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ネットと社会はなぜ「断絶」するのか(全体) 

1 「ボロメオの結び目」としての社会 2 愛と憎しみのネット社会 3 純粋略奪関係というバランス 4 透きとおった「帝国」 5 純粋略奪の快楽 6 終わりなき「断絶」 7 YouTubeの事例

ネットと社会はなぜ「断絶」するのか その7 YouTubeの事例

「スプー」祭り 「スプー」削除の舞台裏 「YouTube」にテレビ局苦慮 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060607-00000075-zdn_n-sci 米YouTubeが運営する動画共有サイト「YouTube」からこのほど、NHKの動画「スプーの絵描き歌」が削除された。NHKは「当協…

ネットと社会はなぜ「断絶」するのか その6 終わりなき「断絶」

東浩紀「ポストモダンの二重構造」 「大きな内部(帝国)」の秩序維持としての権力は「規律訓練型」から「生権力型」へとむかう。「規律権力型」は内部の人々を教育し、内部秩序のための正しい人とする。しかし「生権力」は人々にどこで作動しているかわから…

ネットと社会はなぜ「断絶」するのか その5 純粋略奪の快楽

セカイ系という「断絶」と「純粋略奪の快楽」 東浩紀は「セカイ系」を「象徴界の喪失」と呼んだ。 哲学者の東浩紀は、ほぼ同じ状況を指して「象徴界の喪失」と表現する。・・・東氏は、たとえばアニメ作品「新世紀エヴァンゲリオン」、「ほしのこえ」などに…

ネットと社会はなぜ「断絶」するのか その4 透きとおった「帝国」

「生権力」と疑似純粋略奪 成熟した資本社会の新たな権力として、フーコ-の「生権力」、そして「環境管理権力」が指摘されている。アガンベンはアウシュビッツで殺されたユダヤ人たちを「ホモ・サケル(剥き出しの生)」と呼んだが、「生権力」は人を「剥き…

ネットと社会はなぜ「断絶」するのか その3 純粋略奪関係というバランス

「Google」という立ち位置 しかしまたこのときに逆も発生するだろう。資本社会はネット住人を「ホモ・サケル(剥き出しの生(=主権権力の外に位置する者))」の位置におき、疑似純粋略奪を行う。「環境管理権力」的にネット住人が気がつかないうちに管理さ…

ネットと社会はなぜ「断絶」するのか その2 愛と憎しみのネット社会

愛と憎しみのネット社会ラカンの三界、「象徴的なもの」、「想像的なもの」、「現実的なもの」をネット社会に展開すると、ネット社会の特徴は、疑似的であるが、対面的な「想像的な」関係が容易になったが特徴である。未開社会のように顕名ではなく、多くに…

ネットと社会はなぜ「断絶」するのか その1 「ボロメオの結び目」としての社会

資本社会/ネット社会への二重帰属性 ネット住人は資本社会からみると「外部」にいる山賊、異教徒に近いのかもしれない。そう考えると様々な資本社会に対する反抗、略奪、悪態、排他がわかりやすい。しかし基本的に「彼ら」が資本社会内部の人間でもあること…

なぜ「VIPPERvsVIPブログ連合」は聖戦なのか 

「VIPPERvsVIPブログ連合」という聖戦 流行りは、「VIPPERvsVIPブログ連合」*1らしい。簡単にいえば、2ちゃんねるVIPネタを自分のブログでまとめて人を呼び、アフィリエイトなどで小銭を稼ぐのはけしからん、ということだ。(詳細はこのあたり*2、*3)「の…

なぜエビちゃんはかわいいのか 「セレブ」の滑稽さ

「セレブ」の滑稽さ 最近、エビちゃんがブームである。ボクもかわいいと思うが、その「リアリティ」はなんなのだろう。はっきりいえばエビちゃんはパチモノくさい。着せ替え人形のようで、「カラッポ」で、どこか過剰でつくりものめいている。そしてこの微妙…

なぜ最近の若者は空気が読めないのか?

■最近の若者は「生真面目」? ①空気を読む努力しますか?空気に従うよう努力しますか? どっきりで芸能人に突然知らない業界人が「ひさしぶり」とはなしかけてくるとその芸能人はどうする、というのがありました。芸能人は疑いながらも話をあわせようとしま…

オタクであることはなぜ恥ずかしいのか

なぜ「オタク」は恥ずかしのか 「涼宮ハルヒの憂鬱」がなにげに人気です。ストーリーテーラー役のキョンはいつも被害者で、いつも正常(正しい)です。それは、責任はいつも外部にあるという責任回避的立場です。それでいて、ハルヒに繋がることでセカイの中…

なぜ最近の男性は「彼女依存」なのか

男性の「彼女依存」 TVでスポーツコーチ言っていましたが、昔は女性スポーツ選手は男性ができると競技に身が入らなくなるのでつきあいを禁止されたが、最近の女性は練習の糧になるぐらいで、むしろ男性の方が女々しいというようなことを言っていました。昔は…

なぜ現実(リアリティ)はネットに共鳴するのか

「宮台的な危惧」 人には根元的に自己承認への渇望があり、神などの様々な「幻想」を現実(リアリティ)として満たそうとしてきた。現代は強力な「幻想」を支えるコンテクストが維持されにくく、コンテクストを破壊、再創造し続けることで、幻想を新陳代謝さ…

なぜ「空気を乗りこなせ!(コンテクストサーフィン)」なのか

アウラ論とエクリチュール論 かつて芸術作品にはアウラ(神性)が宿ると信じられていた。芸術作品は神のための書かれ、現代のように美術館で人々に公開されることも、ましてやコピーされて流通することもなく、「隠され」、その唯一性としてのアウラが保たれ…

なぜポップスは抑圧からの解放を歌うのか

音楽の気持ちよさ 音楽を語るときに、①音楽という音群が人の生理に与える影響。気持ちよさなどと①音楽は文化であり時代性があるということがあります。時代に影響されない音楽の気持ちよさ、逆に言えば生理的な気持ちよさの追求として音楽が継続されていく、…

なぜ占いに頼るのか

占いは当たるのか、当たらないのか 占いには根元的なニーズがあるように思います。好きな人は頼ればよいし、頼りたいときもあるだろうし、現に多くの人が占いが好きで楽しんでいる。それだけでなく、歴代のアメリカ大統領や、経営者と呼ばれる人の多くなども…

続 なぜ若者は「下流」でなく「のま猫」に怒るのか

*1「下流」という経済競争抑圧 「自由を制限され、格差社会の下流にいて何で怒んないの?社会を斜めに見る反逆精神が若者の特権じゃないの?」と学生運動の元闘士が言うときに、*2、問題なのはそこに「体制」が働いているからでしょう。格差そのものが問題で…

「物質(情報)ネットワーク」としての唯物論

「唯物世界内部」の完結性 唯物論の限界には、1)唯物世界内部の不完全性と2)唯物世界外部の可能性の以下の七つが考えられる。 1)唯物世界内部の不完全性 ①不完全性定理・・・科学にはこの世界を記述できない。 ②不確実性定理・・・ry) ③量子力学・・・…

なぜ人はセックスをマッチョに語るのか

セックスマッチョという非「性的なもの」 「性的なもの」を語るときに、セックスについての話は、あまりおもしろくないだろう。特にマッチョなセックス自慢話は、3流エロロマンス小説のパクリ、ワンパターンAVビデオを模写した自己満足でしかないからだ。…

おばさんはなぜ「純愛」に興奮するのか

「私」が様々に語る苦悩は性的快感の不満である 人はリビドー(性欲動)を解放しようと生きているというのは、還元主義的、機械論的だろうか。リビドーの解放は単に性的な刺激ではなく、「ズレ」である。正しさ、調和からズレたところにしか、リビドー解放の…

「オタク」はなぜもっとも健全な人々なのか 場の拘束と解放 その3

場への固執と場からの離脱という「閉塞」 日本はハイコンテクスト社会と言われてきた。しかし現代のような価値が多様で、流動的な社会では、コンテクスト(文脈)の共有が困難になってきている。ハイコンテクストがくずれてきている。一つは崩れているから固…

なぜエロいものを求めるのか

なぜ性倒錯対象は多様化するのか 「性的なもの」とはなんでしょうか。人間は年中いつでも発情し、「性的なもの」を求めています。社会ではこれを抑圧することを良しとします。でなければ、動物の発情期には命をもかけた戦いがあるように、まともに円滑な人間…

なぜかわいい女性を見ると気持ちいいのか

白いキャンパスについた「汚れたシミ」 科学的に、美形とは平均的な顔だといわれる。多くの人の顔をコラージュすると美形になるらしい。この美形とはマネキンのような無個性な顔である。人々を引きつける魅力的な顔とはこのような正しさ(美形)からのわずか…

なぜ童貞オタクとヤリチンは似た者なのか

想像関係と象徴関係 人間関係は、想像関係と象徴関係のバランスでできている。想像関係とは一対一の関係であり、互いに欲望しあうことで、愛着が増す、相手がかけがえのない存在になる。それによって自分もかけがえのない存在になる、ということだ。このよう…

なぜ悪口をいうとすっきりするのか

ネットに溢れる悪口 悪口をいうのは、一般的にはある対象への悪意があり、それを表現することであり、 その対象への攻撃である。このような悪意は精神分析的に検討されているように複雑である。たとえば対象への愛着である転移は良性では愛であるが、悪性で…

なぜ若者は怒らずにキレるのか?  「場」の拘束と解放 その1

薄氷の共犯関係 「若者よ怒れ」 平野さんは学生運動の元闘士。出版社時代に労働争議で指名解雇された後の76年、新宿ロフトを開店した。「わかってたまるか」社会への怒りをぶつける若者の姿勢と音楽にほれ込んだ。82年、店を仲間に託し、海外放浪の旅に…

なぜ悩みは自己内部へ向かうのか

内部へ抑圧 障害に直面したときに、対応は内部と外部があります。外部は環境を変えるということであり、内面は自分を変えるということです。たとえば子供は環境の悪さを外部を俯瞰する視線を持たない故に、内部の変化へ向かいます。親が離婚するのは、ボクが…

なぜボクたちは笑うのか

①なぜ「人間」は笑うのか 恐怖は個人的、笑いは集団的 恐怖と笑いは、同じ体験です。その違いは、いわば恐怖が個人的なものであるのに対して、笑いは集団的なものである、ということです。笑いはかならず他者への「同意」としてある、と思います。恐怖は集団…

なぜ親密なコミュニケーションは多数化するのか?

薄氷のコミュニケーション 昨日、「キスだけじゃイヤッ」*1の最終回を見ていましたが、ここにはとても赤裸々な人間の姿があります。恋人という親密な関係、分かりあう二人が、まったくわかりあっていなかった。親密な恋人関係は、わかりあっている振りででき…