メディア時代の文化社会学 吉見俊哉 (1994) その1

メディア時代の文化社会学

Ⅰ メディアの変容と電子の文化
1 マクルーハンと電気の文化

●ヴォルター・ベンヤミン (1936)

    • 複写技術の拡大により芸術作品のアウラの消失、すなわち<いま><ここに>しかないという作品の一回性が、複写技術の拡大で失われていく。

マーシャル・マクルーハン (1960代)

    • 活版印刷の普及により、「経験を連続体として線形に把握していく習慣」の常習化が進み、視覚による経験の均質化が、五感が織りなす複雑な感覚複合を背後に押しやっていく。「視覚的に構成された世界は、統一され、均質化された空間の世界である。そしてこのような世界は話し言葉がもつ複数の要素が共鳴しあう世界観とは無縁のもの」である。
    • 19世紀以降、電子メディアは、こうした線形性と視覚の優位性を再び逆転する。口承的な形式が再び優位を占め、活字時代に獲得された固定的な視点を保ち続けることが難しくなる。
    • 電子メディアのなかで、再び口承的なコミュニケーションを復活させる。
    • 空間的な距離が無化され、電気テクノロジーに媒介された同時的、相互依存的な場がいたるところに出現する。
    • 身体器官の拡張としての空間のシステムが、電気的な情報のシステムに代補されつつある。この代補によってわれわれの中枢神経系は地球規模で拡大し、空間的差異を無効にする。
    • 人びとのコミュニケーションを、線形的で視覚的な形態から、包括的で触覚的な形態に移行させる。

2 場所の空間/電子の空間

●メルヴィン・M・ウェッバー (1964)

    • 都市を物理的な環境からコミュニケーション・システムとして見ると、都市のコミュニティーにおいて重要なのは、空間的な近接性でなく、社会的な接近可能性である。
    • 物理的な空間のなかに共棲していることの重要性が低下しつつある。

●ヨシア・メイロウィッツ (1985) 

    • 伝統的社会では表局域と裏局域の区分を常態化し、公的な場面と私的な場面、上位の場と下位の場、男の領域と女の領域、大人の世界と子供の世界を分離することにより秩序づけられていた。
    • それに対して電子メディアは、それまでの明確な分離を取り払い、公的な場と私的な場の区別を曖昧にし、物理的な場所と社会的な状況の対応関係を流動化させる。「場所の意識の喪失」がいたるところで起こって、人々は「身のおき場」を失い、社会が電子的に混ぜ合わさっていく。
    • 電子メディアは、社会的な状況に対する場所の拘束力を低下させることで、社会秩序を構造的に変容させている。対面的な場所から「情報への接近パターン」へ。
    • メディアの変化は壁や門の建設や破壊と同様に、社会的状況を分割したり、統合したりする効果をもつ。

3 電子的ディスクールの位相

●ウォルター・J・オング (1982)
 メディアの発展史 (1)口承的、(2)筆記的、(3)活字的、(4)電子的

  • ①口承的(声としての言葉口)
    • 口承文化はいくつかの常套句があり、人々の思考は、それらの常套句を組み立てることにより成り立っていた。
  • ②筆記的(文字としての言葉)
    • 野生の思考が内包する力動的な構造を解体し、言葉を視覚的な記号として空間化する。言葉は語られる状況から離れて分析的な思考の道具になる可能性をもつ。幾何学的な図形の理解、範疇的な分類、形式論理的な推論、事象の定義、自己分析などは<書く>というテクノロジーによってはじめて可能になった。
  • ④電子的
    • 書き言葉から電子の言葉への移行において、視覚をを頂点とする感覚秩序の解体に結びつく。人々は再び聴覚的な仕方で出会うようになる。テレビもまた、語られる言葉の面では聴覚的な性格をもつ。電子メディアはわれわれを「二次的な声の文化」に導きつつも、文字文化のなかで拡大してきた言語の逐次処理と空間化を加速度的に強化する。

●ドナルド・M・ロウ (1982)
 ウォルター・J・オングの(4)電子的への反論
電子メディアは他の近接感覚を排除したまま視聴覚を限界まで拡張し、日常現実を変容させる。視覚は、かつての固定点から全体を見渡すようなあり方からより流動的で多中心的なあり方へと転態していくのだが、それでも書き言葉以来の視覚の卓越性は保たれつづける。

オルグの書き言葉から電子の言葉への移行において、視覚を頂点とする感覚秩序の解体に結びつき、再び聴覚的な仕方で出会うようになるのは疑問。ロウの視聴覚の拡張、さらには視聴の拡張ではないか(pikarrr)

●マーク・ポスター 1990
言語論的アプローチ・・・歴史がシンボル交換の構造における諸変異体によって区分、「情報様式」

  • ①対面し、声に媒介されたシンボル交換の段階
    • 自己は対面関係の全体性に埋め込まれることによって、発話地点として構成されている。口承的な情報様式は相互作用の場を固定することにより、共同体の成員として自己を構成した。
    • 部族社会の小さな共同体の諸個人は誕生から「知られて」おり、日常の経験によって自己の同一性を再生産するような広大な親族関係の構造の中に組み込まれている。
  • ②印刷物によって媒介される書き言葉による交換の段階
    • 記号の再現=表象にって性格づけられ、そこにおいて自己は中心化された自律的な行為者として構成される。
    • 活字的な情報様式が構成したのは、「理性的で自律的なエゴであり、それはたった一人で線的なシンボルを論理的に結合する、文化の安定した解釈者」であった。書き言葉と印刷により自己の同一性はコミュニケーションからさらに取り除かれるようになったが、著者性は、たとえ筆名であっても、同一性を固定する役割を果たした。
  • ③電子的な情報交換の段階
    • 情報的なシミュレーションによって性格づけられる。自己は脱中心化され、錯乱し、連続的な不確実性の中で多数化されている。
    • メッセージ・サービスでの会話者はたとえ本名を使っていたとしても、普通はそれにふさわしくないと思われるし、またもし彼らが自己の対面状況での会話をしているかのように表現していたとしても、彼らの仲間たちが「実在の」人々でないということを前提をしている。主体は歴史的に新しい意味で疑問に付されることになる。
    • コミュニケーションのメッセージ・サービスと共に、言語使用は根源的に伝記的自己同一性から分離されたのである。自己同一性は、コミュニケーションの電子的ネットワークとコミュニケーションの記憶システムの中で錯乱する。
    • 「コンピュータの会話においては、一種の主体のゼロ度、あるいは空虚の実践へと構造化されている。」
    • 電子的なコミュニケーションにおいて、言語はますます物や主体といった外部の対象世界との結びつきを失っていく。こうしたなかで「主体がシニフィアンの流れの「背後」に存在する「現実」を識別しようとすることはますます困難な、あるいは的はずれなこと」である。電子的な言語によって組織化されるリアリティは、対象物への参照回路そのものをハイパー・リアルな次元へと移行させ、すべてを自己準拠的なメカニズムの中に内包されてしまう。
    • コンピューター通信による会話は、電子的な言語をそれ以上の言語からきわだたせている最大の特徴である自己指示性を、もっとも具体的に示している例のひとつである。
    • 「脱文脈的で、モノローグ的で、自己指示的なメディアの言語によって、受け手は自己構成のプロセスと戯れ、言説の多様な様式と「会話」することによって絶えず自己を作り直すように促される。」電子的な言説秩序の中に成立する自己は、口承的な文化においての自己のような特定の場所へ帰属している必要はないし、文字的な文化の自己のような単一性を失っている。
    • 電子化された<わたし>は「どこにでもいるし、どこにもいない。いつもいるし、決していない。」

電子的なコミュニケーションの特徴

    • 通常の意味での文脈が欠落し、新しい発話状況が発生する。言語が常に文脈に依存し、語の意味が発話の場から生じる以上、電子メディアは日常性格の物質的限界とは無関係に生じる新しい発話状況を導き入れる。
    • 独白的であり、対話的ではない。
    • ノローグ的で脱文脈的な電子の会話は自己指示的である。「言語/実践が、対話によって社会関係が再生産される安定した文化における日常生活の対面状況的文脈から離れれば離れるほど、言語はそうした特徴を言語自身の中から生成し複写しなければならなくなる。」

*区分方法は、私の区分法に近いが、電子的なコミュニケーションのとらえ方が疑問(pikarrr)