2006-01-01から1年間の記事一覧

なぜグレイゾーンの全面化は「動物化」し「野蛮化」するのか

満足とはなにか。 人々の満足とはなにか。満足が、単に「豊か、自由、平等」でないことは確かである。いま、「豊か、自由、平等」の中にいるボクたちの様々な行為がそれを示している。ただこれらが満足の重要なものであることも確かである。これは、ホッブス…

なぜ神話への熱狂は必ず回帰するのか

ヘーゲルの弁証法とダーウィンの進化論の差異 マルクスは社会は自然と人間、人間と人間の関係において、考えなければならないという。ここで自然は一見、外部のようであるが、外部ではない。マルクスは自然と人間を、共同所有と私的所有で分析する。すなわち…

ネット社会は資本主義的な秩序を乗り越えるのか

自由への熱狂 産業革命は19世紀であるが、16世紀ルネサンスにはじまり、宗教革命、科学革命、大航海時代など、人間主義、啓蒙思想の普及という近代化の潮流の帰結として起こった。さらに言えば、このような人間主義、啓蒙思想は、ギリシア思想であり、初…

なぜ人々はネットへ熱狂するのか

資本主義革命 人間は経済的存在でなく、社会的存在である、といったアリストテレスは正しかった。人間の目的は、物質的財産の獲得という形で個人的利益を守ることにあるのではなく、むしろ社会的名誉、社会的地位、社会的財産を確保することにあるのであろう…

なぜ平等であることは「自然」なことではないのか 環境×公平×正義 その1

謙遜の意味 人は他者へ転移する。他者が私であり、私が他者を指向する。このような力学において、人はそこにある差異を平準化しようとする力が働く。たとえば自分だけが幸せになるとあまりそれを全面に出すことははばかれる。この転移関係において、他者より…

「熱狂の人類史」と歴史主義と脱構築とサンバルタン

■比較文明論と歴史主義と脱構築 リーマン◆N.J4yHzilE 歴史自体が一つの主体から構成されたお話に過ぎないことはすでにレヴィ=ストロースがサルトルを歴史主義者として葬り去ったときに明確になっています。 「歴史主義」は一つの進化論であり、それは漸進す…

熱狂の人類史  自然(無垢)への熱狂が歴史を動かしてきたのだ。 

①自然崇拝の時代 人類革命〜農業革命 人類革命・・・人類が類人猿からヒトへ、約500万年前のアフリカ 農業革命・・・農耕の開始、西アジア(メソポタミア)、東南アジア、南中国(長江)、メソアメリカ(メキシコ)、西アフリカ(ニジェール)、1万年前…

文明と自然 伊東俊太郎(2002)

「文明と自然」伊東俊太郎(2002)(ASIN:4887082932) 1 人類革命年代:500万年前 場所:エチオピア、ケニアを中心とする東アフリカで生起 内容:人類史の始まり(類人猿から人類への以降)、人類化(直立歩行、道具、狩猟・採集・漁、集団生活、言語) …

若者がゲームからネットへ向かうのはゲームの不確実性よりも「他者」の不確実性の方がおもしろいからだ。

自由だけどマニュアルの外へでることが難しくなっている 「ボクたちがマクドナルドへいくのは食事に時間を割くよりも「重要なこと」があるからだ。」*1で言ったのは、ボクたちは自由なのに、なぜ閉塞するのか、ということだ。自由なようで、実はマニュアル化…

ボクたちがマクドナルドへいくのは食事に時間を割くよりも「重要なこと」があるからだ。

なぜ人々は「マクドナル」へ行くのか 最近、コンビニ、ファーストフード、ファミレスなどチェーン店が爆発的に増加し、いわゆる「下町のお店」は廃れる傾向があります。このような傾向は「マクドナルド化(McDonaldization)」と言われ、効率最優先による人間…

なぜ「なぜ山に登るのか」と「なぜ女をものにするのか」は違うのか。

自然主義的闘争論 欲望の構図①外部と内部の境界を引く。②外部が無垢(いきいきした幻想)として表れる。(まなざしの快楽)③無垢(外部)への欲望(略奪衝動)が掻き立てられる。④開拓という「正義」の名のもとに、負債なき暴力(純粋略奪の快楽)が行使され…

なぜ「自然」は歴史的産物なのか

■人間誕生の管理 考える名無しさん マルクスによれば、資本がそれ自体ではどうにもならないものに自然資源と労働力の再生産の2つがありますね。 自然主義的闘争の立場では、自然資源=環境というものは市場のコントロール化におかれるようですが、労働力の…

なぜネットコミュニケーションは地球を救うのか 

シミュラークル化した社会 労働価値説におけて、労働とは自然から生産するという労働観に根ざしている。そしてこのような労働観には自然のもつ「無垢性(未知)」を開拓する快楽としてもあるのではないだろうか。近代以降、分業化が進み「労働」は自然と切り…

試論:自然主義的闘争史観

マルクスは科学技術の発展とは資本主義存命の必然であり、下部構造としての経済によるものでしかないといった。それに対してボクが考えるのは、人間の歴史とは自然との闘争であり、自然主義的闘争を下部構造とした自然主義的史観であると考える。そして近代…

なぜボクたちは「不条理な社会」という宙吊りを生きるか

倫理的な社会と不条理な社会 最近BSでチャップリン特集をやってますが、チャップリン映画をみるとあの時代の不条理がよくわかります。チャップリンが描くのは学なく貧しい弱者が社会で虐げられている姿です。たとえば今の下層なら当然の人権が守られていない…

なぜWeb2.0の本質はいかに抑圧するかなのか

CGM(ConsumerGeneratedMedia)とは ネット時代の新潮流――CGMとは http://www.itmedia.co.jp/news/articles/0607/18/news024.html今、Web2.0のキーワードが注目を浴びています。その中に内包される概念としてCGM(ConsumerGeneratedMediaの略)が存在します…

なぜ「デリダ的脱構築」は不可能なのか?

神話的暴力と神的暴力 「正義の門前:法のオートポイエーシスと脱構築」馬場靖雄 (http://www.thought.ne.jp/luhmann/baba/gj/gj00.html)を参照に、ベンヤミンの「暴力批判論」、デリダの「法の力」による暴力論を考える。ベンヤミン「暴力批判論」では法…

なぜ豊かさは快楽なのか

"他者"との「純粋な出会い」 世界は他者でできている。他者とは言語である。ボクたちは言語で世界を認識する。「痛み」は言葉であるし、「言葉にならない気持ち」も言葉である。言葉は他者の言葉である。そこには絶えず他者が介入し続ける。しかしそれでも「…

なぜ「物そのもの」は暴力的であるのか

カントの欲望論 カントの「物そのもの」は外部であり、それとの相対的に現象はあらわれる。しかし物そのものの本質はそれがあるか、ないかでなく、真理を考える上で必要とされる概念であるということだ。カントはアンチノミーを説明するための調停的な第三者…

なぜ柄谷には「外部」がないのか。 「世界共和国」と自然主義的闘争

id:mal_blueさんからの質問 「[議論]なぜ柄谷には「外部」がないのか」のコメント欄より http://d.hatena.ne.jp/pikarrr/20060710 「哲学は神学の婢 2」も読んだけど、外部と未来の違いってなんですか?「なぜ「継続」こそが「正義」なのか」あたりを読み直…

なぜ贈与は暴力なのか

想像的な贈与 現代は貨幣による等価交換の世界であるといわれる。しかしそれでも贈与の世界でもある。一般的に贈与は親しい人の間で行われる。家族、友達、恋人ではお金のやり取りでなく、貸し借りでもなく、見返りのない贈与が行われている。最近ではネット…

なぜ柄谷には「外部」がないのか

むじんくん 近代的自己意識の運動と近代的時間概念、これは密接な関連、というよりも同じものだと思います。近代的時間の特徴は、「進歩」というもので、これは人間の「成長」を時間軸上に描くという形で語られますね。 考える名無しさん たしかにヴィーコ、…

なぜ限りなく「純粋な悪」は存在しえるのか

「負債の循環」という内部 「悪いこと」をするときにはほとんど自己正当化の心理が働いている。「本当の俺も悪いこととわかっているし、そんなことはしたくはないが、外からなんらかの圧力を受けたから、仕方がないんだ。」親が悪い、先生が悪い、社会が悪い…

なぜ純粋略奪は快楽なのか

落とし物は「純粋贈与」ではない (1)純粋贈与は、贈与の循環がおこなわれる円環を飛び出してしまったところにあらわれる。それは、贈り物が贈られその返礼の品が返されるという、モノの循環システムを破壊してしまう。(2)贈与では物質性を持ったものを受け…

なぜ「涼宮ハルヒの憂鬱」はセカイ系なのか

「外部産出型」としてのセカイ系 「涼宮ハルヒの憂鬱」の最終回を見たが、なかなかおもしろいかった。最終回の前半まで退屈が描かれ、突如クライマックスが訪れる。ボクは「涼宮ハルヒの憂鬱」が「セカイ系」の構造があるといっていたが、最終回はまさにその…

なぜ「他者」は特別なのか 

1 他者志向性 2 他者の特別性 3 世界の他者化 <解説> 再掲載シリーズ第ニ弾。(掲載 2004.6.1〜2004.6.3)ここにはその後の思考の原型があります。ただ「他者志向性」は先天的であるのか。人は生まれながらに人を知っているのか。

2ちゃんねるはポストモダンを越えていく 

1 社会的コミュニティから記号コミュニティへ 2 オタクの自己制作性 3 ネットコミュニティの差異化運動 4 2ちゃんねるスタイル 5 2ちゃんねる/大衆 6 2ちゃんねるの二重構造 7 2ちゃんねるを遊星するプログ群 8 つながりへの欲望 <解説> 再掲…

なぜ「デスノート」はセカイ系ではないのか

id:genesis 「なぜ「デスノート」はセカイ系ではないのか」*1 *2を拝読いたしました。セカイ系の構図把握については異論無いのですが,最後に展開しておられる『デスノート』への適用については不明瞭な印象を受けました。 pikarrrさんは「外部の産出、そし…

なぜ「デスノート」はセカイ系ではないのか(後編)「死神」は内部を再生する

道具の呪術性(フェティシズム) さらにセカイ系の「戦闘美少女」の特徴に、道具性がある。「銀河鉄道999」のメーテル、「攻殻機動隊」の素子、「最終兵器彼女」は機械であり、「エヴァンゲリオン」のレイはクローンである。 その他「戦闘美少女」は兵器で武…

なぜ「デスノート」はセカイ系ではないのか(前編)「戦闘美少女」は享楽する

映画「デスノート」の虚構としてのリアリティ 映画「デスノート」を見た。マンガはコミックで読んでいたが、映画化はむずかしいのではと思っていた。名前を書くことで人を殺せる死のノートを手に入れるとどう使うかという「正義とはなにか」という大きなテー…