もっと夢がある日本の将来ビジョンは・・・東アジア経済圏構想

pikarrr2009-05-25

「日本経済の停滞と新生」


この資料がよくまとまっているが、日本経済成長の停滞が一時的なものではなく、経済社会システムの変革を求められている、といわれている。さらにはこの根底にある傾向は日本だけではなく、高度成長を終えた豊かに国に見られる傾向だということだ。特に日本は少子高齢化のはやさからも、その先端をいっていると言えるだろう。

この延長線上で考えると、日本は少子高齢化で生産性の低下、低経済成長、国際競争力の低下、格差社会として、あまり明るい未来がみえてこない。

4. 90年代の停滞要因

90年代の我が国経済の停滞については、次の要因が指摘されている。

(1)バブル景気の崩壊に伴って資産デフレが予想以上に深刻化したこと。株価・地価が最高値の半分程度まで下落したため、バランスシートの改善を余儀なくされた企業は、設備投資を控え、リストラに励む一方、金融機関の企業への貸し渋りがみられるようになった。

(2)日本経済の構造転換が大幅に遅れてしまったこと。東西冷戦が終わり、90年前後から旧ソ連・東欧・中国などが続々と市場経済に参入し、市場規模、競争相手が一気に2倍になるなど、経済のグローバル化に拍車がかかった。国境を超えた競争に否応なく対応せざるを得なくなる中で、日本経済は、日本型経営システム (「経営革新」参照)、税制、各種の規制などが足かせとなり、新しい変化に柔軟に対応できなかった。

(3)政府の経済政策の失敗。景気は当初、循環型不況と受け止められ、時間が経てば自律的回復可能と判断されたことから、本格的な景気対策に乗り出したのは92年8月からであった。また、7年余りで総額120兆円の経済対策がとられたが、従来型の公共投資を中心とするもので、期待されたほどの効果が生じなかった。


5. 日本経済の新生と今後の成長

日本経済は、現在、歴史的な大転換期に入っており、これまで有効に機能してきた経済社会システムが効率的に機能しなくなっている。このため、99年7月に策定された2010年頃を目標とした新しい10ヵ年計画「経済社会のあるべき姿と経済新生の政策方針」「経済計画」参照)では、今後、(1)多様な知恵の社会、(2)少子高齢化、(3)グローバル化、(4)環境との調和、などについての諸課題にこたえることができる経済社会システムに変革していくことが必要であるとしている。また、こうした課題を克服して実現される実質経済成長率は、年2%程度(寄与度の内訳:資本が1%程度、労働力が若干のマイナス、技術進歩等が1%強)と見込んでいる。


「経済指標のかんどころ」 http://www.cap.or.jp/~toukei/kandokoro/html/01/01_1migi.htm




日本の3つのヴィジョン


このような現状認識のもとに、日本の将来像について3つのヴィジョンを示してきた。これらは対立するものでもないし、かなり個人的な趣向で選ばれたものといえる。だからこれ以外の、より多くのビジョンはあるだろう。

VISION 1 社会活動の重視


「なぜ日本経済を活性化するために「社会活動」参加への意識改革が必要なのか」 http://d.hatena.ne.jp/pikarrr/20090402#p1

アメリカなどのように学校教育にボランティア活動を組み込むなど、「社会活動」に参加することを受け入れるような規律訓練による意識改革をしていく。

このような社会活動は日本社会には馴染まないように思う。このような社会活動はどこから外部が隠されて作動しているように思う。たとえば宗教や人種など助け合いの外部、徹底的に排除される人々がいて、その内部において成立する。それが悪いことではなく対立しながら、それぞれのコミュニティで社会活動を生み出せばよいが、日本は逆にそのような強い外部を持たない故に、強力な内部が生み出されにくく、漠然とした内部としてあるのが日本型ではないだろうか。



VISION 2 ネット充足・低成長社会


「ネット上の革命はすでにはじまっている?」 http://d.hatena.ne.jp/pikarrr/20090514#p1

金銭経済中心社会から社会関係中心社会へ。ネット上のつながり、社会関係で、低経済成長でも充足する

指摘されたようにいかに生活するのかということがあるが、それはそれほど心配ではない。いままさに未婚、少子化、フリーター、派遣など省エネ経済活動、自己充足型が広まりつつある。彼らはいままでの価値観との狭間で罪悪感を持っているが、世代がかわれはそれもかわる。この流れはこの不況よりも強いのではないだろうか。

ただ問題は、経済は日本のみで成立しないということだ。国際競争の中にある。その潮流の中で充足し続けることができるのか、疑問が残る。たとえば中国エリートが日本経済の主要部分をしめることはあり得ることである。

そのようになれば、自己充足はナショナリズムへの発散へと向かうことは考えられる。現にネット上では発散型ナショナリズムがまき散らされている。



VISION 3 地方分権・グローバル開放


「日本の真のグローバリズムはこれからなんじゃないかな」 http://d.hatena.ne.jp/pikarrr/20090511#p1

中国は経済規模から6つのメガリージョン(地域経済圏)を形成している。そして日本もまた地方分権的な経済圏ごとに、それら中国経済圏と密な関係を築いていく

このように考えると、長期的なビジョンにおいては、これがもっとも夢があるように思う。実際にここにいたるまでには日米安保の関係、アジアの歴史認識の問題、日本の農業保護政策など、問題は山積みであるが、閉塞する日本経済が行き着く先は中国の台頭とともに真のグローバリズムに直面するしかないのではないだろうか。

日本企業は十分多国籍化しつつあるが、日本文化圏の閉塞や外国労働者の受け入れなど、制度、文化的にはまだまだである。特に外国人を受け入れることにはまだまだ大きな抵抗がある。しかし外国人労働者を受け入れなくても、国際競争によって富とともに貧困のグローバル化は進む。自然と日本は世界的に裕福な国ではなくなる。

外国人労働者を受け入れることのメリットは単に労働力だけではなく、アメリカのように活力そのものである。社会が閉塞することを回避する。 長期的に見れば、「日本人」という囲い込みは限界を迎える。いままでのようにケインズ的インフレ政策は限界だろう。高齢化、少子化によって、消費そのものへのインセンティブがわかない。

だから日本が真にグローバリズムへ対応する必要が求められるのはこれからではないだろうか。そこではやはり中国とのより密接な関係がキーになるだろう。「チャイナ・インパクト」でもそうであるが、中国とのGDPの差がなくなり、そして日本=技術先進国、中国=後進国という差異も解消されたあとに、日本は自らの立ち位置をどのように位置づけるのか。変わらず精密部品製造技術優位の工場国家?ゲーム、アニメ、お笑いなどを発信するエンターテイメント国家?それがこれからの日本の真の問いかもしれない。


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