葬式仏教の誕生−中世の仏教革命 松尾剛次 平凡社新書 ISBN:4582856004

pikarrr2016-02-27

古代・中世

古代・中世の葬儀


・庶民の間では、死体遺棄風葬が一般的
・穢れから死にそうになった病人が捨てられる。貧しい人は自ら歩いて川原へ。

・貴族は土葬、火葬できちんとした葬送が行われていた。
 貴族たちも都のはずれに死体を埋めて顧みない。
 天皇の陵墓されも場所がわからない。
・僧侶も有力な僧侶でないと庶民同様に大路に捨てられる。

穢れ


・10世紀 「延喜式」穢れを規定
 人の死・産、家畜の死・産、肉食、改葬、流産、懐妊、月事、失火、埋葬など
 死穢は30日で穢れが消滅
・穢れは伝染する

官僧


・僧侶は官僧(官僚層)。天皇から国家鎮護の祈祷の資格を正式に認められた僧。
 朝廷が人事権を握る。
・祈祷などのために穢れ忌避が義務。
・10世紀に天皇、貴族の葬儀に僧侶が関与。
神仏習合から官僧が神事に関わるようになった。神事こそ最も忌避した。




平安末、鎌倉時代

平安末、鎌倉時代の葬儀


・1220年代 庶民の死体遺棄風葬が減少。
 鎌倉仏教の成立、境内墓地の成立、大規模共同墓地が成長
・葬送を望む庶民が現れる。
・慈悲のために穢れを忌避のタブーを犯す僧侶が出現。

 「人を哀れむことは是清浄の心であり、汚穢の恐れはないのだ。」

葬送に積極的な隠世僧の登場


・鎌倉新仏教勢力が葬送に積極的な組織として従事。死の文化を生み出す。
・古代からの僧侶は官僧。官僧世界が乱れ、離脱して、仏教修行に励む隠世僧(とんせいそう))
 法然親鸞日蓮道元栄西、旧仏教の改革派の叡尊ら律僧
・隠世僧によって、極楽浄土への往生する「死生観」、「来世観」などが一般に広まる。
 それ以前の死生観は、あの世とこの世が区別されない。あの世はこの世の延長。
 極楽浄土など、この世とは別のあの世観が成立する。彼岸世界の拡大。
末法思想の流行、浄土教思想の隆盛による阿弥陀信仰
 六道輪廻説。「念仏すれば極楽浄土できる」「戒を守れば成仏できる」
 13仏事の法事を整備。墓所・骨蔵器の制作。死体観が「穢れた存在」から「仏」へ。
 そもそも仏教に葬儀はない。五世紀に中国で偽撰された「梵網経」に追善・回向が認められる。

死穢を乗り越える論理


・律僧。「清浄の戒は汚染なし」
 我々は日々厳しい戒律を護持していおり、それがバリアーとなってさまざまの穢れから守られている。
 死穢以外の非人救済などの穢れに関わる恐れがあると考えられた活動にも従事。
・念仏僧。「往生人に死穢なし」
 「死体穢れ観」から「死体往生者観」へ
 法然以後は、念仏者は原則的にすべて往生人となった。死穢をものともせず、念仏を進めつつ、葬送に従事できる。
・禅僧
 中国における葬儀システムを日本にもたらした。
 修行中に僧が死去した場合の葬儀規定を在家者に転用。葬儀儀礼の元とする。
 戒名を授ける制度ももともとは修行中に死んだ僧侶を一人前の僧として葬つため。

寺院墓地の誕生


・12世紀後期から13世紀中期
 隠世僧が寺院の墓地などに石像墓を立て、そこへ詣でる習慣が始まる。
 それ以前は寺院は穢れ忌避。葬式に関わらない。
・多くが共同墓。
 一人の財力では建立するのは大変だが、講(一種の組合)を結成し、講衆の協力で建立。
 江戸時代になると家や個人の墓標へと変化する。




江戸時代

江戸時代の檀家制度


・仏教が国教的な地位を占めて、檀家と寺院の関係は固定。
・檀家とは葬祭を媒介として寺院と契約を結んだ、寺院経営を支える基礎単位。
邪宗教、とくにキリシタンを排除するため幕府により強制された制度。
・16から17世紀は鎌倉仏教系寺院が続々建立。
・1615年 寺院法度。本寺・末寺制度確立。
・1637年 島原の乱
・1638年 寺請制度。全国民に寺請証文の提出を命ずる。

位牌の普及


儒教の位牌を禅宗が採用し、日本にも伝来。
・鎌倉末期 僧侶・貴族や有力者に限られる
・室町末期 一般民衆に普及
・江戸時代 個人の家にまつられる。17世紀に仏壇が普及していく。