プリンス 後期ベストアルバム 「4everagain (1990-2015)」 


 https://www.youtube.com/playlist?list=PL2ZrWleci67-emgsTWTKkxIeKRKs-Wz4y


レコード会社とのトラブル、ネット配信など、いまだに入手に難がある幻のプリンス後期。このたび、日本のプリンスファンのメッカ、5ちゃんねる「殿下(プリンス)くびったけ」スレ住人が総力を上げて、後期の名曲の数々を厳選し、後期プリンスベストアルバム「4eve again(1990-2015)」をまとめました。

世界的スターとなった前期プリンス。しかし真のプリンスは後期にはあった。熱いファンク魂で駆け抜けた後期プリンスをご試聴あれ!
聞いたあと貴方の世界はきっと変わっている!

1 New Power Generation(Graffiti Bridge)1990 ★
2 Letitgo (Come)1994 ★
3 Pheromone(Come)1994
4 Le Grind(BlackAlbum)1994
5 Cindy C.(BlackAlbum)1994
6 The Most Beautiful Girl In The World (Gold Experience)1994 ★
7 Endorphinmachine (Gold Experience)1995
8 Gold (Gold Experience) 1995★
9 Chaos And Disorder(Chaos And Disorder)1996
10 Interactive(Crystal Ball)1998
11 Fascination(The Turth)1998 
12 (I Like) Funky Music(New Power Soul)1998
13 Rave Un2 The Joy Fantastic (Rave Un2 The Joy Fantastic)1999
14 The Greatest Romance Ever Sold  (Rave Un2 The Joy Fantastic)1999 ★
15 Rainbow Children (Rainbow Children)2001
16 The Work Part 1 (Rainbow Children)2001 ★
17 MAD 2001
18 One Nite Alone.. (.One Nite Alone... )2002
19 Musicology (Musicology )2004 ★
20 u make my sun shine (The Chocolate Invasion)2000 ★
21 Judas Smile (The Chocolate Invasion)2004
22 Vavoom  (The Chocolate Invasion)2004
23 High (The Chocolate Invasion) 2004
24 2045: Radical Man  (The Slaughterhouse)20004
25 Silicon (The Slaughterhouse)20004
26 Peace (The Slaughterhouse)2004 ★
27 Hypnoparadise (The Slaughterhouse)2004
28 S.S.T. 2005★
29 Black Sweat (3121)2006 ★ 
30 Fury (3121)2006 ★
31 Beautiful, Loved And Blessed (3121)2006
32 F.U.N.K. 2007★
33 Feel Good, Feel Better, Feel Wonderful (Lotusflow3r)2009 
34 Rock And Roll Love Affair (HITNRUN Phase Two)2012 ★
35 Screwdriver (HITNRUN Phase Two)2013 ★
36 Fixurlifeup (PLECTRUMELECTRUM)2013 ★
37 ART OFFICIAL AGE (ART OFFICIAL AGE)2014
38 Baltimore (HITNRUN Phase Two)2015 ★
39 Fallinlove2nite (HITNRUN Phase One)2015 ★
40 Purple Medley ★

なぜ日本の右翼は国家主義ではなく、勤勉徳治主義なのか

西洋の右左と日本の右左の違い


日本と西洋の左右の一番の違いは、西洋は右だろうが、左だろうが、基本は個人。だからむしろ経済的政策の差が大きい。右は自由主義の自由競争、左は再配分の社会主義それに比べて日本の左右の違いは、国家か、個人か。戦前の対立を継承している。日本の右は、国家、企業、イエの伝統的枠組みを重視する。左は個人を重視する。

日本の右派は、経済的には、自由主義の自由競争とともに、再配分も重視する。戦前の国家社会主義の継承で、政府、官僚が国策に合わして、再配分を調整する。安倍政権なら、大企業優遇で雇用の安定化、あるいは地方への配分など。今度は教育無償化らしい。

日本の左の再配分は、西洋の左派の社会主義的。個人を対象に平等に再配分される。と言いつつ、日本の左が西洋の左になりきれないのは、財源をはっきりせず、増税すると言えないところ。人気取りに走り、無駄して財源を得るとしかいえない。




日本の右翼は国家主義ではなく、勤勉徳治主義


日本の右翼は国家主義というよりも、世間主義であることが、特徴だ。歴史的には、徳川家康/鈴木正三、石田梅岩西郷隆盛北一輝岸信介安倍晋三ライン。北畠親房水戸光圀藤田東湖吉田松陰本居宣長平田篤胤国家主義ではないところが、要注意。国家主義は、他国との差異により国家である。だからナショナリズムに近い。対して世間とは、勤勉の倫理のことだ。世間には他国はない。世間とは、仏教用語で世界のことだ。江戸時代、日本では日本が世界として成熟した。これが世界的にも稀有な日本型右翼である。

孔子は、法治ではなく、儒教による徳知政治を説いた。道徳とは生活習慣ではなく、国を治めるための手段だ。さらに日本の道徳は仏教の慈悲の影響が大きい。簡単に言えば、みなが勤勉であることで、国が治まり、栄える。それが日本型の徳知政治、右翼だ。

日本型の右翼とは、みながみんなのために勤勉であるという道徳によって、国が治まり、栄える徳知国家だ。なんだそれと思う?安倍首相がモリカケで叩かれているのは、法か?安倍首相が首相の職務を私欲に使ったんじゃないか?すなわち勤勉でなかったんではないかと、徳知の司法機能として世間によって問題視されている。日本は今まさに勤勉徳知により栄えている。

西洋型リベラルでも、西洋型右翼でもなく、日本型の右翼とは、勤勉徳知国家。だから安倍首相は正当な日本型右翼の後継者。だからこんなに長期に、安定した運営ができている。小泉の西洋型右翼でもなく、民主党の西洋型リベラルでもなく、日本型右翼への回帰。




近代に国家主義右翼は勤勉徳治主義を利用した


日本も国家主義右翼の系譜もある。神道系。北畠親房水戸光圀藤田東湖、松陰、本居宣長平田篤胤、そしてなんといっても、明治以降の国家神道だ。実際、国家主義的右翼が国家レベルで台頭するのは明治以降の国家神道からだ。すなわち近代ナショナリズムにより生まれたと言っても良い。だから日本の右翼の本質をそこに置くとおかしくなる。

日本人の右翼の本質は勤勉徳知主義であり、明治以降の国家主義を支えたのも江戸時代からの勤勉徳知主義だ。国家神道を教育するために使われた教育勅語の中身は現代でも通用する勤勉道徳であるのはそのためだ。

教育勅語 12の徳目


1. 親に孝養をつくしましょう(孝行)
2. 兄弟・姉妹は仲良くしましょう(友愛)
3. 夫婦はいつも仲むつまじくしましょう(夫婦の和)
4. 友だちはお互いに信じあって付き合いましょう(朋友の信)
5. 自分の言動をつつしみましょう(謙遜)
6. 広く全ての人に愛の手をさしのべましょう(博愛)
7. 勉学に励み職業を身につけましょう(修業習学)
8. 知識を養い才能を伸ばしましょう(知能啓発)
9. 人格の向上につとめましょう(徳器成就)
10. 広く世の人々や社会のためになる仕事に励みましょう(公益世務)
11. 法律や規則を守り社会の秩序に従いましょう(遵法)
12. 正しい勇気をもって国のため真心を尽くしましょう(義勇)

天皇とは、政治的君主ではなく、勤勉徳知主義の完全な実践者だ。明治以降に天皇が重要であったのは、日本の真の右翼の潮流である勤勉徳知主義を引き入れるために、天皇をその完全な実践者の位置に演出した。それによって、薩長藩閥たちは、富国強兵の近代国家主義へ民衆を導いた。天皇は、勤勉徳知主義の完全な実施者であるために、政治的発言、決断は禁じられていた。




勤勉さに潜む右翼的な狂気


右翼というとなにか特別な狂気があるように錯覚するが、その基本は勤勉。逆には日本人の勤勉には狂気を秘めているとも言える。

西洋人の思想は、「神在り故に我在り」。西洋人は、我を(キリスト教の)神に保証されているところから全てが始まる。対して、日本人の思想は、「我無し故に我在り」。日本人は、我を保証してくれる神はいない。だから無我によって他人と繋がることで我を見出す。他人との関係、世間の中の役割として我を見出す。この無我の思想は大乗仏教の基本だ。武士でも、農民でも、商人でも、軍人でも、サラリーマンでも、主婦でも、世間の中の役割でしかない。世間の役割を全うすることが勤勉の思想だ。

この役割が過剰に求められたとき、究極の無我としての死を捧げることに至る。しかし死は我の終わりではない。死(我無し)は究極の我在り、だ。太平洋戦争の極限において、国民は軍人と言う職、日本人という職として、究極の勤勉さが求められた。

また戦後も、右派の自民党が政権を取り続けているのは、国家主義では理解できない。勤勉徳知主義は、戦前の国家主義から、戦後には資本主義経済、民主主義化を下支えした。勤勉により経済成長を支え、勤勉徳治により公平性で民主主義を支えた。



東照宮御遺訓 徳川家康

まず慈悲が万事の根本であると知れ。慈悲より出た正直がまことの正直ぞ、また慈悲なき正直は薄情といって不正直ぞ。また慈悲より出た智慧がまことの智慧ぞ、慈悲なき智慧は邪な智慧である。中国ではこの大宝を智仁勇の三徳という。忘れても道理や人の道に反したことを行なってはならぬ。およそ悪逆(道に背いた悪事)は私欲より生ずるぞ。天下の乱はまた思い上がりより生ずるぞ。人民の安堵(あんど)は各人が家の職業を勤めることにある。天下の平和と政治の永続は上に立つ人の慈悲にかかっている。慈悲とは仁の道である。思い上がりを断って慈悲を万事の根本と定めて天下を治めるようにと申さねばならぬ。

鈴木正三

どの仕事もみな仏道修行である。人それぞれの所作の上で、成仏なさるべきである。仏道修行で無い仕事はあるはずがない。一切の[人間の]振舞いは、皆すべて世の為となることをもって知るべきである。このような有り難い仏の本性を人々[は皆]具えている。本当に成仏を願う人であるなら、ただ自分自身を信じるべきである。自身とはつまり仏であるから、仏の心を信じるべきである。

石田梅岩

士農工商は、天下が治まるために役立ちます。その中の一つでも欠けてしまったら、世の中はうまく動かなくなるでしょう。士農工商を治めるのは君主の仕事であり、君主を助けるのは、士農工商の仕事です。侍は、位をもった臣下です。農民は、野にある臣下で、商工は市井の臣下なのです。臣としては、君主を助けるのが正しい道です。

西郷隆盛

道は天地自然の未知なる故、講学の道は敬天愛人を目的とし、身を修する克己をもって終始せよ。己に勝つ極功は「意なし、必なし、固なし、我なし」と云えり。

北一輝

天皇は国民の支配者ではなく、国家の一機関。
ブルジョワ市民社会個人主義ではなく、献身的道徳による国家社会主義を実現すべき。
・国家は支配者の権力装置ではなく、国民の平等な政治的団結を示す社会。

平成28年9月27日 働き方改革実現会議  安倍総理

働き方改革』のポイントは、働く方に、より良い将来の展望を持っていただくことであります。同一労働同一賃金を実現し、正規と非正規の労働者の格差を埋め、若者が将来に明るい希望が持てるようにしなければなりません。中間層が厚みを増し、より多く消費をし、より多くの方が家族を持てるようにしなければなりません。そうなれば、日本の出生率は改善していくわけであります。
1番目に、同一労働同一賃金など非正規雇用の処遇改善。
2番目に、賃金引き上げと労働生産性の向上。
3番目に、時間外労働の上限規制の在り方など長時間労働の是正。
4番目に、雇用吸収力の高い産業への転職・再就職支援、人材育成、格差を固定化させない教育の問題。
5番目に、テレワーク、副業・兼業といった柔軟な働き方。
6番目に、働き方に中立的な社会保障制度・税制など女性・若者が活躍しやすい環境整備。
7番目に、高齢者の就業促進。
8番目に、病気の治療、そして子育て・介護と仕事の両立。
9番目に、外国人材の受入れの問題。

武士と世間 なぜ死に急ぐのか 山本博文 中公新書 ASIN:B00LMB0A5Q

「世間」が人の行動の是非を判断するものとして立ち現れてくる。元禄期には一般に成立。藩は事件の処置について世間の評価を神経質なまでに気にしていた。世間を騒がせたこと自体が重い罪状になりえた。武士の名誉が世間が認めるものだった。武士は戦闘者であり、支配者階級であったため、死を怖れない強い精神力が必要とされ、武士にふさわしくない行動をした場合は自ら死を選ぶ倫理と能力をもつとされていた。支配身分である武士には、その身分に伴う厳しい倫理が必要であり、威厳が保てない。社会が安定してくると、幕府の権力者や将軍までもが、世間の評判を気にするようになる。配慮しなければ悪い評判がたち、ひいては自らの権力や地位・立場を左右する可能性があった。町人は「世間」に背を向けて利欲や恋愛に生きることが許されたが、武士にそういう自由はない。「世間」の評判こそが「武士道」の規定となった。武士の「世間」は、他の階級の「世間」に比べてはるかに厳しい倫理を要請した。自分の親や子供までが武士社会から爪弾きにされる。先祖の名字は傷つき、家は断絶することになる。

海外の労働はトップダウン型、日本の労働はボトムアップ型

海外のトップダウン型、日本のボトムアップ


「日本の社員は「雑用」多すぎ ワークス牧野氏」https://style.nikkei.com/article/DGXMZO21783530S7A001C1000000が、海外と日本の労働観の違いがわかりやすくて面白い。記事をもとにまとめると、

海外
・海外のトップダウン型。経営優先。
・労働者は代替可能な存在
能力主義。賃金格差。代替可能なので優秀な労働者は引き抜かれないよう高い賃金、代替可能な質の悪い労働者は低い賃金。
・職の流動化。


日本
・日本のボトムアップ型。現場優位。労働者は「カイゼン」に自主的で質が高い。
・労働者は代替可能性が低く、会社帰属意識が強い。
・現場主義。労働者の知はその現場、環境、チームに密接なもので、転職しても使えると限らない。転職を望まない。終身雇用、非能力主義年功序列賃金を望む。


海外のトップダウン型、日本のボトムアップ型。このような海外と日本人違いは、歴史的な背景と繋がっている。西洋では農奴制が残し、農民は与えられて仕事をする労働者であった。対して、日本人の農村は江戸時代から現場主義だった。自ら自治を行い、生産性を行う。それが日本人の勤勉だ。

またITによる生産性向上を考えた場合にも違いは明らかだ。トップダウン型の西洋では、IT化で代替できる仕事を労働者からITへ交換することは容易でスムーズに進んだ。対して、ボトムアップの日本では労働者側に現場スキルがあり、容易にITで代替しにくい面がある。

さらには、労働による商品の受け手側の問題もある。西洋のトップガン型では消費者もまた、サービスがマニュアル的であることになれていて、IT化しても対応できる。しかし日本のボトムアップ型では、現場において労働者と消費者がサービスによって密接に結びついている。対価を超えた長期的な関係=おもてなしをあり、IT化によるマニュアル化に不満を感じるだろう。日本人が、世界一うるさい消費者と言われる所以である。



日本の社員は「雑用」多すぎ ワークス牧野氏
https://style.nikkei.com/article/DGXMZO21783530S7A001C1000000


海外では、現場で働く社員より、経営者に必要な環境を整えるのを優先します。社員は日々の営業活動や商談内容のデータを打ち込んで報告します。これをERPなどのツールを使って素早く集約し、経営者の判断材料にするのです。社員が報告の作成や入力の手間で苦労するとしても、経営者のために情報を「見える化」するのを優先するという考え方なのです。

営業を例にとってみましょう。海外では、営業担当者は「代替可能な」存在と考える向きが多いです。社員は、会社がマーケティングをして築き上げたノウハウに従って売るよう求められます。個人のスキルは関係ありません。優秀な人がいたとしても、いつ引き抜きにあって辞めてしまうか分かりません。個人のスキルに依存するのは、経営者からみてリスクなのです。データ管理を重視する背景には、こういう事情もあるのです。こうしたデータ重視の傾向は、営業以外の部門でも共通です。

日本でも「見える化」が一時流行しましたが、あまり普及しませんでした。現場の抵抗が大きかったからです。では、なぜ抵抗が大きかったのでしょうか。それは、現場の社員のスキルが米国と比べて非常に高かったからです。

欧米流のERPの考え方には「マネジメントする側が優れていて、末端にいくほど能力が低い」という前提があります。「末端」の社員は比較的低賃金で、その生産性についてもあまり重視されません。

日本はどうでしょうか。日々のオペレーションで、意思決定をしているのは現場の社員です。海外では「日本は意思決定が遅い、上にあげなければ決められない」とよく言いますが、これは部分的に間違っています。意思決定が遅いのは、あるレベル以上の「重要な判断」だけなのです。

日本ではオフィスや工場、店舗などの現場で毎日のように小さな意思決定が行われています。そのスピードは速いのです。代表的なのが、製造業の生産現場で日々実施されている「カイゼン」でしょう。日本の現場は、海外とくらべて非常に優秀なのです。自分で考え、判断できる優秀な人材が現場に集まっているともいえます。個別のスキルが高いから、仕事をきっちりルーティン化しなくてもいいのです。大まかな指示があれば、自分で考えて適切に業務を進められるのが、日本の現場です。

日本の政治には世間という魔物が住んでいる 保守とリベラル5

会社は世間のためのもの


日本の企業のワークシェアリング的な特徴に再配置がある。大企業の一つの事業部門が経営悪化で縮小することになると、その事業部門の人員配置は他の事業部門や子会社に再配置される。これは、従業員の正社員利権をまもるためだ。職の流動性が高く、能力主義の西洋なら、縮小する事業部門の人員は回顧され、他の事業部門で人員が必要なら、その場の賃金と能力に合わせた従業員を新たに雇うだろう。

日本企業の慣例である再配置は、日本企業が背負う社会的な責任である。日本では企業は収益に合わせた人員を雇用して、その職の安定を保障しなければならない。これを作動させるのは労働組合であるとともに、世間である。不当に労働者を扱う企業は世間圧により信用を失う。それは新卒の就職の回避や、ひどいときには不買運動にもつながるだろう。会社は誰のものかという問いがあるが、日本では株主のものであるとともに、従業員のものであり、また世間のものでもある。




なぜ日本の与党は野党と根回しを繰り返すのか


日本の政治では、法案を通すためになぜこれほどの根回しをするのか、という不思議がある。与党内、官僚、関係団体、そして政敵の野党とも合議を繰り返す。簡単に国会で多数だから、採決すればいいと言うものではない。特に野党との合議を繰り返す理由の一つが、世間との調整の意味がある。できるだけ合議を目指して討議する姿勢がなければ、世間から独断的と批判され、たとえ採決で法案が通っても、信用を失う。信用を失うと、次の選挙が困難になる。世間はその法案の内容そのもの以上に合議を目指し努力する真摯な姿勢を見ている。逆に言えば、与党に真摯な姿勢が見えないと世間にアピールすることが野党の重要な政治手法となる。これは日本に独的な現象ではないだろうか。

西洋では頻繁に政権政党が変わる。日本で、世界的に珍しい自民党一党の政権が続いて、偏った人々に優位で、国民全体の利害調整はできるのか、という不思議がある。その一つの理由が強い世間圧にある。自民党は、官僚、関係団体との関係が深いとともに、世間圧た敏感だ。それが長く政権を続ける理由の一つだろう。

一時期政権を担った民主党政権は、自民党の合議的な運営を嫌い、上層部のトップダウンで方針を決定し、官僚、関係団体との調整を重視しなかったと言われる。そして世間圧という右派的なものを好まずに、合理的と思われる判断で進めた。その空気の読めない嫌な記憶は今も世間の中に残っているのでないだろうか。




日本の政治には世間という魔物が住んでいる


モリカケ問題はまさに世間圧の世界である。おそらく安倍首相を弾劾する法的な根拠も、証拠も出てこないだろう。野党もそれはわかっていて、世間圧を煽る。「忖度」とはなんだろう。よくこんな言葉を使ったものだが、法的には全く意味がないが、なにか悪いことがあったように世間圧を誘導するには効果的なマジックワードだ。世間圧という空気の世界で、安倍首相はこれ以上何をすればよかったのか?特に連日マスコミがネガティブキャンペーンを繰り返す。

結果的に、解散総選挙は予想以上の大成功だった。まさか野党自ら崩壊するとは。野党議員は世間の空気の誘導に成功しながら、選挙では支持されないことを知っていた、その逃げ足はあまりに早かった、安倍叩きを先導したリベラル左派たちからいち早く距離をおく。自分たちのやっていることが下品であることの自覚はあったのだろう。しかしまたその逃げ足の早さも下品だった。




マスコミは日本最大の左翼団体


世間を操作すること、作り出すことが得意な人々がマスコミだ。マスコミが政治的な偏向報道に熱心な理由の一つは、小選挙区制になったことにあるだろう。いままでの中選挙区制では1つの選挙区で複数人当選するために必ず自民党員が一人は当選していたが、小選挙区制では各選挙区で一人当選者が決まるため、全国的な扇動に成功すると大量の当選が可能になる。まさにマスコミの扇動力が発揮されやすく、俄然やる気をだす。

小選挙区制を上手く利用したのが小泉政権だが、小泉は巧みに世間圧を誘導し成功した、その弟子の小池百合子も世間圧の誘導には長けていることは都政を見ればわかる。しかし今回は展開が早すぎて上手く乗りこなせていないが。

民主党政権の成立ではマスコミの誘導、自民党へのネガティブキャンペーンが成功した。マスコミが自民党は利権を隠しているよう報道し、民主党はそれを埋蔵金と呼び、口当たりのよい政策を並べ立てた。しかし結果は埋蔵金などなく、ほとんどの政策は実行されずに終わった。単に報道するのではなく、実際に政治を変えることができた。その成功体験が世間誘導を向かわせる。その意味で、マスコミは現在日本最大の左翼団体とていい。

その中でボクは、安倍首相は比較的世間という空間の誘導よりも、結果重視に実直に政治運営をしていると思う。世間を操作するより、真摯な向き合いことで理解を求めるという姿勢を大切にしている珍しいキャラクターではないだろうか。




日本人は世間の空気を読めない原理主義が嫌い


日本人は法そのものを理解できない。法は、利害が対立する両者の利害を調整するものだ。多民族、多宗教の間の決して分かり合えない関係の社会から生まれた。それに対して、日本人は法を真実を明らかにするためのものと考える。日本人にとって真実は必ず一つであり、全員が納得する真実があると考えている。桝添叩き、安倍叩き、タレントの不倫叩きでは真実を求める。しかしそれは法ではなく世間の道徳だ。

世間にとって、血筋、家柄、国家権力、独裁者だろうが、関係ない。彼らも日本人であり世間の一人でしかない。そして真実は一つであり、何者も逃れられない。いかなる法が作られようが、それが真実を違うなら法を変えればよい。なぜなら日本人なら真実は一つだから。だから自民党がずっと与党でもなんの問題もない。彼らも世間の一部でしかなく、世間を見ながら政治を行う。

ただリベラルが面倒なのは、西洋かぶれで真面目で、世間の空気をよめない。だから日本人をやめて国際人だとかほざいて、調子にのって世間と対立する可能性がある。日本人はキリスト教や左翼など、原理主義的なものが大嫌いだ。なぜなら同じ日本人なのに、世間の空気を読まず、世間に対抗する。世間とは異なる真実を作ろうとする。




世間の成立


世間が政治へ大きな影響力をもつのはなにも最近のことではない。

武士と世間 なぜ死に急ぐのか 山本博文 中公新書 ASIN:B00LMB0A5Q
http://d.hatena.ne.jp/pikarrr/20160316#p1


「世間」が人の行動の是非を判断するものとして立ち現れてくる。元禄期には一般に成立。
藩は事件の処置について世間の評価を神経質なまでに気にしていた。
世間を騒がせたこと自体が重い罪状になりえた。
武士の名誉が世間が認めるものだった。
武士は戦闘者であり、支配者階級であったため、死を怖れない強い精神力が必要とされ、武士にふさわしくない行動をした場合は自ら死を選ぶ倫理と能力をもつとされていた。
支配身分である武士には、その身分に伴う厳しい倫理が必要であり、威厳が保てない。
社会が安定してくると、幕府の権力者や将軍までもが、世間の評判を気にするようになる。配慮しなければ悪い評判がたち、ひいては自らの権力や地位・立場を左右する可能性があった。
町人は「世間」に背を向けて利欲や恋愛に生きることが許されたが、武士にそういう自由はない。
「世間」の評判こそが「武士道」の規定となった。武士の「世間」は、他の階級の「世間」に比べてはるかに厳しい倫理を要請した。
自分の親や子供までが武士社会から爪弾きにされる。先祖の名字は傷つき、家は断絶することになる。

権力史観では、応仁の乱のあと、戦国時代の混乱に入る。それを、信長、秀吉、家康によって、江戸時代の統一へ至る、と考えるが、一方で民衆史観を考えなければならない。戦国時代、国が混乱する中で、平安時代からの荘園制が崩れ、イエが集まった自治惣村が成立してくる。むしろ自由に豊かになっていく。ムラは中に、武士、商人、お寺を持ち、治安、司法、経済を内包した。

秀吉が行ったのは、全国のムラムラを統治することだ。太閤検地は管理するだけでなく、中間搾取を排除し、より直接、ムラから効率的に税をとる。刀狩りは、ムラから暴力を一掃する。代わりに秀吉が治安を守る。さらに家康は檀家制によって、すでにムラムラにある寺を整理して、農民の住人台帳を作らせて、管理する。

ようするに、すでにあるムライエと対立するのではなく、それを活用し統治するよう進めた。だからムライエのもつ自治や生産性向上は任せた。いわば、日本の荘園制に近い体制が残り続けた西洋の農奴制とは違う。左翼は、すぐに西洋の農奴をもとにした差別史観をそのまま、日本の農民にも展開するが、それが大きな間違いである。

江戸時代以降も、ムライエは自立的な大きな力を持ち続けた。その具体的な現れが一揆であるが、一揆は単なる反乱でもましてや革命ではなく、正統な法を越えた武士層への訴える方法であった。日本で近代革命が起こらなかったのは、ムライエは自治権をもち革命を起こす必要が無かった。明治維新でも、戦国時代、江戸時代、明治、そして現代まで、日本の基盤としてのムライエは変わっていない。世間はそのようなムライエをもとに、江戸時代の平安と豊かさの中で生まれてきた日本の公平性の倫理である。

安倍政権の本当の問題はなにか? 保守とリベラル4

安倍政権が目指すのはマクロなワークシェアリング


安倍政権の問題はなにか?化石左翼が言う、モリカケ問題、憲法改正はどーでもよくて、良く言われるのが、賃金が上がらない、母子家庭、子供の貧困化がある。これは安倍政権の成果とされる雇用の安定化である、失業率の低下、新卒内定率の増加と裏表の関係にある。

日本の雇用の特徴は雇用に流動性が低いこと。いまも年功序列の面が強い。すると同じ会社で正社員であることが有利で、労働者は正社員利権をはなしたくない。会社側にも、集団的に仕事するから継続した社員を望む、解雇することは社会的なイメージが悪い、労働組合の力などが働く。

そして安倍政権は、正社員利権を安定化し、より多くの正社員利権にありつけるようにすることが、社会保障であり、最大の経済政策になる。働き改革もそれにそれを進める。定年延長を社会保障として、年金支給の年齢を上げる。非正規と正規の差をなくすとは、実質、正社員を増やすことになる。

これは、マクロなワークシェアリングの面を持つ。できるだけ多くの人に正社員利権を分け与える。この流れの中で企業も正社員利権を守ることに資金を使う。すると、賃金を上げることを保留する傾向が出てくる。

しかしこの正社員利権からこぼれ落ちた人々は、苦しくなる。一家に一人正社員がいれば、家庭は潤うが、一人もいない場合に経済的に厳しい状況となる。その代表が母子家庭だろう。時間的に制約がある母は敬遠され、女性は正社員にありつきにくい。




かつての日本の雇用形態=正社員利権への回帰


西洋では職の流動性が高い。キャリアアップのために転職は普通だし、企業も景気が悪くなると、簡単にリストラして、景気が良くなると雇用する。労働者も転職が容易だ。そして無職期間の社会保障は国が担う。しかしそのかわり、格差は大きい。能力主義の世界だから、能力に合わせて、選別される。日本は、正社員利権にありつければ、社長から現場労働者の地位より、年功序列の方が差があり、比較的格差は小さい。

小泉政権民主党政権も目指したのは、日本の正社員利権からの脱却である。小泉政権ネオリベラルでは、雇用の流動性を高めて、能力主義にする。その結果、生まれたのが大量の非正規である。労働の自由化の名の下に、企業は正社員枠を狭めて、非正規として必要なときに必要だけ雇い、必要なきときは解雇する、都合の良い非正規枠を増やした。民主党政権のリベラル派は、能力主義はそのままに国の社会保障で補完しようとして、社会保障費は増大した。これらに対して、安倍政権の政策はかつての日本の雇用形態=正社員利権への回帰である。




安倍政権は長期的な問題に対応できるのか


このように安倍政権が長期政権として支持される一つの理由は、徹底したリアリストである点があるだろう。高い理想を掲げず、西洋の思想、システムを優れていると飛びつかず、日本人にあった、最も実質的に成果の上がる施策を実行していく。だから逆に安倍政権の本当の問題は、日本の構造的な問題、人口減少にどのように対応するのか。実働的過ぎる故に長期的な問題に対応できているのか。

たとえば憲法改正はいまそれほどこだわる問題か。憲法改正したから、北朝鮮との関係がすぐ変わるわけではない。現に自衛隊はそれなりの規模であり、安保法案も成立した。日本人による憲法改正は、自民党結成以来の目標であり、その主力メンバーの安倍首相のおじいさん岸信介の悲願でもあった。そして首相の期間というのは限られていて、できることも限られている。結局、歯車を一つの進めることしかできない。小泉政権の最優先は郵政改革だったのか?でもそれは小泉の長年の悲願であった。それによって、政治の流れが変わった部分はある。

そして安倍首相悲願は憲法改正。本当は憲法に軍隊の保持を書きたいところだろうが、まずは今のままで、自衛隊を記載する。まず妥協しても歯車を一つ回した。そうすれば左翼の教典化している憲法が法に戻り次の改正がやりやすくなる。最初の第一歩がなければ次がないという意味で重要だが。




安倍政権時代は古きよき時代となる


未来には、安倍政権時代は、古きよき時代だったと言われるだろうが、ポスト安倍の時代はどうなるのか?正社員利権政策を継続するのか、世界の大きな流れの中では、職の流動化に戻る可能性が高いが、それに対する解は日本にはまだない。さらにポスト安倍をにらんで語るべきは、人口減少対策、そして移民誘致の推進。これは古代日本にまで遡る日本人とは何かという問題だ。

そしてそこにこそポスト安倍をにらんだ、野党が主張すべきポイントがあるのではないか。せっかく小選挙区制になりワンチャン政権を取れる可能性があるのに、モリカケ固執して、政策を語らない。はなからどうせ国民の支持などえられないと政権を取る責任を放棄して、政治的ガヤという既得権益に安泰する。いかに国会議員に居続けられるか、ただ自己保身に走る。それにしても、小池新党の公約はぱっとしなかった。時間不足、民進党残党との妥協があったんだろうけど。地に足がつかずに、中途半端であることは否めない。ポスト安倍が見えないこと、安倍政権がうまくい来すぎているだけにその反動は大きそうだ。

日本の左派リベラルは終わってしまうのか 保守とリベラル3

日本人には左派リベラルを目指すインセンティブがない


左派リベラルは、世界標準に重きを置く立場。右派保守は、日本人の価値に重きを置く立場。当然そこにはズレがある。リベラルが重要であるのは、多民族国家では、どこかの民族の価値に重きを置くことは偏向となる。普遍的な価値を目指すため、未来的、改革的、設計主義的、理想主義的になる。だからそれまでの伝統的、現状秩序と対立する。このリベラルと対立して、伝統的、現状秩序を守るのが、保守である。改革も伝統からの連続性を重視する。

このように考えると日本で右派保守が強く、左派リベラルが弱いのは当然と言える。島国の疑似単一民族では、現状の日本人の価値に対立して、普遍的な価値を目指すインセンティブがない。日本人の価値を重視しながら、世界の価値と調整することになる。




日本の左派リベラルのモチベーションは憲法死守


では日本の左派リベラルのモチベーションはどこにあるのか?西洋の左派リベラルが重視するのは社会保障だ。民族や宗教、家柄などに関係なく普遍の人権を守るために、最低限の社会保障を確保する。逆にはそれ以上は各人の自由で立ち入らない。

これも日本では説得力がない。右派保守には戦前からの国家社会主義的な社会保障がある。それは生活費を与えて他はご自由にという左派リベラル的なものではなく、国家主導の産業推進とそれに伴う雇用の安定確保、それにも落ちこぼれたものには生活費の補助。

残るは右派保守の失敗である過去の敗戦だ。右派保守はいつまた暴走し戦争を始めるかもしれない。それを抑制する。それは安保闘争などを経て、現在、平和憲法維持に集約されている。逆にここにしか、日本人の支持を得る左派リベラルの活動はない。彼らが、議論さえ受け付けず、憲法死守を叫ぶ理由はここにある。自分たちの最後の砦。

そして左派リベラルが自分たちの存在意義を確保するために、憲法が教典化している。だからまずは、句読点でもいいから改訂して、教典から法に戻す。安倍政権が改正内容に妥協しても進めるのはそのためだ。法に戻せばまともな議論が可能になり、あとはどーとでもなる。




なぜ左派リベラルは森友加計問題に執着するのか


左派リベラルが、モリカケ問題に執着する理由もここにある。すなわち左派リベラルの立ち位置は、主流の右派保守の監視にしかない。右派保守の失敗は戦争、そして戦後は贈収賄だ。収賄は世界的にも今ほど禁止されていなかった比較的新しい倫理だ。

戦前から連続して権力を維持する右派保守は、厳しい規制がなされなかった面があり、贈収賄は右派保守の体質となり、昭和電工ロッキードリクルート等々、定期的に問題を起こしてきた。モリカケは、ロッキードリクルートとは全く異なるし、忖度というアクロバティックな技法でいきなり強引に、安倍首相に繋げられている。

これは彼らの最後の砦、憲法死守が危機的状況にあることからの、決死の抵抗の意味もあるだろう。安倍首相を追い込んでいるようで、自分たちが追い込まれていく。前原クーデター、小池による排除、そして右派保守の勝利により、憲法改正が確定したいま、日本の左派リベラルは終わってしまうのか。

いまの日本の何が問題なんだろうか? 保守とリベラル2

立ちすくむ国家か、人類史最強国家か


少し前に若手官僚がまとめた提言が話題になった。わかりやすい、なんとかしないと日本やばいとか評価されたが、よく見ると、本質的な問題がない。少しの金で安全で公平で便利で王様のように暮らせる、人類史最強の社会を、日本人は構築しちまったからね。これ以上社会になにを望むのか。

不安な個人、立ちすくむ国家〜モデル無き時代をどう前向きに生き抜くか〜 次官・若手プロジェクト
http://www.meti.go.jp/committee/summary/eic0009/pdf/020_02_00.pdf




少子化と子供の貧困


いまの日本の何が問題か?強いて言えば、正社員既得権益利権社会だから、正社員の息子は、ひきこもりでも、フリーターでも好きにすればいいが、孫の世代まで金が回らないよな。息子は気楽で結婚せず子供を作らない。正社員利権を持たない息子に子供ができたら大変だよ。生活能力ないし。

すると、離婚して母子家庭になる。当然、妻も正社員利権を持たないから、パートで稼いで貧困。妻の親の正社員利権に寄生できればいいけどね。息子世代の結婚はリスクがあるから、少子化が進む。子供の貧困が広がる。




正社員利権が一番の社会保障


だから左派リベラルの社会保障の充実か。それは民主党時代に失敗している。そんなことしたら金がいくらあっても足りない。民主党時代みたいに日本沈没する。やはり日本は正社員利権をしっかり固めて、少しでも多くの正社員を作る。求人倍率上げて、なんと言っても新卒の就職率を上げる。日本では正社員が一番の社会保障だから。それでもこぼれるものには、今回、消費税上げて、学業無償化など、子供の貧困に対応はする。

日本の失業率の推移(1980〜2017年)
http://ecodb.net/exec/trans_country.php?d=LUR&c1=JP


就職内定率推移
http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/3160.html


第2次安倍政権の2012年以降は、いい感じに失業率下がって、新卒内定率は上がって、正社員利権という最大の社会保障が機能している。GDPとか、賃金アップとか正直どーでもいい。正社員利権は一家の命運がかかっている。少しでも多くの人が利権にありつくことで、金だけでなく、日本人の生きがいを生み出す。一人の正社員がいると何人が豊かに、安らかに、お気楽に、楽しく暮らせるか。

民主党の何がひどかったかって、円高放置だよな。経団連ブチ切れて、次々海外に工場作って、あのまま言ってたら、団塊世代の大量退職による失業率低下どころじゃなかった。




人口減少と移民誘致


あとは、人口減少だけど、これは世界的に解決は一つしかない。もう各国やってる。移民の受け入れだよ。日本もやるしかないし、実は大きな声で言えなし、政策に上げてないが、安倍政権はかなりの移民を受け入れている。世界で受け入れ人数五位だっけ?ほんとこれはこっそりやらないと、憲法改正の騒ぎではない。憲法はたかだか100年問題だが。移民は2000年問題だから。これだけはこっそりやる。日本の人口の1/3を移民にするから、気がついたら回りが外国人だらけだけど、仲良くしてくれ。持ち前の慈悲能力で乗り切ってくれ。




賃金アップより株価アップ


あとは、雇用は確保できたとして、賃金アップの問題だが、それは本当に無理。高度成長期ではないんだから。企業もリストラせずに雇用を安定させるために、内部留保貯めるから。企業から金を取る方法は、賃金と株がある。賃金アップは1回あげると下げるのが大変だから、企業もなかなか上げにくい。株は景気に連動するから、企業もやりやすい。安倍政権もNISAとか推奨してるだろう。賃金アップはあきらめて、株買って儲けてくれ。いま20年ぶりの高株価だし。

賃上げ無くても、ほどほどのデフレで物価も抑えてるし、100均ローソン行けば、贅沢し放題だし、あとは各自楽しくやってくれ。