発見するのである。次のような根本的な観念に注目すべきである。精神/物質、神(超越)/神の敵という二元論や、霊魂(=精神、神聖な微粒子)の堕落すなわち肉体(牢獄と同一化されているもの)への受肉という神話、霊知(グノーシス)によって得られる解放(「救い」)の確実性といった観念である。

一見したところでは、われわれは、ディオニュソス-プラトン的二元論の誇張された、反宇宙的で悲観的な発展形態を扱っているように思える。しかし、事実はより複雑である。人間のドラマ、とくに、その堕落と救い、は神のドラマを反映している。神は原初的な存在、または自分自身の息子を、人間を救うためにこの世界に遣わす。この超越的な存在は受肉によって招来したすべての屈辱を体験するが、最後には天国に帰る前に、二、三の選ばれた者に、救いをもたらす真の霊知を明かすことができる。230-232


世界宗教史4 ミルチア・エリアーデ (ちくま学芸文庫) ISBN:4480085645

第二十九章 帝政時代の異教、キリスト教グノーシス


「記憶喪失(アムネシエ)」(言いかえれば、自分が何者であるかを忘れること)、睡眠、酩酊、昏睡、捕囚、堕落、郷愁はグノーシス派の教師による創作ではないが、グノーシスには特徴的なイメージであり、象徴である。物質に向かい、肉体の快楽を知りたいと望んだとき、霊魂は自分が何者であるかを忘れてしまう。「霊魂は本来の住処を忘れ、真の中心を永遠の存在を忘れ」。・・・「生命」(=物質)への没入によって起きた記憶喪失と、使者のふるまいや歌や言葉によって得られる記憶回復というテーマは、また、中世インドの宗教的民間伝承にみられる。・・・この民間伝承のテーマの「起源」は、ウパニシャッド哲学の時代にまで溯る。

一方が他方に影響したという可能性を否定するわけではないが、これは数世紀前に、インド(ウパニシャッド)とギリシア、地中海東部(オルフェウス教とピタゴラス派)、イラン、ヘレニズム世界で始まった危機のなかで展開されてきた、同時並行的な精神的潮流を示すひとつの事例であるとするほうが適切であるように思われる。P240-243


世界宗教史4 ミルチア・エリアーデ (ちくま学芸文庫) ISBN:4480085645  

第三十章 神々のたそがれ


グノーシス派の「異端」、とくに反宇宙的な二元論と、イエス・キリスト受肉と死と復活を拒否する立場、を批判する過程で、教父たちは正統派の教理をしだいに練り上げていった。・・・グノーシス派の諸観念、根元的な一なるものの根底における霊魂の先在性、創造の偶発性、霊魂の物質への堕落など、と聖書の神学や宇宙創成論、人間論は、まったくあいいれないものであった。世界の起源と人間の性質に関する旧約聖書の教義を受けいれなければ、キリスト教徒であると自称できなかった。神は物質を創造することによって宇宙創造の業を開始し、創造主の姿に似せて肉体と性欲と自由をもつ人間を創造することで、その業を完成させたのである。言いかえるならば、人間は、神の力強い能力を備えて創造されたのである。「歴史」は人間が自由を行使し、自分自身を聖化することを学ぶための期間、つまり神の職務を学ぶための修行をする期間なのである。なぜなら最後に創造されるのは、聖別された人類だからである。これは、時間性と歴史の重要さと、人間の自由の決定的な役割を説明する。というのは、人間が自分自身の意志に反して神とされることはありえないからである。・・・キリスト教は、グノーシス派や新プラトン主義のような回帰の教義ではなく、創造の教義なのである・・・矛盾してるようではあるが、キリストの再臨が遅れ、迫害が激化したにもかかわらず、キリスト教は楽観主義的な宗教の形をとった。

最初から、正統派の中心はローマだけだったのである。古代における正統派の勝利は、ローマ・キリスト教の勝利であると言える。・・・要するに正統派とは、(一)旧約聖書と諸文書によって立証された、使徒の伝承に史実であること、(二)神話化の想像力の行き過ぎに対して抵抗すること、(三)体系的な思想に対して高い評価をすること(したがってギリシア哲学を高く評価すること)、(四)社会・政治制度、つまり、とくにローマの精神に特徴的なカテゴリーである法思想を重視すること、として定義された。262-266


世界宗教史4 ミルチア・エリアーデ (ちくま学芸文庫) ISBN:4480085645  

コメント:ヘレニズムが「回帰の教義」に対して、キリスト教が「創造の教義」というのは、面白い。キリスト教ユダヤ教の影響から人は神が創造したという明確な教義がある。しかしキリスト教パウロしかり、ヘレニズムの強い影響を受けて、ユダヤ教から切り離されたところにキリスト教が生まれる。

第三十章 神々のたそがれ


キリスト教の教えが最終的に成功をおさめた原因は、ひとつではない。まずキリスト教徒の不屈の信仰と基礎的な強さ、拷問と死に直面したときの彼らの勇気があげられる。さらにキリスト教徒の団結心も他の類のないものである。キリスト教共同体は寡婦、孤児、老人の世話をし、海賊に捕らえられた者の身代金を払った。疫病の流行や籠城のときには、キリスト教徒だけが負傷者の看護をし、死者を葬った。根無し草になった帝国の大衆にとって、孤独に苦しんでいる者にとって、また文化的、社会的疎外の犠牲になっている者にとって、教会はアイデンティティを獲得し、生の意味を見いだし、回復するための唯一の希望だったのである。この共同体には、社会的な障害も、人種的、知的な障壁も存在しないので、だれでもこの楽観主義的で、逆説的な共同体のメンバーになることができた。・・・おそらくこれ以前にも、またこれ以降にも、四世紀までのキリスト教共同体の生活にみられる平等と慈愛、同胞愛に匹敵するものを体験した歴史上の共同体は存在しないであろう。P282-283


世界宗教史4 ミルチア・エリアーデ (ちくま学芸文庫) ISBN:4480085645