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2ちゃんねるはポストモダンを越えていく

2ちゃんねるはポストモダンを越えていく 2ちゃんねるポストモダン社会を越えていく2ちゃんねる場の大きな特長は、「匿名性」、「物理空間の非共有性」、「主体の言語化」ということになるだろうか。それは社会性の拘束から解放感と、また言語でしか存在で…

言語化する主体

言語化する主体 「野蛮」な2ちゃんねるネットにおいては、主体は多くにおいて言語として存在する。HPにしろ、日記にしろ、2ちゃんねるなどのパロ-リチュール(文字会話)において、書かれた論理的な主体として現れる。言語は「現実の主体」の内部を切り…

リアルの暴露 (野蛮なテロリストと野蛮な2ちゃんねる)

リアルの暴露 (野蛮なテロリストと野蛮な2ちゃんねる) 理性/野蛮巷では、やはりイラク人質問題議論が盛り上がっている。だいたい、構図も見えてきたような気がする。思想家、ジャーナリズム系からの自衛隊撤退しないことへの政府批判。大衆では、どちら…

意味信仰から意味ゲームへ

意味信仰から意味ゲームへの エクリチュールからシミュレーションへわたしはマルキシズムやニュートン力学などを、エクリチュール的特性をもった近代的思考であるといいましたが、現代はこのような理性的な合理的な大きな物語は成立しがたい。大塚氏のおたく…

楽観主義的ネットコミュニケーション

楽観主義的ネットコミュニケーション イデア同一性、形而上学の必要性、必然性を考えるときに、ハーバマスは確信犯的にそれらをコミュニケーションの合理性を、倫理性を守るために用いた。近代的民主主義では自律し、理性的な主体になるようもとめられている…

ネタ的コミュニケーションはポストモダンを越えていく その3

ネタ的コミュニケーションはポストモダンを越えていく その3 ネタ的に解体されるポストモダン上述のようにメールも含めて、パロリチュール(文字会話)のネタ的コミュニケーションは、円滑なコミュニケーションを可能にする面がある。しかしネタ的であるこ…

ネタ的コミュニケーションはポストモダンを越えていく その2

ネタ的コミュニケーションはポストモダンを越えていく その2 マジ的コミュニケーションの消極的な姿勢ネットコミュニケーションの他者とは、実社会でたまたま隣り合わせた受動的な他者でなく、コミュニケーションをするという能動的な目的をもって現前化し…

ネタ的コミュニケーションはポストモダンを越えていく その1

ネタ的コミュニケーションはポストモダンを越えていく その1 ポストモダンを笑うネタ的コミュニケーション「暴走するインターネット 鈴木謙介」 (参照 id:pikarrr:20040329#p1)に示されているポストモダン的現象である「アンソニー・ギデンズの近代的な再…

エクリチュールの時代 その4 加速する記号組織化

エクリチュールの時代 その4 加速する記号組織化 「大きな物語」 記号表現に対する記号意味が自己組織化的に成長する構造を記号組織化(sign-organization)と呼んだ。たとえば「東京」という記号意味(イメージ)を考えてみると。 マスメディア(主体)が…

エクリチュールの時代 その3 絵本化する世界

絵本化する世界 その3 なぜ人は記号を信仰するのか? デリダは「あらゆる主体はその「名」によって純粋な「自己の現前」を奪われる。固有名の本質的な反復可能性は、名で呼ばれるすべての主体の純粋な固有性を不可能にしてしまう原暴力である。」そして「反…

エクリチュールの時代 その2 加速するデリダ的対象a

加速するデリダ的対象a その2 ラカン的対象aラカン思想について。人は言語を獲得した。そして言語により、世界を認識する。しかし言語には、私とはなにか?という問いに論理的に答えられない根元的な自己言及の不完全性構造がある。これは東浩紀氏的表現で…

エクリチュールの時代 その1 欲望するハニカムハーツ

欲望するハニカムハーツ(蜂の巣状化する心たち) その1 デリダは言語記号の反復可能性によって、パロール/エクリチュールの形而上学的二項対立を脱構築した。反復可能性は、パロール/エクリチュールを含む言語一般の可能性の条件であり、パロールでさえ…

デリダもパロールにより欲望する

デリダもパロールにより欲望する 原エクリチュールの力この世界には反復可能など存在しない。すべては絶えず変化し続けている。すべては唯一性の連続である。しかしデリダはすべては反復可能性であるという。それは認識という行為に置いてである。我々は言語…

デリダは死臭を嗅ぎつける・・・ その2

デリダは死臭を嗅ぎつける・・・その2 形而上学とは プラトンのテクスト自身のなかで、形而上学の構築の欲望とそれを脱構築する契機とがせめぎ合っていること、(プラトン主義)形而上学とはじつは、この「決定不可能」なせめぎ合いを一定の仕方で「決定」…

デリダは死臭を嗅ぎつける・・・ その1

デリダは死臭を嗅ぎつける・・・その1 「意味のイデア的同一性」とは? 言語記号の主体や指示対象からの断絶は、オリジナル・コンテクストからの断絶と一緒に、意味のイデア的同一性という理念を切り崩す。所与のコンテクストからから引き抜かれ、他のコン…

野蛮の復活

野蛮の復活 ●野蛮なコミュニケーション他者とは自己を写す鏡である。私が誰かは他者との差異によって現れる。かつて私は「誰でもない私」だった。村一番ののっぽであり、村一番の力持ちであり、村一番の愚か者、村一番のお金持ちであった。ここでの価値観は…

コミュニケーションツール形態

コミュニケーションツール●電話とメール(電話・・・対個、空間的に離れたパロール、即時応答、メール・・・対個(or多)、空間的に離れた相手とのパロ-リチュール、時差応答)携帯の爆発的な普及。国民総携帯保持化。これは日本だけの傾向ではない。中国や…

記号コミュニケーション用語

記号コミュニケーション用語以下に思考の中で使った独自の用語意味を示す。 言語の無限循環システム 言語はその表現(シニフィアン)に対する意味(シニフィエ)を表現(シニフィアン)で表すというパラドクス構造をもっている。たとえば「りんご」という表…

ネットコミュニケーション(2ちゃんねる)というゲーム

ネットコミュニケーション(2ちゃんねる)というゲーム現前の相手とのパロールでは、相手についての情報は大量にあり、経験的に記号内容(心象)を推測することは容易になる。このために相手への適切なコミュニケーションが可能となると考えられる。しかし…

時代とコミュニケーション自己化

時代とコミュニケーション自己化 コミュニケーションとは世界を自己化する行為である。そしてコミュニケーションの継続により私は自己同一性を維持する。これは生命の自己複写し自己維持機能の延長線上と考えることができる。すなわち私が世界とコミュニケー…

記号論的、噂話的 さよならジャック・デリダ

記号論的、噂話的 さよならジャック・デリダ しかし現代の記号はさらに複雑化しているのである。かつて幽霊(反復可能性)を作り出すことは権威の特権であった。だからデリダの脱構築は形而上学や法に向かう。しかし現代において幽霊(引用可能性)は、複写…

2ちゃんねるという怪獣バスターズ

「名無しさん」という幽霊 2ちゃんねるの「名無しさん」は匿名であるが、「名無しさん」という一人ではなく、複数人いると考えている。これはなぜだろう?「名無しさん」という言葉は、反復可能性があり、コンテクストにより様々な発言(散種)を生む。ここ…

2ちゃんねるとその周辺という脱構築

パロリチュール(書き言葉による会話)というコンスタティブとパフォーマティブわたしは2ちゃんねるの「どうよ?」は二つの「未理解」を生むといった。 そして「どうよ?」というコミュニケ−ションは、二つの「未理解」を生む。記号的「未理解」と心象的「…

コミュニケーションとしての「署名」の同じもの性について

エクリチュール的「署名」の同じもの性について コミュニケーションとは 主体「表現、意味(意識された意味(デノテーション)、非意識意味(コノテーション))」→表現→客体「表現、意味(意識された意味(デノテーション)、非意識意味(コノテーション)…

ポストモダンというエクリチュール的虚像世界

パロール(会話)的コミュニケーション コミュニケーションとは、自分の抽象的な心象を、交換し合う行為であり、コミュニケーションしたい欲求が先にあり、うまく伝えるとは、相手の内面(心象構造)をよく理解して、相手に会わせて言語という道具をうまく活…

2ちゃんねるの記号消費と人格消費

「どうよ?」ってどうよ? 2ちゃんねるにおいて、「なんのために生きているのだろう?」というスレッドを立てたとする。そこには記号の裏に、必ず意味としての個人的な心象が含まれている。たとえば、「おれいま生きてくのが、つらいんだ。おまえらどうよ?…