2004-01-01から1年間の記事一覧
343 :フェノ ローティがいうように、「哲学はもはや、「会話」の一形態にすぎない。もし生き残るとすれば、文学の一ジャンルとして、その読書が美的快楽を感じるものである。」というところまで来ていますが。私は、哲学は文学ではなく、むしろ宗教に近いと…
225 :考える名無しさん 宗教は、単なる一個人の言説により、人間の人格そのものを不可逆的に変容し、現実からの遊離、社会通念からの逸脱、家庭の破壊を生じる。身近なところでは、オウムや自爆テロだけでも、宗教の正当性はすべて失われたと結論すべき。歴…
「科学には「意味」がない。」とは、科学の実証主義的側面への指摘である。科学における理念、科学的な命題は、経験的事実に基づいてのみ構成されるべきである、ということである。たとえば、「光の速度は一定速である。」というのは、科学的に実証された事…
最近、血液型を題材にしたバラエティ番組がいくつかやっていた。密かにまたブームなのだろうか。人類をたった4つのグループに分けて、分類することの怪しさは否めない。番組には、各血液型のゲストがそれぞれ数人来てコメントするわけだが、O型はO型らし…
リオタールは大きな物語が凋落したといった。科学、論理の不完全性が様々なところで露呈し、われわれは世界を理解でき、真理に到達できるという信念は失われた。それはわれわれは神により保証された存在であるという裏付けによる自信であり、そこにわれわれ…
どうも最近フジワラノリカが気にかかる。ウィークリーマンション?のCMで、部屋を借りるとフジワラノリカがついてくるというCMがあるが、もはやフジワラノリカは一つの記号と化していることを象徴しているようなCMである。最近、フジワラノリカにかつての元…
大きな神話を語ってきたが、なにげに、ひとまず、筋書きが見えたようなので、それを骨子にブログらしく、お戯れのエクリチュールへ移行します。問題はつづくのかと、読んでいる人がいるのかであるが・・・
大きな神話 世界は痕跡である。痕跡とは、誰かの何かの意味である。誰かとは記号コミュニティに帰属する他者であり、限りなく私である。痕跡とは、他者からの呼びかけであり、主体は他者へ心象同期する。 他者への心象同期は、他者との同意と、他者との差異…
痕跡の世界 痕跡の世界たとえば夕日に感動するのは、夕日が痕跡であるからです。人は世界を「痕跡」として認識します。痕跡とは意味があることであり、誰かがいるということです。このような痕跡、他者志向性は認識の初動に現れます。痕跡は感動に先立ち、夕…
73 :ぴかぁ〜 :04/06/08 11:14 オタクは余剰を生みやすい人たちでしょう。大衆というコミニティ内のコミュニケーションに少しずつ余剰を忍び込ませる解消するのが苦手な人々ではないでしょうか。だからオタクは物語を巧みに「捏造」する者たちであり、それ…
言語に回収されない溢るる余剰どうしてる? 小学生女子が同級生を殺害したというニュースが日々流れています。殺人事件は毎日のように起こっていますが、加害者、被害者が小学生であり、そこに殺人に至るような明確な要因が見えないという特異性から、社会に…
他者化 「誰か(他者)、何か(意味)」という他者志向性は、主体にとって「他者」が根元的に特別な存在ということであり、強く他者を求め、コミュニティへの帰属を求めているということです。他者志向性はコミュニケーションにおいて心象の同期であり、それ…
他者の特別性 他者志向性とは、対象が「誰かの、何かのため(意味)」にあるということです。ここでは、人は偶有的な世界に因果律を捏造しています。すべての事象は、ある「他者の」原因によって起こっているということであり、すべての事象には他者が存在す…
世界への他者志向性 たとえば火星表面の人面石とはなんでしょうか。火星の表面を観察をしたところ影が人の顔のように見えた。そのほかにも人面魚というのもありました。鯉の模様が人の顔のように見える。このような現象におもしろいのは、偶有的な模様からそ…
その1 偶有性と単独性 その2 「上から二冊目の本」 その3 小さなアウラの消費 その4 神の発明
結局、2ちゃんねるはポストモダン越えなかったんだろう!という声が聞こえそうですが・・・ 聞こえない、聞こえない・・・これからはアウラの時代ですよ、ははははははは・・・・ってか、ここ読んでる人いんのかな・・・はははははは・・・・
アウラな世界 その9 正義論5 能動的なデリダと受動的なルーマン アウラな場正義論に再びもどると、デリダの脱構築、ルーマンのオートポイエーシス、アウラ論に共通するのは、「正義」というときにコンテクストと主観によって、そこに複雑性の縮減が行われ…
アウラな世界 その8 正義論3 アウラの脱構築 アウラの脱構築クリプキの固有名議論をベンヤミンの芸術作品のアウラに展開すると。たとえば「モナリザ」という固有名は、フレーゲ/ラッセルの記述理論によると、確定記述の束であるとなります。これに対して…
アウラな世界 その7 正義論3 ラカン+デリダ≒アウラ論? アウラ論≒ラカン 「対象aは他人の中に埋め込まれ、私にとって非人間的で疎遠で、鏡に映りそうで映らず、それでいて確実に私の一部で、私が私を人間だと規定するに際して、私が根拠としてそこにしが…
アウラな世界 その6 正義論2 デリダとルーマンの正義論 わたしたちは偶有的状況から単独性をみいだとそうとしています。そしてこのとき神によって承認されたという形をとります。運命、奇跡、ついてる、祈る、信じるなどのように小さな神が捏造され、対象…
アウラな世界 その5 正義論1 正義という狂気 恋は盲目たとえば恋することとストーカー行為の違いはなんでしょうか。恋愛とは「偶有性から単独性への転倒」が起こりやすい場です。運命の人、奇跡の出会い、僕の女神・・・恋するということは、無数のごとく…
転倒される神 なぜ人は誰かに演出された相手よりも、運命の相手と出会い恋することを夢見るのでしょうか。 なぜわれわれは「神」を信仰していなくても、日々物事がうまくいうように祈るのでしょうか。 現代において「オーラ」ということばがもっとも使われる…
生命とコミュニティ 生命は個体としての単独性を維持する傾向があり、生命コミュニティはコミュニティとして単独性を維持しようとする傾向があります。このコミュニティとして単独性を見いだそうとする傾向とは、個体がコミュニティの一部、すなわち偶有的な…
その1 生命力という力 その2 社会的コミュニティから記号コミュニティへ その3 オタクの自己制作性 その4 ネットコミュニティの差異化運動 その5 2ちゃんねるスタイル その6 2ちゃんねる/大衆 その7 2ちゃんねるの二重構造 その8 2ちゃんねるを…
「上から二冊目の本」 たとえばなぜ本を買うとき上から二冊目を買うのでしょうか。上から一冊目の本は多くの人の開かれているために、破れていたり、汚れていたりして、本の本来の価値、ソフトを読むということに支障をきたす確率がたかくなる。だから人はよ…
おしゃべり好き 2ちゃんねるはネットユーザーの「出会いの場」をうまく演出し、集客力を勝ち得た。そして大衆の野蛮性が露出し、いまや2ちゃんねるの反「大衆」性は、大衆の一面を担うまでになってきている。このような2ちゃんねるの原動力は、「コミュニ…
有機構成 生命とはなにか?生物学において生命を示す概念として「有機構成」があります。有機構成とは「物質的要素が複合体をなすさい、要素の特定の配置が維持されているような、同一性を保つ構成化の水準」*1を示します。これは要素が配置をなし、その配置…
Ⅰ権力はどこへ向かうのか 第三者の審級の退去 現代社会、第三者の審級が、その超越(論)的な座から、今にも退去しようとしている。世界や人生を全体として意味づけるイデオロギーや理念の喪失。このとき、同時に、第三者の審級の撤退の反するように見えるこ…
発散する2ちゃんねる 肥大しつづける2ちゃんねるにおいて、「2ちゃんねる」は2ちゃんねるスタイルを様式化させ、反「大衆」を目的化している傾向が増している。さらにマスメディアに取り上げられることにより、よりいっしょうそのような役割を担うことが…
単一記号コミュニティ「2ちゃんねる」 ネットワーク上には大きく分けてデーターベース場とコミュニケーション場がある。データベース場は情報を収集するために訪れる場所であり、ニュースサイトや興味を同じくするパーソナルなHPなどである。そしてコミュニ…