「無垢」ジャンキー

pikarrr2006-02-24

主体とは否定神学システムである。否定神学システムとは消失点(断絶)を空想で隠す。消失点とは自己言及点だ。この「私は誰だ」に答えられないというシステムの不全点から、「お前は誰でもない」と偶然性が進入し続ける。だからオマエモナー」は空想を暴露し、恐怖の消失点をちらつかせる呪文だ。この言葉により、フレーム問題の前で人はフリーズする。空想は「私」を溶解させる消失点を隠すベールだ。人は消失点から逃れるために、空想を見る。空想とは「私は誰でもないこの私だ」という現実(リアリティ)そのものだ。




現代の情報化社会は、消失点からの偶然性の進入を活発化させている。もはや単純な空想は溶解されてしまう。たとえばもはや人はブルジョアプロレタリアートのような二項対立の空想を見れない。このような話は、人はオヤジギャクのように、むしろ嫌悪を覚える。それは、空想として機能するのではなく、むしろ現実が空想であることを暴露するからだ。これは、なぜ人々がオタクを嫌悪するのか、と同じ理由である。人々がオタク化するのは、現代に適合するために必要なことである。オタクはベタな空想に埋没できる能力だ。しかしオタクが見る空想はベタすぎる。それは人々の現実さえも空想であるということを露出してしまう。




求められる空想とは「無垢」であることだ。現代の情報化社会では、「無垢」は現れては、すぐに消費されと劣化し、つぎの「無垢」を求められる。人は「無垢」の欠乏に対して、消失点からの偶然性の進入を活発化させる「空想」を求めているのだ。それは流行り廃りの早さであり、科学の進歩であり、資本主義であり、ハムスターの回し車のごとく、欲望の終わりなき加速化を起こしている。
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